第14話 旦那様と小学生

 初夏だというのに、肌寒い日が続く季節となったある日のことだった。

 朝から先輩はげんなりしていて、いつもの元気さが無かった。

 「先輩、どうなさったのですか?」

 おずおずと聞いてみる。

 「え…何が?」

 「お顔の色、悪いように見えますけど」

 もしかして、二日酔いにでもなったのかな?

 あれ?でも、昨日はお酒飲んでなかったよね?

 他に先輩が気を悪くするようなことがあるとすれば……

 「あんたの旦那ね」

 「あ、はい。何かしでかしましたか?」

 予想通りの展開だった。

 「夜中ずっと煩かったの、なんのって。

 頭に響いて眠れなかったのよ………」

 「ええっと、つまり……」

 先輩は寝不足です。

 旦那様、何をどうしたらそんな風に他神よそに迷惑かけるのでしょう? 

 「あ、それから」

 「はい」

 「あなたの旦那ね、暫く家に戻れないから。」

 「そうですか。」

 私は少し残念な気持ちになった。

 旦那様が居られないのは寂しい。

 でも、何か帰って来れない理由があるみたいだし、以前のように何の連絡もなく家を空ける、ということはなくなった。

 これも先輩のお陰様と思う。

 「寝不足でしたら、睡眠薬でも飲みますか?」

 「ううん。ゆいちゃんのご飯食べたら、横になるわ。ありがと。」

 先輩は青ざめながらも、微笑んで下さった。

 今日は先輩お休みではないので、会社に連絡しておかなければならない。

 私は先輩がお部屋に戻られたことを見届けて、会社に連絡した。


 今回の分の包装作業を終えると、時刻は夕方になっていた。

 先輩はお昼を食べに来られたけれども、いつもより少なめで、小用以外はお部屋でお休みになられていた。

 お昼には顔色が良くなっていたので、明日には元気になれるかな、と考える。

 今日は先輩と二人なので、難しい料理にせず、簡単なものにしてお酒のおつまみになるものでも買ってこよう、と決めて外に出た。

 買い出しが終わり、家に戻ると、先輩はリビングルームのソファで横になりながらプロ野球中継を観戦なさっていた。

 「先輩、体調は宜しいのですか?」

 「うん、もう大丈夫。

心配かけてごめんね。ご飯手伝おうか?」

 「今日は簡単なものにするので、先輩はそこで観ていて下さっていいですよ。」

 「ほんと?悪いわね。」

 先輩は眉を吊り下げて、申し訳ない、というお顔をされた。

 私は平気なので、笑みで返す。

 『ヒットーーー大きいです!』

 「あ。えっ?ええええ???」

 『なんと!ワン塁ホームランを打ちました〜〜』

 「嘘でしょ〜〜〜〜!?」

 先輩の応援する野球団は、劣勢を強いられていて、先輩は大層残念がっていた。

 「次は打たせないわよ〜〜!」

 先輩は拳を握ってやんやと応援なさっていた。


 旦那様がお戻りになられたのは、それから数日経った頃のことだった。

 いつものお店で買い物をして帰路につくと、旦那様が公園の入り口前で、小学生の男の子と向かい合うようにして立っておられていた。

 男の子は下校途中のようで、黒いランドセルを背負い、旦那様に向かって口を尖らせて睨んでいた。

 対する旦那様はもっとお顔を険しくされており、見下して男の子をじっと睨みつけていた。

 二人のただならぬ雰囲気に、私は慌てて両者の間に入った。

 「ちょ、ちょっと旦那様、子ども相手に何なさっていらっしゃるのです?

 あの。きみ、大丈夫?」

 男の子に声を掛けると、その子はあっかんべーして、走り去ってしまった。

 まるで嵐が去ったような静けさに、私は困惑した。

 旦那様を見ると、眉間に皺を寄せて、向こうへ走り去った男の子の方向へ睨みつけていた。

 「………旦那様?」

 流石の私も、この旦那様の態度は如何なものかと思います。

 旦那様を目を細めて見ていると、旦那様は私に向かって戸惑っていらっしゃった。


 「どうなってるのよ!!もう!!」

 帰ってくると、ものすごい剣幕で先輩が旦那様に詰め寄ってきた。

 「あっちで雷落とさないでって、何度も、なーんーどーも言ってたでしょーがーーー!」

 どうやら旦那様は雷を落としていかれたらしい。

 気が付けば、外の雲行きも怪しくなってきている。

 「……煩い」

 「何よ!その態度!!あっちこっちで雷落としたら、どうなることくらい、あんただって分かってるでしょーが!この『ボンクラ息子』!!」

 旦那様は眉間に皺を寄せながら、先輩の次々と出てくる悪態を受け流しておられていた。

 今日の旦那様は、私にも睨まれてしまったので、相当凹んでおられた。

 「で?」

 「『で?』とは?」

 「だから、なんで、雷を、落としたのかって、聞いてんよ!!!」

 今度は先輩が感情を爆発させて、本当に雷を外に轟かせた。

 「先輩、そろそろ、落ち着いて下さい。」

 ほら、好きなお酒買ってきましたから。

 怒りで震える先輩に、酎ハイをお渡しすると、先輩は文字通りした。


 「旦那様、そろそろ聞かせて頂けませんか?」

 先輩の雷が消失したのは、1時間程かかった。

 私達はテーブルを挟んで、旦那様と向かい合うようにして座っている。

 「ちゃんとした、理由があったんですよね?」

 私も内心呆れていたけれども、旦那様にも理由があると踏んでいた。

 「『地龍』の力が欲しくてな。」

 はい?

 「このままでは、私の身が持たない。」

 「………」

 全く話が見えてこない。

 『地龍』さんて、龍神様のことだろうか?

 「あのね『バカ息子』、『地龍』に何させようとしているのか、ちゃんとゆいちゃんに話さなきゃ、駄目でしょう?」

 先輩が口を挟んで、旦那様は深く息を吐いた。

 「『地龍』を遣って、ここに『鎮まる』つもりなら、私は大反対だけども。」

 「えっと、それは、つまり」

 『地鎮祭』という言葉がある。

 この地に留まり、人々の繁栄が続きますように、というお祭りのことだ。

 「あのね、いくらゆいちゃんにベタ惚れてしていてもね、そこまでするのは、どうかと思うよ、私は。」

 「………」

 何も言えない。

 恥ずかし過ぎて、何も言えなくなった。

 先輩が、俯いて黙り込んだ私の代弁をするかのように、なるべく、丁寧に、落ち着いて説得なさっていた。

 「そりゃ、そんな理由じゃ『地龍』が許すはずないでしょう?

 大体あんたは甘いの。考えが足りないの!わかる?迷惑被るのは、こっちなんだからね?

 そもそも『地龍』が許しても、ここの氏神達は許さないと思う。そんなこと、許されるはずがないわ。あって、たまるものですか!!いくらなんでも、一人の女のためにそんなことがあったら、世界中が破滅するわ!!」

 はぁ、はぁ、と息巻いた先輩に、私は無言で追加の酎ハイを差し出した。

 先輩は受け取るとした。

 あちらの世界のことは私にはよく分からないけれども、自身の都合だけで動くのは危険ということなんだろうな、と私なりに解釈した。

 ちびちびとお茶を飲んでいると、旦那様が大きくため息をついた。

 「『水龍』だけでは足りない。」

 「『修行』のこと?」

 「そうだ。どうしても『地龍』の力も必要だ。」

 先輩は少しずつ頭が冷えたようだ。

 顔つきが真剣なものになる。

 「私だけでは足りないってことは、充分承知よ。だからこそ早く『火龍』を見つけてもらいたいの。

 私の『情報網』に、あいつは引っ掛かったりしないわ。」

 「『火龍』については、心当たりがある。探るためにも『地龍』の力が必要だ。」

 「『あのコ』は、あんたに協力しないでしょうね。」

 先輩は柿ピーをひと粒とると、口の中に入れた。

 「毎回毎回、もう少し感情抑えて行動出来るようになってもらわないと、他の『龍』に協力求めようなんて、無理だわ。

近所迷惑だもの。

『火龍』を探すのが先決よ。」

 旦那様は腕を組んで考え込むと、ゆっくりと息を吐いた。

 「……努力する。」

 先輩はその言葉に一抹の不安を抱いたようだった。

 

 考えてみれば、私にはまだまだ知らないことが一杯あるんだな、と思う。

 でも、旦那様も先輩も全てを教えては下さらない。

 きっと、私が知らなくてもいいことなんだと思う。

 これまでは知らなくていいことがあっても、平気だと思って過ごしていたが、今日は少し違った。

 先輩と旦那様の会話を思い返しながら、私には今何ができるか、考えてみた。

 すると、部屋のノックがした。 

 扉を開けると、旦那様が佇んでおられた。

 「どうなさいました?」 

 旦那様は視線を逸らして、頬をほんのり紅くされている。

 言おうかどうしようか、恥ずかしくて言いにくい、というような表情をされていた。

 私は旦那様の見えない葛藤を察して、答えが出てくるのを待った。

 「言ってなかった、と思って…」

 首を傾げる。

 旦那様がそわそわして、周囲に先輩がいないことを、確認している。

 「『ただいま』と、言ってなかった……」

 思わず私は吹き出して、声を出して笑ってしまった。

 「いいんですよ、そんなこと。

 ご無事で何よりです。旦那様。」

 満面の笑みを向けると、旦那様は私を抱き寄せた。

 私も旦那様の背中に手を回した。

 旦那様には分からなかっただろうけども、私は全身が火照るのを感じていた。

 「お帰りなさいませ、旦那様。」

 

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私と旦那様 花もも @ho_sia023

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