第3話 戦う少女
水来は砂漠をさ迷いつづけていた。
一歩踏み出した足が、くるぶしまで砂に埋まる。
足を引っ張り上げては、また一歩前に進む。
また、砂に足がとられる。
「ふう、ふう……」
砂上での歩行は、アスファルトになれた現代日本人には、過酷な運動であった。
いったい何時間歩き続けているのか?
水来の背後には、曲がりくねった足跡が延々と続いていた。
夜はすでに明けている。
しかし、空に、抜けるような青色は見当たらない。
(これは異世界転生っていうんだよな……)
目の前に広がる、日本ではありえない風景。
いや、地球上とさえ到底思われない。
「灰色と暗灰色の空か……」
コーヒーに灰色のポーションを垂らしたような不安定な光景が、水来の頭上で回っていた。
太陽の光もほとんどない。
太陽は、水来の記憶よりもずっと小さな姿で、弱々しい光を放つのみである。
反対に、この世界で月が存在感を主張している。
白昼でも姿を霞ませることなく、蒼い輝きを放ち続けていた。
「!?」
水来の聴覚がある音を捉えた。
同時に、意識の命令を待たずに、両足が駆け出していた。
「エ、エンジンの音だ」
交通事故被害者の水来にとっては、トラウマになっていてもおかしくない音だが、この時ばかりは喜びが勝っていた。
機械の音と言うのは、つまりは人間の音である。
(近い、近いぞ)
足をもつれさせながら、水来は猛烈に走る。
眼前に、一際大きな砂丘があった。
一気に駆け上がる。
「い、いた!」
水来の眼下を、一台の車が疾走していく。
砂上を疾走するその車両は、水来の知識の中にある、バギー車の一種と見受けられた。
「なんだ? 追われている?」
バギー車のすぐ後ろを、横長の影が追っていく。
影の真上には、長大な翼を広げた怪鳥がいた。
翼長は10メートルをゆうに超えるだろう。
黒色の体を、白い外骨格で保護した巨大鳥が、群れを成してバギー車に迫る。
「!?」
銃声が連続して鳴った。
車を運転している何者かが、怪鳥の群れに発砲したのだ。
グゲエ! グゲエ!
怪鳥たちは、ひるむ様子もなく、バギー車との距離を詰めていく。
「た、大変だ」
水来は恐怖に震えた。
せっかく見つけた人間が、今にも失われようとしている。
今の水来にとって、それ以上に恐ろしいことはない。
「うわあああああ」
気合声一閃、水来は砂丘を一気に駆け下りた。
■ □ ■ □ ■ □
「ちっ! まったくしつこい奴らだ。巣を焼き払われたくらいで、あそこまで怒らなくてもいいのに」
バギー車を運転する女性が、バックミラーに映る、怪鳥の群れに舌打ちした。
ミラーに映りこむ女性の顔は、分厚い対砂塵ゴーグルで覆われている。
その全身は、同じく砂塵対策と思しきマントをまとっていた。
マントの裾が、高速走行する車上ではためく。
「大体、あいつらは増えすぎなんだよ。おかげで私たち人間は減る一方だ」
声は水来と同じくらいの若い声である。
「まったく。ジジババ世代も厄介な代物を遺してくれちゃって」
少女が、運転したまま片手を伸ばして、後部座席からライフル銃を取り出す。
銀色に輝くそれは、どこかスーパーカー的なラインを有していた。
「いよっと」
バギー車を安定軌道に載せると、少女はハンドルから両手を離した。
そのまま全身を振り返らせて、白銀の銃口を敵に向ける。
素早い照準動作から、流れるように発砲。
だが、乾いた空気を伝播したのは、貫通音ではなく、硬質な反射音だった。
グゲエ! グゲエ!
怪鳥たちは、少女を嘲るような声で鳴く。
「やっぱりダメか。あの硬い外殻が攻撃をはね返してしまう」
少女が忌々し気に口元を歪めた。
不意に、怪鳥の一匹が急接近して、巨大な爪で車体を切り裂こうとする。
「おっと」
少女は、再びハンドルに手を伸ばして、車をカーブさせる。
敵の攻撃はむなしく空を切った。
「さてさて、どうしたものか? ……このまま村までこいつらをエスコートしたら、流石に親父がおかんむりだろなあ」
怪鳥たちの連続攻撃を受けながらも、少女に慌てる様子はない。
片手運転ですべての爪撃をやすやすと回避する。
「うーん、何かいい方法は? ……あ! そういやアレがあったな」
少女が車のダッシュボードを開くと、真っ赤なマガジンがそこから現れる。
「なんか注意事項があった気がするが、何だったかな?」
少女が慣れた手つきで、マガジンを装填し、銃身側部のタッチパネルを操作する。
「これでダメだったら、あのバカ、一日中しばき倒してやる」
砂丘だらけの道を、一旦運転に専念し、再び道が開けるのを待つ。
バギー車が平地に飛び出した。
少女は、背後に向かって再び発砲。
しかし、弾丸はまたも白い外殻にはじき返される。
グゲエ! ゲゲゲ!
喜色満面の怪鳥たちは気づいていなかっただろう。
着弾と同時に、弾丸に内包されていた高圧ガスが、周辺に巻き散らかされたことを。
それが、怪鳥の羽毛が帯びている、微量の静電気に反応して、一気に燃え上がる。
グゲアアアアアアアアア!?
空が赤々と輝いた。
火だるまになった怪鳥が、きりもみ回転しながら地上に落ちていく。
落着の衝撃で、砂塵が高々と巻き上がった。
ゲェエエエ! ゲシャアア!
仲間の死に、怒りの声を上げる怪鳥たち。
「おお、使えるじゃないか。この焦炎弾とやら」
対照的に、少女は満足げにほほ笑む。
少女は、立て続けに焦炎弾とやらを見舞った。
一射ごとに敵が炎上して、砂柱が上がる。
怪鳥の数はみるみる減少し、残りは五体にも満たない。
それでも、敵が引き返す素振りはない。
「やれやれ。知能が低すぎて自分の窮地を認識できないのか? それとも知能が高すぎて、かたき討ちの概念が生まれてしまっているのか?」
自問しておきながら、少女はその答えに何ら興味を示さない。
淀みない手つきで、再び引き金を引く。
歯車が噛み違えたような、不快な音がした。
「んん?」
銃身に備え付けられたモニタが、つづけて異音を放った。
エラー2の文字が明滅している。
「た、弾詰まりだって!?」
一体の怪鳥が、捨て身の突撃を仕掛けてきた。
「う、うわわっ!」
画面に気を取られていた少女は、一瞬反応が遅れる。
「ぐ、ぐぐぐぐぐ」
超人的な操縦技量で、そのロスを挽回し、敵の攻撃を回避しきる。
しかし、そこにさらなる虎口が待ち構えていた。
残り三体の敵が、一斉に、時間差で爪から突っ込んでくる。
少女に回避ルートは存在しない。
「き、きゃああああ」
少女が悲鳴を上げた。
そして、その声に応えるように、
「うわああああああああ」
水来の気合声が迸った。
「な、何?」
砂丘を駆け下りた水来が、状況に介入する。
「わああああ」
水来が跳んだ。
それは飛翔と表現してもよい程に、人間離れしたジャンプだった。
「うううううわああああああああ」
空中で感情を爆発させる。
水来の全身から、廃病院の時の様に、刃物が飛び出した。
十数メートルはある巨大刃が、怪鳥三体を切り刻む。
「!?!?」
状況はまったく理解できない少女だったが、腕が勝手に、生まれた生存ルートへとバギー車を走らせる。
少女は虎の口元を抜けきった。
「うわあ。うわあ。うわああああ」
着地した水来は、全身から刃物を突き出したまま、最後の一体へと
ゲルルル
怪鳥は、唸りながら水来の頭上を旋回していたが、勝算なしと判断したのか、ゆっくりと遠ざかっていった。
「……ふうう」
水来が安堵の息を吐いた。
感情が静まるのと同時に、巨大な刃が、ゲル状態を経て、身体に収納される。
「だ、大丈夫ですか?」
水来がバギー車の少女に声をかける。
「あれ?」
停止したバギー車には、もはや少女の姿はない。
「!?」
水来の後頭部に硬い感触があった。
水来が怪鳥と戦っている隙に、その死角に素早く回り込んでいた少女が、今は水来の後頭部に、予備の拳銃を突き付けていた。
「あんた。……何?」
灼けるような敵意を含んだ声だった。
敵意の源は恐怖である。
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