1-8

 有紗は美咲を放って奈保が待つソファー席に向かった。奈保が眉をひそめてレジ前にいる美咲を指差す。


「あれって美咲?」

「うん。変わってないよね」


有紗は美咲に背を向ける形でソファーに座り、温かいキャメルマキアートを飲んだ。

心臓の動きが異様に速いのは、美咲に会ったことで封印していた1年前の記憶が今にもフラッシュバックしようとしているから。

1年前とこの前の……


「有紗っ……! 美咲がこっちに来るよ」


 奈保に小声で囁かれて有紗の心臓が緊張で脈打った。

男を引き連れた美咲が有紗達の席の前で仁王立ちする。美咲から香る安っぽい香水の香りに気持ちが悪くなりそうだった。


「あんた変わったよねー。家出してぇ、ネカフェ暮らしで学校サボってたくせに今はマジメに学校行ってるんだぁ?」


美咲がわざと大きな声を出して店内の客の視線を有紗に集める。たまらず奈保が立ち上がり、美咲と有紗の間に割り込んだ。


「ねぇ、なんなの? 学校辞めたあんたが有紗に色々言える立場?」

「別にぃー。ただちょぉーっと有紗に言いたいだけなんだよねぇ。だって去年、先輩達が殺されたのってぜーんぶ有紗のせいなんだもん」


笑いながら大声を出す美咲の隣にいる男も下品に笑った。


『殺されたってマジ?』

「マジだよぉ。うちの学校の先輩達、超かわいそうなんだよ。この子のためだけに四人も殺されちゃったの! しかも殺した犯人はうちの学校の担任で有紗の叔父さんだって! そいつ、有紗の母親も殺してるんだよ、ヤッバーイ」


 有紗はうつむいて耳を塞いだ。

ヤメテヤメテヤメテ、思い出せないで


「この前の佐伯がケイムショから逃げ出して学校で暴れたってアレも、あんたのせいなんでしょぉ? あんたが狙われてるんだもんねぇー」


美咲の耳障りなセリフが突き刺さる。


「もういい加減に……」

『お客様。他のお客様のご迷惑になります。店内ではお静かにお話ください』


 奈保の声に重なって加納の低く抑揚のない声が聞こえた。顔を上げた有紗の視界にはすぐ側に立つ加納の姿がある。


「えー? 私が話始めたらみんな静かになっちゃったけど? ニュースで大騒ぎになったネタだからみんな興味あるんじゃない?」


美咲の小馬鹿にする笑い方が引き金となり、有紗の中で何かが切れた。

うるさい、うるさい、黙れ。あんたなんかに……


「あんたに何がわかるのよっ!」


 大声で叫んだ有紗の豹変に美咲や奈保、加納も驚きの表情になる。


「いなくなったお母さんが骨になって見つかった時の私の気持ちわかる? お母さんを殺されて自分も殺されそうになった私の気持ちがあんたにわかるの?」


冷え冷えと響く自分の声。止まらない、歯止めが効かない。


目の前には狂った男

突き付けられた拳銃

骨になった母親

“見ぃーつけた” 血の飛び散る顔でニヤニヤ笑うアイツがナイフを振り上げる――


「何にも知らないくせに! 何にもわからないくせにっ! 好き勝手なこと言わないで!」


 頭の中に次々と流れる嫌な記憶。美咲に叫んでいるのか誰に叫んでいるのかもうわからない。


「な、なによコイツ……逆ギレ? 意味わかんない。……行こっ」


有紗の豹変にたじろいだ美咲は男を連れてそそくさと店を去った。目の前から美咲が消えても一度頭の中に流れ出した記憶は消えない。


(私のせい……私のせいでみんな死んじゃった。優しかった愛先輩も……この前も私のせいでみんなが傷付いた)


どんどん、どんどん、流れてくる。フラッシュバックが起きる。


「有紗っ! 有紗しっかりして!」


 奈保が有紗の身体を支えても立っていられなくなった有紗は床に膝をつけた。寒気がして身体の震えが止まらない。

頭が痛い。呼吸が苦しくて息ができない。嫌な記憶は流れ続ける。


『おい、大丈夫か?』


無愛想でムカつくあの店員の声も遠くに聞こえた。


(早河さん……助けて……)


意識が途切れる寸前に感じた温かい胸元。包まれた優しいぬくもりの感覚は早河に似ていた。

また早河が助けに来てくれたのかと思ったがそうじゃない。


(馬鹿だな私。振られたのに失恋したのに、まだ早河さん離れできてない。早河さんはもう私のヒーローじゃないのにね……)

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