第31話
「うーん……すぅ……」
何だか懐かしい気分だった。花のいい匂いが辺りを充満し、陽の光が温かい。しかし時間は正午を過ぎているはずなのに、日は真上でさんさんと輝いている。もしかしてここは……?
ゆっくり目を開けるとそこには見慣れた光景が広がっていた。いつも夢の世界で広がってる草原に色とりどりの花が辺りを包んでいた。ベンチに座っていたはずだが、俺が寄り掛かっていたのは、東京タワーですら小さく見えるほどの大きな木。
「また……夢の世界にきたってことか?」
戸惑っているとすたすた歩いてくる一人の少女がいた。
「やっと着いたわね」
「先輩……?」
全く状況を理解していない俺は説明を求むといった視線を送ると、先輩は両手を握って楽しそうに笑った。
「ねえ、せっかくだし競争してみない?」
「えっ? ちょっと!」
俺の返事を待たずに先輩は靴を脱ぎ捨て裸足で走っていった。競争する気はないが、先輩の後を追うために遅れて走った。
体感で言うと五十メートル走ったくらいのところで息を切らして先輩は仰向けにゆくり倒れた。まだ余裕はあったが、俺も先輩の隣に仰向けに倒れた。
「ねえ、何だかとてもいい気分なの。月山君は?」
「不思議ですけど俺も気分がいいです」
大きく深呼吸する。お日様と花のいい匂いが肺を満たした。
「先輩、もしかしてここって死後の世界だったりする?」
「何でそう思うのかしら?」
「だって居心地よすぎるし、これから夜になるはずなのに全然明るいし……でも先輩と一緒にいれるならどこでもいいや」
さりげなく手に触れると、お互い手を絡ませた。温かくて柔らかくてすべすべで恋人つなぎしているだけなのに、幸せで胸が一杯だった。このまま死んでしまっても未練はないと思うほどに。
「それも悪くないけどダメよ」
そんな俺の浮かれた気分を遮るように、先輩は提案を拒絶した。
「何でですか? 俺、先輩いなかったらこの世界にいる意味なくなっちゃうよ?」
上半身を起き上がらせると未だに寝転んでいる先輩を見つめた。
「所詮、私はかりそめの存在。ゆなが一人で大丈夫になった今、私の役目は終わり。だから私は消えなくちゃ……ね」
使命を終えた先輩は未練を一切感じない清々しい顔をしていた。今にも消えてしまいそうな不安に駆られて手を強く握った。先輩も返すように強く握ってくれた。
「俺は嫌だ!何でもするから、一生奴隷になってもいいからさ……頼むよ……」
「月山君……」
涙が出そうになるのを押さえながら、声を出した。自分でも情けない声がでて恥ずかしさがこみ上げてきた。
「ちょっと歩かない?」
「そんな気分じゃないんだけどな」
渋る俺を優しく立ち上がらせるとそのまま手を握ってひかれる形でその場を後にした。
そこから少し歩くと風景がガラッと変わった。さっきの山中にある草原のような場所から静かなさざ波が聞こえる海岸へとたどり着いた。いつの間にか夜になっていて満月の光が砂浜に乱反射して幻想的という表現が似合う風景が広がっていた。
「やっぱりここって現実の世界じゃないよね?」
「死後の世界っていうのも間違いではないかもね」
「でもやっぱり綺麗だな」
波際まで歩くと二人ともそこに座り込んだ。しばらく波の音と暗くなった空に浮かぶ満月を眺めていた。綺麗に輝いている月を見ていると、何も考えられなくなった。
「えいっ!」
あまりにもぼーっとしていたせいで反応が遅れた。気づいたら顔に冷たい物がかかっていた。
「冷たっ!?」
正面で先輩が手に掬った海水を俺にかけていた。髪も服もズボンもずぶ濡れで笑いながら俺にめがけて海水を投げつけていた。抵抗せずに一方的にやられていると、子供みたいな挑発で煽ってきた。そんな先輩を見ていたらめそめそしている自分が何だか馬鹿らしくなってきた。あえて挑発に乗った俺は海へ飛び込んだ。
「やりやがったな!」
「目が怖いわよ。月山君」
俺達は時間を忘れて水遊びをした。寒いし冷たいし濡れるしでいいことなかったが、楽しくて夢中になった俺達には気にならなかった。全身くまなくずぶ濡れになったところで先輩の小さなくしゃみがこの時間の終わりを知らせた。
「流石に寒いわ……」
「髪までびしょ濡れですしね」
水遊びの熱が冷めると急に全身を寒さが襲った。先輩を見ると同じく寒さで震えていた。服が水で濡れていて女性らしいシルエットが協調されていた。今こういう気持ちになるのはいけないのかもしれないが、つい邪な気持ちで見てしまう。
それを感じたのかジト目で睨みつけてくるが、むしろ可愛らしくて愛おしくなってしまう。
「今日だけ特別なんだから……」
嫌がられると思ったが、すんなりと暖を取るという名目のハグを許してくれた。逃げてしまわないように、強く抱きしめた。温かくて花のようないい匂いがして、邪な気持ちは消えて幸せな気持ちだけが俺を支配していた。
このままずっとこうしていたい。
ただ、俺の希望も現実にはならない。
「そろそろ行かないと……」
「……」
「ちょっと!苦しいわよ?」
「どうしてもいくの?」
「……うん」
案の定、俺の微かな希望は崩れ去った。みっともなく引き留めたかった。ただ、俺は拘束していた腕を脱力させた。
「大丈夫よ、私がいなくたって生きていける。それに月山君には金原さんがいるでしょ?」
泣きそうになっている……もしかしたら泣いているかもしれない俺の頭を優しく撫でてくれた。
「それにいつかまた会えるわよ」
「絶対に会いに来てよ?」
「私が嘘ついたことないでしょ?」
俺はゆっくり首を縦に振った。それをみた先輩は安堵した表情を見て俺に背を向けた。ゆっくり一歩ずつ海に向かって歩いていく。先輩の体から蛍のような光の粒子があふれ出してきた。徐々に先輩の体が透明になってく。
先輩が消えるまで俺は寒さを忘れてその場に立っていることしかできなかった。
完全に消えた時、俺は海水で顔を濡らした。
何だか顔がしょっぱい。これは海水のせいだ。
あとがき そろそろクライマックスはいるのか?
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