37話 魔法のカメラ

 塔子ちゃんから電話がかかってきたのは、ちょうど撮影会の翌日のことだった。


「現像?」


「ええ、よしののカメラのついでに、先輩のも現像してあげますよ」


「でも、悪いわ。私はお店でやってもらうから……」


 本当ことを言うと、彼女にもう一度会うのが少し怖かったのだ。


「そうですか……でも、いいんですか、先輩?」


「なにが?」


「そのカメラでお兄さんの写真ばかり撮ってましたよね。全部、店員に見られてしまいますよ」


「そ、それは……」


 確かにそれは少し恥ずかしいかもしれない。


「じゃあ、カメラを持って家に来てください。待ってますから」


 電話はそこで切れてしまった。悩んだ末に彼女の家に向かうことにした。





 彼女の家には他に誰もいないのか、塔子ちゃんが一人で出迎えてくれた。彼女は余計な問答をせずに、私を小さい部屋に案内してくれた。扉を閉じると部屋の中は本当に暗くて、目が慣れるまで時間がかかった。よく見れば、部屋には電灯が一つしかなく、その電灯も黒塗りされたカヴァーに覆われていて、ほとんど用をなさない。


「こんな暗いところで作業するの?」


「慣れてくれば、電気を消してだって現像できますよ」


 部屋には所狭しと現像に使う機械や道具が並んでいる。薬品だろうか、独特な匂いが部屋に漂っていた。


「祖父が使っていた暗室です。もうほとんど使ってませんけど」


 彼女は私からカメラを受け取ると慣れた手付きで作業を始めた。聞けば、おじいさんは一昨年亡くなったそうだ。


「私もデジカメだから、もう用無しなんですよ。この部屋もリフォームしようかって、話してて」


「そう、もったいないわね、素敵な部屋なのに」


「私も暗室は好きですよ。けど、フィルムカメラ自体が絶滅寸前ですからね」


「そうなの?」


「ええ、どんどんフィルムも廃番が増えてますから。いずれは買えなくなるんじゃないですかね。仕方ないですよ、デジカメの方が便利なんですから」


「でも、古い物が亡くなってしまうのは悲しい気がするわ」


「必然ですよ。古い物をなんでも残せるわけじゃない、より便利で使いやすいものに変わっていくべきなんです」


「それでも、やっぱり寂しいわ」


「じゃあ、先輩はフィルムが使われる前の写真機を知ってますか」


「え、フィルムより前?」


「ええ、昔は薬品を塗布したガラス板を使ったんです。写真を一枚撮るたびに入れ替えなくてはならなかった。大きな写真を撮るには、より大きなガラスが必要だった。今なら、小さいメモリーカードに何千枚でも保存できるのに。古い物は淘汰とうたされてしかるべきなんです」


「そうかもしれないわね……でも、じゃあ、どうしてそこまでして写真なんて撮る必要があるのかしら」


「……できましたよ、先輩の写真。これは家族写真ですか?」


 彼女が薬品から取り出した写真を乾かすために壁際にクリップで止めた。私は暗い中、目を凝らして写真を見つめた。写っている人たちを見て、思わず声が出た。


「そんな、嘘よ、こんな写真撮った覚えはないもの」


「多重露光ですよ。一つのフィルムに二回光を当てると、二つが重なり合う画が撮れるんです。それにしても、これは良い写真ですね。……先輩?」


 私が泣いていることに気づいて、彼女は口をつぐんだ。


「見て、私、笑っているわ、あんなに嬉しそうに」


「そうですね。良い写真です。そっか、先輩はまた笑えるようになったんですね」


 塔子ちゃんは写真とネガをわざわざ封筒に入れて渡してくれた。そして帰り際にちょっと悔しそうな顔をして言った。


「やっぱり、フィルムカメラも悪くないですね。本当に良い写真でした」


 そうだ、これは先生がくれた魔法のカメラなんだ。私がもう一度やり直すために。






「水希、まだ起きてたのか」


「待ってたの、話したいことがあって」


「再婚のことか?」


 私はコクリと頷いた。そして父に一枚の写真を渡した。その写真には幼い私の肩を抱く母と、隣に父の姿があった。それが家族全員が写っている唯一の写真だった。


「パパは違ったのかもしれないけど。私はね、大好きだったの、お母さんのこと。あの家族が大好きだった。本当はずっと三人で一緒にいたかったの」


「そっか、ごめんな、水希。気付いてやれなくて」


 父は私をそっと抱き寄せてくれた。


「私こそ、ごめんなさい。こんなわがまま言って」


「いいんだよ、時間はたくさんある。ゆっくり進めばいい」


 父の胸の中で泣きながら思った。どうして、昔の人はあんな面倒をしてまで写真を残そうとしたのか。


 光はどんどん未来へと突き進んでいく、昔のままに留まってくれるものなど何もないのに、それでも写真の中に過去の光を閉じ込めて、いつまでも手放すことができないのだ。


 たとえそれが偽りの光景であったとしても、それにしがみついてしか、一歩も進めない私がいる。


「パパ。私、またフランスに行こうと思う。先生にね、聴いてほしい曲があるの。今の私ならきっと弾けるから」

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