第2話「天理ラーメン事件」 (お題D42『奈良』より)

 私の通っている女子校は聖女学院という。聖・女学院ではなく聖女・学院で区切る。名前が示すようにカトリック系の学校で、聖女ジャンヌ・ダルクが崇敬の対象になっている。ジャンヌ・ダルクのように清く気高く美しく、そして強い女性を作るのが我が校の目指すところだ。


 一学年はAからEまで五クラスに分かれていて、そのうち高等部からの外部進学者四十名はA組にひと固まりに配置されている。、中等部上がりと外部生との授業進捗状況のギャップを埋めるのと校風に馴染ませるのを目的として、外部生は一年間だけ外部生だけのクラスに入れられて二年生からは内部生と一緒のクラスに入れられることになっていた。


 ちなみに余談として、一説にはA組のAはAlien(よそ者)のAを意味すると言われているが、清く気高く美しく強い女性を目指す内部生たちは私たちをよそ者扱いするという陰湿なことはしない。委員会活動でも内部生たちは結構フレンドリーに接してくれるから何かと助かっていた。


 A組の教室に入ると、私が挨拶する前に「おいーす!」と陽気な声が飛んできた。


「おはよーすずちゃん。今朝はやたらと機嫌いいね」

「今日のさそり座の運勢は一位だったからな! 今日一日は確変モードで良いことがバンバン起きるぞー!」


 と言った側からきゃははは、と林家パー子みたいな甲高い笑い声を上げた。


 この子は雀地美鈴すずめじみすずという。苗字と名前に「すず」が入っているからあだ名はすずちゃん。三つ編みの髪型に黒縁眼鏡と見た目だけは学級委員長か図書委員なのに、口を開けば雀のようにピーチクパーチクととめどなく言葉が溢れ出る明るい性格の持ち主だ。


 まだ教室には五、六人ぐらいしかいない。すずちゃんは顔を近づけて小声で言ってきた。


「どう? カナメっちとは上手くやってるかい?」


 私とカナメの同居は周りに知られると非常に厄介だ。だけどすずちゃんだけは例外として、私たちの秘密を知っていた。


 では彼女がどういう経緯で私とカナメとの仲を知ったのか。それは入学仕立ての四月に遡る。


 *


 土曜日、私はカナメと一緒に食事に出かけていた。


 もちろん二人連れ添って歩いているところを誰かに見られるわけにいかないので、カナメは電話ひとつで桐生家から運転手付きの車を出してもらった。さすが大金持ちだ。


 黒塗りの高級車は高速道路に乗って、制限速度を越えない安全運転で走っていく。


「どこまで行くの? 高速使ってまで」

「ふふっ、今日はちょいと刺激的なものを食べようと思うんだ」


 カナメが不敵な笑みを浮かべた。


「刺激的ねえ。どんな食べ物なんだろう」

「少なくとも、外出は控えた方がよろしいとだけ申し上げておきます」


 運転手の小森さんがボソっと言った。若干二十三歳の若い女性運転手はどういう食べ物なのかよく知っているらしい。気になるけれど、敢えてそれ以上聞かなかった。わかったら楽しさ半減だし。


 半時間ほど高速を走ってインターを降りてすぐのところに、目的の店はあった。


 それは和食でも洋食でもなく、ラーメン店だった。そこには『この地域で奈良県名物天理ラーメンが食べられる唯一の店!!!!』という大きな看板が掲げられていた。


「天理ラーメン……?」

「君、ラーメンが好きだって前に言ってたよね? 天理ラーメンは初めてかな?」

「カナメは食べたことがあるの?」

「ふふっ、実は何度もね」


 高級なレストランが似合いそうな風貌なのに、ラーメンも好きだったとは意外だった。


「で、天理ラーメンって?」

「中に入ればわかるよ。さあ」


 カナメが車から降りるように促した。


「あれ、小森さんは降りないの?」

「私は遠慮しておきます。口に合いませんので」


 小森さんはニコッと笑った。


 天理ラーメンの正体はすぐにわかった。テーブル席に着いた私たちはメニューを広げ、そこに載っている写真と説明書きを見た私はどんなラーメンなのかを把握した。


 とんこつと鶏ガラをベースにしたスープに白菜とニラと豚肉が入っていて、ニンニクをふんだんに効かせている。味はめちゃくちゃ濃そうだけど私の好みではある。ただきつい口臭は覚悟しなければなるまい。小森さんに外出は控えた方がよろしいと言われた意味が理解できた。


「カナメのイメージとは正反対の料理ね」

「ははっ、もし聖女の子たちに食べてるところを見られたら幻滅するだろうな」


 冗談もほどほどに、私とカナメはラーメン大を注文した。どうせ口が臭くなるのだからボリュームが多い方を選ばないと損だ。


「天理市って日本で唯一の宗教都市なんだっけ?」

「そうだよ。昔は岡山に金光こんこう教の名前を冠した金光町があったけど、市町村合併で浅口市になっちゃったから、今じゃ天理市は宗教団体の名前がついている唯一の都市だね」


 そこから少し天理教の話になったのだが、この天理ラーメンも元々は天理教の信者向けに作られたメニューなのだそうだ。


「うーん、天理教御用達の料理をカトリック系学校に通う私たちが食べていいものなんだろうか」

「何ともないだろ。私たち、カトリックの学校に通っているだけで信者じゃないんだし。ラーメンのたかが一杯、イエスさまもマリアさまも聖女ジャンヌ・ダルクも笑って許してくれるって」


 この話、シスターが聞いたら嘆くだろうなあ。


「はい、ラーメン大お待ちどうさまです!」


 どんぶり二つがテーブルの上に置かれた。匂いからして濃厚さが漂ってくるスープに、白菜とニラの白と緑が色彩的なアクセントを添えている。


「「いただきます」」


 私とカナメは、スープから手を付けた。ニンニクどころか、唐辛子も効いていて辛い。でもこの味、私は好きだ。


「ううん、これはなかなかパンチが効いてるわね」

「だろう?」


 そこからはあまり会話らしい会話もしなかった。吹き出る汗を拭いつつ、麺と豚肉と白菜とニラを、そしてスープをかきこんでいった。


 完食まではあっという間だった。


「あー、美味しかった。たまにはこういう刺激的なものも食べないとね」


 カナメは優雅な所作で口元を拭った。


「本当に美味しかった。周りに教えてあげたいけど、それじゃカナメが来れなくなっちゃうよねー」

「ここは二人だけの秘密の場所だな、ハハッ」


 カナメは伝票を取ってレジに向かおうとしたので、私はその手を取った。


「私も出すわよ」

「良いって。ここは私が払うから」


 軽く押し問答をしていたときだった。


 聖女学院の生徒はお嬢様だらけで、ラーメン屋、ましてや車でも半時間以上かかる場所まで足を運ぶ生徒なんかいない。それは決して私の勝手な思い込みではなかったはずだ。


 だけど、現に見られてしまったのだ。同じA組の雀地美鈴に。


「ええっ、八色さん!? 何で桐生さんとこんなとこにいんの!? もしかして密会!?」

「ちょ、ちょちょちょっと。ねえやっぱお金出しといて!」


 私はカナメに会計を頼むと、すずちゃんをトイレに連行した。


 すずちゃんはたまたま私たちが通った天理ラーメンの店を見つけて、わざわざ電車とバスを乗り継いでさらに徒歩二十分かけて食べにきたらしい。


「まさかこんなところまで遠征しに来るなんて思わなかったよ……」

「ああ、あたしこそ何か、大声ではしゃいでごめんな」

「その、密会とかじゃないとだけ言っておくわ。これ、絶対内緒だからね」


 私はカナメとの関係を簡単に説明してあげた。


「そういうことか。人気者が間近な人間だと辛いねえ。わかった、この雀地さん、神様に誓って誰にもしゃべらないから」

「ホント、誰にも言わない?」

「あたしがおしゃべりだからって警戒してんなあ。よし、じゃあ等価交換であたしも秘密を暴露しよう」


 何だ? 私は身構えた。


「実はあたし、天理教の信者なんだ」

「え?」

「当然親も熱心な信者なんだけど、他宗教の考えも知って視野を広げて来い、って言われて聖女に入ったの」


 天理ラーメンは、天理教本部に参拝しに行く折にいつも食べているお気に入りの料理だと言った。すずちゃんは寮暮らしだけれど、無理すれば足を運べる範囲に天理ラーメンの店があると知って居ても立ってもいられなくなり、遠征に及んだのだそうだ。


「ドン引きした?」

「いや、しないわよ。そもそもウチの学校、カトリックの非信者が大多数なんだし。仮に私がすずちゃんが天理教信者だと暴露してもふーん、で終わるんじゃない? だけど私がカナメと二人きりで食事したなんて取り巻きに知られたら……」


 ジャンヌ・ダルクのように火炙りにされかれない。半ば本気でそう思った。


「そんな深刻な顔つきしなくても安心しなよ、絶対に黙っておくから、な?」


 すずちゃんは笑って、肩を叩いた。カナメの爽やかな笑顔とはまた違った感じだけれど、人の心にするりと入っていくような、そんな笑顔だった。


 *


「ま、ぼちぼちやってるわよ」


 私はすずちゃんに答えた。


「うむ、夫婦生活円満なのは良いことだ」

「誰が夫婦よ」


 きゃははは、とまた林家パー子みたいな甲高い笑い声を立てたから、クラスメートたちが何事かと言わんばかりにこちらを見てきた。


「ちょっと落ち着こう」

「ん? うるさかった? ごめんごめん」


 すずちゃんはまた小声になって、こう言うのだった。


「今度の土曜、ラーメン食いに行こう。カナメっちも誘ってさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る