私と旦那様
花もも
第1話 私の旦那様
私が旦那様と出会い、結婚して「旦那様」と呼んだのは、いつの頃だったろうか。
あまり記憶にない。
はっきりと憶えているのは、初めてお会いしたときの事。
旦那様は、綺麗な人で、無口で、無表情だけれども、実は照れ屋さんで優しい人なのだ。
そして、何故か私は旦那様の気持ちが伝わってしまう。
いつもではないが、旦那様の方から私に送ってくるようなのだ。
理屈は、よく分からない。
気が付いたら、そうなっていた。
旦那様も、私の気持ちが伝わるらしい。
それと、これだけは言っておきたい。
初めてお会いした時から、旦那様は人ではないということを、私は知っていた。
「使い走りさせてごめんね。あれ、持ってきてもらえる?」
職場の先輩に言われて、私は「はい」と返事をした。
私より一回り以上歳上の二人の先輩達に、農作業は重労働だと思うし、農具を担いで歩くのは大変だ。
平鋤と備中鍬を三人分持って歩いていると、後ろからトラクターが来た。
トラクターに乗っているのは、この畑の持ち主のオーナーと、私の旦那様だった。
私はトラクターが通れるようにと、道の端へ下がった。
「嬢ちゃん、そんな重いもの担いで、大丈夫かい?」
オーナーさんに声を掛けられた。
「はい。この位なら、平気です。大丈夫です。」
「遠慮せずとも。これに乗せていってあげるよ。」
本当のことだったが、オーナーさんは細腕の私を気にして言ってくださっているのだろう。
微笑んで「大丈夫です。」と言おうとしたとき、それまで隣で黙って農園を眺めていた旦那様が、トラクターから降りてきて、私の手から鋤と鍬を二人分持って行ってしまった。
あっという間の出来事だったので、オーナーさんと私は、呆気に取られていた。
旦那様は、さっさと前の方に歩いていってしまわれた。
「…乗るか?」
オーナーさんは、ニコニコしながら私を手招きして下さった。
ここまでされると、ご厚意に甘えるしかない。
「ありがとう御座います。」
会釈をしてから、乗せてもらった。
先に目的の畑に辿り着いた旦那様は、先輩達に大層受けが良かった。
「あら、ゆいちゃんは、乗せていって貰ったの?あんた、ゆいちゃんに手を出してないだろうね?」
「なーに馬鹿なこと言ってんだい?」
「ゆいちゃんは良かったわね〜。いい旦那様をお持ちで。」
クスクス笑っている先輩達に対して、私はどう答えていいか、困ってしまった。
肝心の旦那様は、鋤を持って既に耕し始めている。
「ここのところから、ずうっと、あっちの用水路の端っこまで、畑を耕してくんないか?
婆さんたちも、手を休めるなよ。」
「はい、分かりました。」
と私は小さく頷いた。
「私らが、おさぼりするってか?」
「いつもさぼってるじゃねぇか。だから、この子達に手伝い頼んだんだ」
「まあ、私らだけじゃあ、この畑耕すのに一週間かかるわな。」
わっはっはっ、と気のいいオーナーさんと農業の先輩達は冗談言いながら、大笑いなさっている。
それを尻目に、私は畑を耕した。
硬く湿った土を掘り返すのは、根気のいる作業だ。
春になったばかりのこの時期、花粉症の皆様は大変だろうな、と道端で談笑している先輩達を見た。
どちらもマスクを着用されていて、顔の区別がつかない。
ここへ来たときに紹介されたが、農作業を着用すると、誰がどの人か、分からなくなってしまった。
だから、私は無難に「先輩」と呼ばせて頂いている。
旦那様は、既に向こう側まで畑を真っ直ぐ掘り返していた。
遠目から見ても、旦那様はとても目立つ。
白とも銀ともつかない、腰まで伸びた髪を一つに束ねて、首からフェイスタオルを掛けていても、優雅に見えてしまう。
通りの畑に立ち止まって、美しい旦那様を食い入るように見る通行人も何人か。
おそらく、この辺りに住んでいる人達なんだろう。
「おーい、兄ちゃん、半分はこのトラクターでやるから、あんまり無理するなー」
オーナーの声は畑の端までよく通った。
旦那様は振り返ると、頷いて、すぐに農作業に移った。
こうして、依頼された仕事を終えたのは、お昼少し過ぎた頃だった。
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