鏡合わせのふたり

 それから私たちは放課後に少しずつ話すようになっていった。放課後に誰もいなくなって、華凛が声を掛けて、私が起きる。


 話す内容はほんとに他愛もないことばかり。私は私の生活を。彼女は彼女の生活を。お互いにごくありきたりな日常として話す。そこに互いの感情は入れない。私が日々を嫌っていることを、周囲の人の目を嫌っていることを感情にも単語にも出さない。華凛もそう。


 でも、なんとなく分かってしまうものだ。私たちは似た者同士だったんだから。


 それが明確になったのは5月16日の雨の日。きっかけは私のふとした質問だった。


「華凛はさ、大人になったら自由になれると思う?」


 ほんの少しだけ不安をこぼした瞬間だった。これに華凛は答えてくれる。


「なれないわね。人はまず『誰かの子』として生まれてきて、『自分』になるための名前をもらう。最初の最初から形を与えられている。だから、自由になるなんてのは無理なこと」


 ちょっと……分からなかった。


「人としての、形?」


「ええ。人の子供として生まれて、名前をもらう。それはつまり、人の社会に入れられるということに他ならない。そうしてコミュニティの中で生きて、自分という人間の役割を持たされて、それがずっと。

 簡単に言うと、今私たちはそれぞれの名前を持っている。そして学生である。だから勉強しなければならない。会社に入れば仕事を任されて、それをこなさなければならない。

 どこまでいっても必ず立場が付いてくる。だから自由なんてなれないって思ってるわ」


 そこまで聞いて、ようやく分かった。やっぱり、抱えている感情は同じだった。彼女も、生きることは人の世に束縛されることだと感じているんだ。


「やっぱり、そうなんだね」


 人の生きる社会は多くの人という歯車で回る。歯車が連結して回ることで、社会が成り立つ。


 人は歯車のような部品とは違うと多くの人は言う。けれど、私はその通りだと思う。なぜなら私たちには立場が与えられるから。


 得意な事や不得意な事があって、選ぶべき道を選び取って、特定の位置に収まる。時々場所を移動したりはするけれど、あまり大きく形は変わらない。


 そうして嵌った場所で回り続ける。子供の頃、いわゆる学生とは、その形を整える工場のようなものではないかと。


 ではもしそこに噛み合わない歯車が入ったらどうなるか。


 いや、入ることなんてできない。はじき出されるだけなんだ。そして不良品としてポイっと捨てられて終わり。


 私たちは、隣り合う人と手を取り合うことを、繋がることを良しとしない歯車だ。


 なのに家族や学校といった場所で無理やり整形される。隣と繋がるように形を変えさせられる。そしてガタガタと削れてボロボロになっていく。


 同じように周囲の歯車から削り取られた私たちだからこそ、認め合えた答え。


 やっぱり、同じような所に立っているんだ。


 だから、自然と同じようなことを考えていたのだろう。


「有希は死にたいと思ったことはある?」


 今度は向こうから問いが飛んできた。私は返す。きっと彼女も持っているであろう答えを、そのまま。


「あるよ。何回もね。華凛は?」


 答えは、っている。


「あるわ」


 華凛は外の雨を眺める。今日は小雨だから、あまり雨音は聞こえない。それを聞き逃さないように集中して、ほんの少しだけ間を空けてから華凛は話し出した。


「私はね、この世界が嫌いなの」


 今までになかった、素顔のままの唐突な告白。


「まるで作り物みたいな世界。そんな世界で生きていたくなくて、ずっとずっと死にたかった。けれど、できなかったの」


 作り物みたいな世界。それがどういう意味なのか私には分からなかった。けど、返す言葉はそこじゃない。


「どうしてできなかったの?」


 これもきっと、私と同じ感情の答えが返って来る。


「とてつもなく怖いの。別に私が死んだ後、この世界がどうなろうと構わないわ。死ぬ時に痛いかどうかも関係ない。

 ただ、死んだ後の私がないことが怖い。だから、自分では死ねなかった」


「私も同じだよ。死んだ後のことを考えると、ほっとするけど、怖くなる。だって死んだら私は何も残らないから」


 私も告白する。それを受けて華凛は私のほうをじっと見て、ゆっくりと息を吐きだした。


 私たちはまったくの別人なのに、生きている環境も違うのに。その心の在り方はぴったりと同じだった。


 それきり、華凛は再び視線を外へ向けて話すことはなかった。ただ一言だけ、ぽつりと彼女は漏らす。


「雨は、とても綺麗ね」

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