第13話 住処
「旦那様、お話がございます。」
私は手に蓮花の花束を持っていた。
私達二人は、一面蓮花畑の異空間に滞在していた。
はしゃいでいた気持ちが段々と薄れていったのは、先輩のメールを読んでしまったからだった。
旦那様はよかれ、と思ってなさっているのだろう。
しかし、私のためにと思って使うこの力が、どうこの国に影響するのか計り知れない。
真実を知ってしまった以上、私も旦那様の暴走を止めるべきだと思った。
「この間家にいらした、えりさ先輩なのですが」
旦那様の優美な眉の間に皺が寄った。
「
旦那様の目が大きく見開いた。
「部屋も余っておりますし、先輩に来て頂いた方が、私も楽しいひと時を過ごせますし」
そして、何よりも
「………旦那様、もう少し周りを見ましょう。」
旦那様のために。
旦那様はお一人で彷徨い、私に縛られてこれまで過ごして来られた。
旦那様は高く尊いお方。
その方が一人の女に現を抜かしてはならない。
国を滅ぼすきっかけにさえ、なってしまう。
そうならないためには、旦那様を支えてくださる力が、どうしても必要だった。
「本当は……」
旦那様をしっかりと正面から見つめる。
「本当は、旦那様もお分かりでしょう?」
それに、そんなに互いを支え合う存在だというのであれば、人と『龍神』様に違いはないと思う。
「先輩は、私達の為を思って言って下さった。それを反故にしてしまうのは、先輩の忠誠に背くことになりませんか?
裏切ることに……なりませんか?」
私は俯いた。
現実逃避、という言葉がある。
精神の病に侵され、楽しむひと時が過ごせなかった私に、旦那様は楽しい時間を与えてくださった。
でも、それは、本当のことのようで、自分自身についた「嘘」なのではないか、と思う。
周りの人達の思い遣りに気付かず、自分だけを見ている。
自分だけがいい思いをしても、周りの人達に悲しい思いをさせてしまうのは、いけないのでは?
私に必要だったように、旦那様にも必要な時間だった。
でも、それは、周囲の人を裏切ることになりかねない。
「…………やめましょう?こんなこと…」
持っていた蓮花の花束を落とす。
現実に戻れば、この拾った花すら消えてしまう。
持って帰った筈の幻想郷。
幻想は、所詮夢の中にしか過ぎない。
勿論、だからといって、旦那様との関係が変わる訳ではない。
昔の私はどうだったのか、それは知らないが、今の私なら分かる。
「こんなことをしなくても、私は、ずっと旦那様のそばに居ます。
だから、旦那様も……」
真っ直ぐに旦那様を見つめた。
「私のそばに、居てくださいますか?」
短い筈の時間が長く感じられた。
どきどきしながら、旦那様のお言葉を待つ。
こういうのは、やっぱり『言葉』にして欲しい。
旦那様は私の目を逸らさず、じっと見つめて、そして――
あっという間に景色が変わり、私達はテーブルを挟んで向かい合っていた。
手に持っていた筈の蓮花は、私の手から消えていた。
「今、分かった」
無口な旦那様から、言葉が紡がれた。
「『水龍』に言われた。
時には『言葉』が必要になると。」
私は頷いた。
「そなたからも、教えて貰って、今分かった。」
旦那様は椅子から立ち上がり、私を抱き締めた。
「ずっとそばに居てくれるか?」
旦那様の温かい身体を感じて、私は旦那様を抱き締めた。
とても嬉しかった。
時はゴールデンウイークを過ぎ、紫陽花の咲き始めの季節になった。
「えりさ先輩!」
家の前でうろうろしながら待っていると、荷物を持った先輩の姿が見えた。
「ゆいちゃーん!久し振りね!」
先輩に温かく抱擁された。
「ずっと待っててくれたの?」
「早く先輩にお会いしたくて。」
にっこりと笑顔になる。
「う〜れ〜し〜い〜〜」
先輩の抱擁する力がこもる。
「さ、早くお入りになって下さい!」
「お邪魔しま〜す。」
リビングルームには、不機嫌な顔をされた旦那様がお座りになっていた。
「煩いのが来たな。」
「あら、せめて『楽しい』って言って欲しいわ。
それに、その言葉、そのまんまお返しするわ。」
先輩は鼻息を荒くした。
「ゆいちゃんに言われなかったら、あんた、あのまんま過ごしてたの?
この、引き篭もり。」
あ、やっぱり、そういう分類になるのか。
うんうん、そうだよね。
自分だけの空間を創っちゃったら、引き篭もりになるよね。
私は先輩の分のお茶を淹れる。
「あ、そうだ!良いもの持ってきたのよ」
うふふ、と先輩は頬を少し紅くして、荷物を漁った。
「ええっと、これでもないし、これでもない……あら、どこへやっちゃったっけ?」
小さなトランクから、どうやったらこんなにポンポン荷物が出てくるんだろう。
もしかしたら、先輩も…?
「あ、あったあった!小さいから。どこへやったかと思ったら」
にこにこして差し出されたもの、それは造花で作られたリースだった。
「あ。もしかして、これ……!」
「あのとき、あそこに飾ったら、って話してたわよね!」
覚えています!
力強く頷くと、先輩はにっこりして、私に差し出した。
私はすぐ件の窓辺に飾ってみた。
やっぱり映える!
良かった〜〜!
うふふ、と満面の笑みを先輩に向けようとすると、横からぐいっ、と引っ張られて旦那様に引き寄せられた。
「だ、旦那様?!」
「あら、もしかして。妬いてるの?」
旦那様は口を尖らせながら、きっ、と先輩を睨んでいた。
まるで玩具を取られた、小さな子どもみたい。
先輩はニヤニヤした。
「まだゆいちゃんに見せたいものあるんだから、離しなさい。」
「旦那様、離してもらえませんか?」
旦那様はしかめっ面して、先輩に恨みがましく睨み付けていたが、私を解放してくれた。
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