第2話 旦那様と不思議な空間

気が付くと、私の一番好きな景色が眼前に広がっていた。

奥には高い峰の山々、立っているところは緑の高原が広がっていて、遠くから雲雀の鳴き声が聴こえている。

空は雲一つない、高く青い空。

思わず歓声をあげて、高原の中をゆっくり歩いた。

足の感触は確かに感じ、冷たく、綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

よくよく耳を澄ませれば、小川の流れる音も聴こえた。

私が心の中で、感慨に耽っていると、温かい感情が伝わってきた。

旦那様だ。

旦那様は私の目の前に立っておられ、丈の長いローブを着こなし、腕を組んでいらっしゃった。

私を見て微笑んでいる。

私は満面の笑顔を旦那様に向けた。

「旦那様、ありがとう御座います。とっても綺麗なところです。」

すると旦那様は、少し頬を赤らめて、そっぽを向いた。

私達の間に会話は必要なかった。

ここは感情と感情が折り重ねるところ。

何度も旦那様に連れて行って下さった。

毎回違う場所に誘って頂けるが、こういう場所がやっぱり一番好き。

高い山々の峰がよく見えそうな丘を登り、腰を下ろすと、旦那様も隣にお座りになられた。

旦那様は、普段人前にお出になられる時は、茶色で丈の長いローブを身に纏い、フードを眼深に被られる。

あまり人前に出たくない時に、お召になるのだ。

それでも、現代での格好としては異様で、目立つ筈なのに、皆さんは旦那様の方へ振り向こうともしない。

それが不思議だった。

もしかしたら、旦那様がこちらに目を向けないように、何か細工なさっているのかもしれない。


私が旦那様と初めてお会いした時、突然異空間に連れて行かれた。

初めは驚いたけれど、旦那様も驚かれたご様子だった。

眼深にフードを被っておられたため、その時は表情が読み取れず、どうして私がこんな場所に来てしまったのだろうかと、戸惑った。

しかし、同時に私にも戸惑い、困惑を感じる何かが、伝わった。

その何か、というのが、感情だと、すぐに分かった。

彼もあの時は戸惑っていたんだな。

今なら分かる。

思わず、クスクスと笑っていると、旦那様から不思議そうな、複雑な顔をされた。

「昔のことを思い出していたのです。」

旦那様は、少し眉間に皺を寄せて、向こうの山に向かって口を尖らせた。

「昔のことですよ。出会った頃のことです。…私には、それがいつのことだったのか、よく憶えていないのですけれども…。」

旦那様は、黙って私の話を聞いて下さった。

「今でも、不思議です。どうして私は、旦那様の気持ちが伝わるのでしょう。」

「……適性の持ち主だった。」

「え?」

「……」

類稀なる旦那様のお言葉に、首を傾げる。

なんのことだろうか?

身に覚えがないし、さっぱり分からない。

「…分からないなら、それでいい。」

「そうですか。」

今までも理屈が通らないことは、幾らでもあった。

だから、私は余計な詮索をしようとは思わない。

このままでも、何も問題なく生活してこれたのだし。

「あ、そういえば…」

ふと、思い出した。

あれは、確か、私が心の病を抱えていた時だった。

再発してはいないが、完治したわけでも無い。

今でも定期的に通院している。

「どうした?」

「何でもありません。大丈夫です。」

何がそうなった、ということは、私には到底理解を超えているのだろう。

旦那様は、人でないから、私に出来ないことくらい、旦那様はお出来になるのだろう。

ただ、私には分かる。

ひとつだけ、はっきりと分かっていることがあった。


旦那様は、ただ、私を笑顔にしたいだけなのだ。


初めて旦那様に向けた笑顔。

それから、旦那様はフードを取って、私に接して下さるようになった。

温かいような、恥ずかしいような、そんな気持ちになりながら、もう一度深呼吸して、綺麗な空気を吸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る