13.遭遇

10月11日(Tue)午後12時20分


 明鏡大学の学食に続々と学生が集まっている。午前中に行われた就職セミナーの参加を終えた学生達がセミナーの最中に書き記したレポートや企業案内のパンフレットを見て感想を言い合っている。


 学食の片隅で母親の手作り弁当を広げた芽依の側に友人の理江子りえこが駆け寄って来た。理江子はセミナーで貰った企業案内の資料でパンパンに膨らんだファイルを抱えている。


「ねぇねぇ、芽依。さっき中庭に変な人がいたよ」

「変な人?」


芽依はおかずのミートボールを口に入れて咀嚼した。今日のメインは弁当箱いっぱいに詰まったオムライスだ。


「総合文化学部2年の清宮芽依さんについて何か知りませんかー? って女の人が聞き回ってるの」

「なにそれ不審者?」


傍らで話を聞いていた夕美が眉をひそめた。理江子は見かけた女の姿形を身ぶり手振りで表現する。


「不審者って感じじゃなかった。ジャケット着ててぇー、茶髪の髪を後ろで縛っててぇー、メモ帳持ってウロウロしてたからマスコミっぽい」

「なんでマスコミが芽依のこと聞き回ってるの? 芽依、心当たりない?」


 夕美に聞かれても芽依は首を横に振るしかない。マスコミに追いかけられる心当たりはない。しかし拭えない胸騒ぎは何?


(マスコミがどうして私のことを……)


心当たりがあるとすればひとつだけ。養子縁組をして新しい姓と新しい生活を手に入れても消せない芽依の過去。

自分が10年前の殺人事件の被害者遺族である事実は消そうとしても決して消えない過去だった。


        *


 同時刻の明鏡大学中庭。明鏡大学卒業生の松田宏文は中庭のベンチに腰を降ろして、きっちり締めていたネクタイを緩めた。


『あー……緊張した』

「お疲れ様でした」


明鏡大学4年生で松田の後輩の浅丘美月も彼の隣に腰掛ける。松田はベンチの背にもたれてペットボトルの飲料水を勢いよく飲み干した。


『就職セミナーに自分が呼ばれるとは思わなかった。噛まずにちゃんと言えてた?』

「バッチリでしたよ。先輩お得意のなんでもミステリーにしてしまうミステリー節も炸裂していましたね」


 今日の午前中に学部の2年、3年を対象とした就職セミナーが行われた。セミナーには明鏡大学のOB、OGの講演もあり、松田はOB代表として登壇して在校生の前でマイクを握った。


学部4年の美月はセミナーの運営側に回って舞台袖で松田の講演を聴いていた。

彼がどのように就職活動を進め、どうして今の会社への就職を決めたのか、面接やエントリーシートでのアピールポイントや就職先ではどんな仕事をしているのか、すでに就職先の内定が出ている美月にとってもこれからの参考になる話だった。


『昼飯どうする? 久々に学食も悪くないけど。どこかに食べに出るとしてもこの時間だとどこも混んでるよなぁ』

宮益坂みやますざかに新しく出来たテイクアウトのサンドイッチが美味しいですよ。あそこは皆ほとんどテイクアウトにしちゃうからイートインスペースが空いているんです」

『よしっ。美月のセレクトにハズレはないからね。そこに決まり』


 ベンチを離れて正門に続く並木道を歩いていた美月と松田の側を女が通り過ぎた。すれ違った時には美月はその女の存在を気にも留めなかった。


「総合文化学部の清宮芽依さんのこと知ってる?」


だが後方からそんな声が聞こえて彼女は足を止めて振り向いた。数メートル後ろにすれ違った女がいる。女は二人組の女子学生に話しかけていた。

美月よりもいくらか年上に見える女は紺色のジャケットにグレーのパンツスタイル、手にはメモ帳を持っていた。女に話しかけられた女子学生二人は戸惑いがちにかぶりを振って去っていく。


「先輩、お昼ご飯少し待ってもらってもいいですか?」

『いいよ。行っておいで』


 美月の突拍子もない行動に慣れている松田は不服の顔も見せずに彼女を見守る。美月は道を引き返して、いまだメモ帳片手にうろつく女に近付いた。


「失礼ですがどちら様でしょうか。清宮芽依さんに何かご用ですか?」

「あなた清宮さんの知り合い?」

「私の質問に答えてください。見たところ学校関係者ではなさそうですが、どちら様ですか?」

「ああ、ごめんなさい。私はこういう者です」


女は少々たじろいで美月に名刺を渡した。

美月は女の名刺をじっと見つめる。美月の横から松田も名刺を見下ろした。

名刺には風見新社 社会部 西崎沙耶と書いてあった。


「風見新社、社会部……出版社の方ですか?」

「社会部の記者をしております」


 沙耶はにこやかに微笑んだ。嘘臭い笑顔だった。


「記者の方がどうしてうちの学校に来て学生について調べるようなことを?」

「あなた学生さん? もしかして先生?」

「学部の4年です」

「そう。しっかりしてるわね。ここへは清宮芽依さんへの取材依頼に来ました」

「取材? 何の……」

「それはお答えできません。ただ清宮さんにお会いする前に今の彼女がどんな方なのか、少し気になって。恥ずかしがりやだったり神経質な方だと取材のアプローチも考えなければいけませんので。彼女の人となりをリサーチしていたの」


“今の彼女”の表現が気になったが、美月が口を開く前に松田が一歩前に出た。


『文芸や芸能などのカルチャー部門の方が大学生に取材するのならばまだわかりますが、社会部は事件や時事問題を扱う部署ではありませんか? そんな部署の記者が大学生に取材とはどういった趣旨の取材です?』


 松田に詰め寄られた沙耶は心の中で舌打ちする。この二人はこれまで話しかけた学生と違ってなかなか鋭いところを斬り込んでくる。

そうそう大学生相手に負けていられない沙耶は反撃を試みた。


「先程も申しました通り、取材内容は清宮さん以外には明かせません。あなたが清宮さんの名前に反応したということは彼女のお知り合い?」

「清宮さんはサークルの後輩です」

「彼女とは親しい間柄?」

「取材の目的を話していただけるのなら清宮さんのこともお話ししようと思いましたが、取材目的は明かせないんですよね?」


ボールペンを掴んでメモの準備をする沙耶を一瞥して美月は沙耶の名刺をバッグに入れた。同じ質問を繰り返す美月に苛立った沙耶の眉間にはかすかにシワが寄る。


「ええ、そうよ」

「では私から話すことは何もありません。これ以上、構内をうろつくようなら学校側に報告しますよ」


 呆気にとられた沙耶を置いて美月は松田と共に並木道を歩いていった。無性に悔しくなった沙耶は二人を追いかけて呼び止めた。


「ちょっと待って。あなたはフェアを求める方のようだから言うけど、私はあなたに名刺を渡して身分を明かしました。でもあなたは学年を名乗っただけで私はあなたが誰か知らない。これはフェアではなくない?」

『それは屁理屈というものじゃ……』

「先輩。いいんです」


抗議する松田を美月が止める。物怖じしない堂々とした佇まいから感じる他の学生とは一線を画すこの女子学生のことを沙耶はもっと知りたくなった。


「総合文化学部4年の浅丘美月です」

「アサオカミツキさん。ありがとう。引き留めてごめんなさい。今日のところは失礼しますね」


 メモに美月の名前を書いて沙耶は二人よりも先に大学を出た。大学の敷地をぐるりと囲む歩道の端に寄り、提げていた大きなバッグからタブレット端末を取り出した。


(アサオカミツキ……あの名簿にあったかな)


画面をタッチして起動したタブレットから目的のデータを閲覧する。表示されたデータは明鏡大学ミステリー研究会の今年の会員名簿。


 国井のツテで調べてもらった結果、清宮芽依は明鏡大学の総合文化学部に通っていることがわかった。所属サークルはミステリー研究会。

そして国井はさっそくミステリー研究会の名簿を入手してきた。彼がどのようにしてサークル名簿を入手してきたのかは触れない方がいいだろう。


タブレットの画面をスクロールして画面を切り替える。ミステリー研究会所属学生の一覧から浅丘美月の名前をみつけた。

美月の横には前副会長の記載がある。


「副会長ねぇ。どうりでしっかり者の優等生って感じだったな。一番苦手なタイプ……」


沙耶は専用のタッチペンで画面の浅丘美月の名前に丸印をつけた。

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