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12月22日(Tue)午前11時


 帰りのHRの挨拶が終わる。今日は終業式、明日から冬休みだ。


「有紗ー。支度できた?」

「うん」


友人の江口奈保が有紗の席に駆け寄って来た。有紗はコートを羽織ってマフラーを巻く。


「やっぱり昨日から元気ないね。何かあった?」

「実は失恋しちゃいました」

「えっ……あの探偵さん?」


奈保に向けて頷いた。有紗と奈保は生徒達が行き交う廊下に出る。


「結婚するんだって。クリスマスまでには婚姻届出すって言ってた」

「そっかぁ。結婚……それはキツイね」

「ね。あの二人付き合ってるのかなぁくらいの覚悟はしてたんだけど、いきなり結婚までいくとは思わなくてさぁ。そこまでは心の準備できなかった」


昇降口を出ると冷たい風が頬に当たって二人は身を竦めた。


「そりゃそうだよ。私だったら好きな人が結婚なんてなったらショックで寝たきりになっちゃう」

「私も寝たきりになりたかったよ。日曜日は泣きまくってちょっとすっきりしたけどね」

「電話してくれればいいのに。水くさいなぁ」


 勢揃坂せいぞろいざかに出た道で奈保が有紗の腕を組む。有紗は微笑して奈保にすり寄った。


「ありがと。奈保に電話したかったけど、受験勉強がんばってる奈保の邪魔したくなくて」

「有紗からの電話なら塾も休むし勉強も後回しにして何時間でも話聞くよ。よしっ! 今日は私がたくさん話聞くからね」


奈保の優しさが嬉しくて有紗はまた泣いてしまいそうだった。


「ねぇ、あそこ行こっ。いつもの恵比寿のカフェ!」

「え、あそこ?」


 奈保の提案に有紗はわずかに躊躇した。恵比寿のあの店にはあの男……加納がいる。


「どうした? ダメ?」

「ううん。そうじゃないよ。行こっか」


恋に傷心している時にあの無愛想店員の顔を見れば余計に不快感が増しそうで今はあまり行きたくないが仕方ない。


(あの人、大学生っぽいしこの時間はまだバイトじゃない気もする。どうか加納がバイト入っていませんように!)


 カフェに行く前にゲームセンターでプリクラを撮った。今日が終業式の学校が多く、有紗達と同じく学校帰りに街で遊ぶ学生の姿が目立っていた。

クリスマスを間近に控えて、街はどこもかしこもクリスマスの飾りで溢れている。


(クリスマスまでに婚姻届出すならもう出したのかな……)


奈保と遊んでいてもどうしても早河のことを考えてしまう。失恋の傷はまだ癒えそうもない。


 渋谷から恵比寿に出て、駅前のあのカフェに到着した。外から店内を見ると今日は高校生も多い。


「混んでるね。どうしよう?」

「ここまで来たんだし入ろう」


本当は他のカフェにしようと奈保に言おうか迷ったが、この店の雰囲気が有紗は好きだった。それに店を目の前にするとここのキャラメルマキアートが無性に飲みたくなった。


(加納がいてもいなくても、もうどっちでもいいや)


しかし注文待ちの列に並んでいても無意識に加納の姿を捜している自分に戸惑う。加納の姿はレジにも店内にもなく、注文を担当してくれた店員は愛想のいい女性店員だった。

いつもここにいる人がいないと、なんだか寂しい。ホッとしているのに物足りなさも感じる。

あの憎たらしいほど無愛想な店員がいないと、この店に来ている気がしなかった。


 奈保が空いているソファー席を確保した。有紗は奈保の分といつものキャラメルマキアートが出来るのをレジカウンターの隅で待つ。


「加納くーん。交代、交代」


かのう、の三文字に有紗の耳が反応する。有紗の接客を担当した女性店員が厨房の方に声をかけていた。


『また来たのか』


有紗の予感は的中した。厨房から現れた加納は女性店員と交代してレジに入ると有紗を一瞥する。


「来ちゃ悪いですか。こっちはお客さんですよ」

『別に。よく来るから高校生はよっぽど暇なんだなと思って』


 加納は澄ました顔でエプロンの歪みを直している。よりによって今日も会ってしまった憎たらしい男に向けて有紗は心の中であっかんべーと舌を出した。


 キャラメルマキアートと奈保のチョコレートモカを受け取ってレジ前を去ろうとした時、注文の最前列に並んでいた女が有紗を見た。


「あれー? 有紗じゃん」

「……美咲?」


 名前を呼ばれた有紗は顔を強張らせた。そこには去年、聖蘭学園を退学した元クラスメートの古賀美咲がいた。

キャバクラ嬢の髪型のような頭部が盛り上がった傷んだ金髪とアイメイクの濃い目元も去年と変わらない。美咲は男連れで隣にいる男も金髪の派手な男だった。


美咲は聖蘭学園の制服姿の有紗を見てせせら笑う。


「あんたまだコーコーセーやってたんだ。意外ぃー。髪もそんなに黒くしちゃってさぁ、今さら何イイコチャンぶってるの?」


有紗は無言で冷たい視線を返した。言い返すのも馬鹿馬鹿しい。レジにいる加納が有紗と美咲の間に漂う張り詰めた空気をどう感じたかは不明だが、彼はカウンターからわずかに身を乗り出した。


『お客様、ご注文はお決まりでしょうか?』


 美咲に営業用の愛想を振り撒く加納に今は救われた気持ちになる。

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