彼女のお願い
華凛と出会ったのは学園の3年生になった4月だ。
新しいクラスになり、今まで見たことがない人間が集まる中のひとりに彼女がいた。だけどその存在は他と一線を画していた。
他人と関わらず、興味も持たない私でさえ、その姿を目で追った。背筋を伸ばして、さらさらの長い髪をなびかせて、彼女は教室に入って来た。その瞬間から注目の的。その場にいた全員の視線を集める、私とは真逆に位置する人間だと思った。
それは彼女の素性を聞いてもそうだ。
「
「そう、ほらあのCMもやってる宮田製薬のね、父親が社長やってるってさ」
「へぇー、どうりでお嬢様っぽい。いや実際にお嬢様だよね」
前年に一緒のクラスだったらしい女の子が、私の後ろで友達に話しているのを聞いた。
社長令嬢か。一般も一般の家庭で育った私には縁のない存在だ。
その時はそれで興味をなくして、私は机に伏せて目を閉じた。ただその後に続く後ろの会話が、再び私の意識を外界に向けさせる。
「でもね、あの子あんまり喋んないからさ」
「お嬢様だから話合わないの?」
「いやそうじゃなくて、なんか誰とも話したくないみたい。近づくだけでため息つかれる子もいてさ」
「うわっ、感じわる~」
へぇー、あのお嬢様がねぇ。
私は机に伏せたまま視線だけを横に向けた。一列挟んだ真横が彼女の席だった。自分の席に着くとすぐに鞄から読書用の本を取り出して読み始める。
顔はめちゃくちゃ不機嫌そうだった。もしかしたらさっきの声が聞こえていたのかもしれない。
私は再び目を閉じて、意識を自分の中に落とした。
お嬢様が誰とも関わらない。それは意外だったけど、だからと言って私に関係があることじゃないと思ったのだ。この時の私は、まだ華凛に対して興味の欠片もない時だった。
それが変化して、彼女も同じような人間なのかもしれないと思ったのは、1ヶ月ほど過ぎた後だった――。
「何を考えてるの?」
正面の華凛から声を掛けられ、私は回想を中断させられた。
「ん、最初に会った頃のことを思い出してた」
「最初、って言うと5月のこと?」
華凛にとっては最初はそこになるんだ。まぁそれはそうか。華凛は嫌でも目立つ存在だけど、私はそうじゃないから。
「もう少し前。4月に3年生になった日」
「あぁ、確かに最初といえばそうなるのかもしれないわね」
「でもそれから1ヶ月はお互いに知らない者同士で、その後の1ヶ月はこうして過ごしてきて、昨日お願いされて」
「仕方ないじゃない。この雨の中で死にたいって思ったんだもの」
華凛のお願いは、実は昨日のこの時間に言われたものだ。
◇
前日の6月5日。
梅雨に入って、もう3日続けて雨が降り続けていた。
華凛は雨が好きなようだった。ほとんど表に感情が現れないので分かりにくいけれど、1ヶ月も同じ時間を過ごしていた私にはなんとなくそれが伝わっていた。
「有希、もう誰もいないわよ」
「ん」
いつも通り、私たちふたりだけが残った教室で華凛が声を掛けてくる。そのトーンはいつもよりほんの少し高かった気がする。
けど彼女の口数はいつもよりも少なかった。話したい気分ではない、というより、雨音に聞き入っているようだった。
窓のほうを向いたまま、時折瞳を閉じて、まるでコンサートでヴァイオリンの音色に酔いしれるように、一粒一粒の音を楽しんでいるように見えた。
私も同じように目を閉じて耳だけで雨を感じてみる。
夏を前にした空気。
その中を落ちていく雨。
そよ吹く風は少し肌寒くて。
ぱちぱちと落ちた雨が弾んでいる。
なるほど、雨の音だけじゃない。目には見えなくても、いろんなものがはっきりと分かる。これ好きかも。
「ねぇ有希」
「なに?」
どこか静謐さを含んだ空気の中で彼女は唐突に、ほんのちょっとした思い付きを提案するように、そっと囁くように言った。
「私を殺して」
ゆっくりと瞼を開いて彼女を見る。彼女は普段とまったく変わらない微笑みを見せて私を見ていた。
「私が?」
「そう。自分で死ぬのは怖いの。だからあなたが背中を押して、私を殺して」
死にたいと、彼女は言った。
その願いは前から知っていたことだ。その気持ちも、まったく同じではないけれどよく分かる。
きっともう何年も願ってきたこと。彼女の周りには死が染みつき過ぎていて、立ち居振る舞いにそれが出ている。もちろん、私のような壊れた人間だからこそ気づいていることだろうけど。
でも彼女には死が選べなかった。そうしたくても自分ではできない。だから願った。殺されることを。
「――分かった」
そして、そのお願いを私は了承した。
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