第21話

 それからの行動はあまり覚えていない。気を失った先輩を担ぎあげて走った後、病院に連れて行ったらしい。簡単な検査をしたところ異常はないらしいが、一応一日だけ検査入院になった。

 夜ということもあってひとまず医者に任せて帰ることにした。帰る道中、心配で仕方なかったが明日にならないと会えないので、家に帰るなり寝自宅を済ませてすぐ寝た……と物事がスムーズにいけばよかったが。

 「なーんか寝れねーな」

 心配で落ち着かないもあるが、基本夜型人間というのもあってまだ眠くない。それにもう一つ気になることがあった。

 夢の中に出てくる謎の少女ゆな。一瞬だけだったが、先輩と入れ替わって出てきた。それに前言っていた『もうすぐその心配もなくなるので、安心してください』もしその言葉を信じるなら先輩は……。

 「あー!やめやめ! 今は考えてもしょうがねえよな」

 アホみたいな考察を頭の中で思案していたら眠くなってきた。俺は溶けるように脱力すると眠りについた。

 

                  △


 こんなに朝早く目が覚めたのは初めてだった。時計を見ると午前5時、まだ少し外は暗い。昨日のことが関係してるのか夢でゆなは出てこなかった。そのおかげで快眠だったが。

 まだ全然早いが身支度をする。シャワーを浴びて歯を磨いて、不器用ながらも朝ごはんを作って食べた。久々に卵焼きとみそ汁を作って白米を食べた気がする。

 らしくない事をして時間を潰しているが、やっぱり落ち着かない俺は迷わず玄関の扉を開けて、外へと出かけていた。とりあえず適当に時間を潰すことにした。

 適当に近所を意味もなく歩いてみる事にした。何も考えずに歩くなんて数えきれないほどやってきたが、今日はそんな無駄だと思える行為も有意義に感じてしまう。そよ風が涼しくて心地よい。

 しばらく歩いているとランニングしている女性が視界に入った。黒いキャップを深くかぶっていたが、身に覚えのある姿に思わず反射的に名前を呟いていた。

 「蝶野さん?」

 「ギクッ!あららバレちゃいました?」

 俺を無視してそのまま通り過ぎようとしていた彼女はばつが悪そうな顔をした後、小悪魔な笑顔でぺろっと舌を出した。

 「朝早くランニングしてるんだね」

 「美を極めることに努力を惜しまないのは美女としての義務ですからね」

 自分から美女と言っていることにツッコミをいれたいところだが、冗談抜きで蝶野さんは美女なので反応に困る。おまけにスタイルも完璧で今の衣装がピンクのタンクトップなので露出が多くて目のやり場に困る。

 「月山君はこんな朝早く何してるんです?」

 「朝早く目が覚めたからジョギング」

 「ふーん?本当ですかぁ? 言葉が足りなそうな気がしますよぉー?」

 やはり彼女の観察眼は凄まじい。俺が分かりやすいだけかもしれないが、一瞬で嘘や隠し事を見抜いては小悪魔な表情で甘い尋問をして吐き出させる。彼女のハニートラップからは男なら誰も抗えない。

 かく言う俺も気づいたら優しく絡みつかれて尋問されている。汗をかいているはずなのに不快な匂いどころか思考回路を鈍らせるフルーティーな甘い香りに、変な所は触られていないはずなのに思わず声がでてしまうボディタッチ、こうなってしまえば俺に勝ち目なんてあるはずもなく。

 「へえ?あの人が倒れたんですか?」

 「検査入院だから一日だけだけど、一応お見舞いにいこうかと……」

 「月山君、けっこう可愛いところありますね」

 「う、うるせぇ!ほっとけ!」

 バカにしたようににやにやしながら俺を見つめてくる。今すぐ逃げ出したい所だが、このことを言いふらされても困るので口止めをしとかねば。

 「あの……このことは他言無用でお願いしたいんだけど?」

 「えー?どうしようかなー? でも、このままだとついポロっと言ってしまうかもなー」

 やはり蝶野さん相手だとタダというわけにいかないようだ。あんなに気持ちがいい朝だったのに、早速出鼻をくじかれた気分だった。

 「うぅ……わかったよ。俺にできることなら何でもするから」

 「え!何でもですか! いやだなあーそんなつもりでいったんじゃないんだけどなー?」

 わざとらしさを隠す気が全く無い。もはや俺は蝶野さんの手の上で踊らされていた。

 「じゃあ明日、夏休み最終日にデートしてください」

 「この前みたいな強引なことNGならいいぞ」

 「しませんよ。邪魔ものはいないですし、ゆっくりじっくり月山君を堕として見せますから」

 「はは……お手柔らかにね」

 何だか危なげなお誘いな気がするが、俺に選択肢はないわけでそれが天国だろうが地獄だろうが進むしかないわけで、俺は悪魔な彼女と小指を絡ませた。


                △


 「お邪魔します……先輩、体調どうですか?」

 時間を適当に潰した俺は手土産を片手に病室の扉をノックした。扉を開けるとそこにはいつもと変わらない先輩が風で髪をなびかせながら外を見ていた。俺の顔を見て喜んでくれると思ったが。

 「キスマークついてるわよ」

 「え?!マジ!?嘘だろ!」

 ヤバい!いつの間につけられた?予想以上に焦る俺を見て怪訝そうな顔をし始めた。

 「ジョークいったんだけど……」

 「えっ?」

 「……〇ねばいいのに」

 「ちょ!これにはちょっとした事情がありまして!?」

 やはり今日は厄日らしい。ベッドで繭のように閉じこもった先輩をなだめるのだった。


                 △


 「今日は……はむっ、許してあげても……ゴクンッ!いいわよ」

 「食べるか話すかどっちかにしてよ」

 先輩を何とか引きずりだした後、こんなこともあろうとちょっと高めのケーキを買っといて良かった。相変わらずチョロ……心が寛大なお人だ。

 「これだけ食欲があったら大丈夫だね」

 「……また助けられたわね。ありがと」

 申し訳なさそうな顔をしながら下を俯いた。しんみりした空気が流れる中、俺は珍しい先輩の表情にちょっと顔がニヤついた。

 「ちょ、ちょっと!何ニヤついてるのよ!変態!」

 顔をほんのり赤らめながら、枕を投げつけられる。割と勢いが強かったが、可愛いので許せる。とはいえ、また拗ねられても困るので緩む顔に鞭を打った。

 「でも本当に無事そうで良かった。これなら明日には退院できそうだね」

 「今日の月山君、何だか変。人格が変わったみたい」

 「そんなことない……ですよ」

 先輩の言葉に昨日の出来事がフラッシュバックした。ゆなの人格が一瞬だけだが、表にでてしまった昨日の夜。先輩が後からできた人格ということは……そう思ってしまったのが良くなかった。

 「何で急に涙目になってるのよ?」

 「え?」

 指摘されたと同時、片目から一粒大きな涙が流れた。そんな俺の異変に先輩はクスっと笑った。

 「一日の検査入院で大げさすぎよ。ほんとに今日、どうしたのよ?」

 「あ、ああ!実は寝てなくて!ずっとあくび我慢してたんだよね!」

 異様に慌てふためく俺をみて先輩は心底不思議そうな顔で首を傾げるが、それ以上何も言ってはこなかった。これ以上ここにいたら涙がでてきそうだったので、そのまま病室を後にしようと扉に手を掛けた時、先輩が呼び止めてきた。

 「ねえ、ちょっと聞いていい?」

 「な、何ですか?」

 「もし、私が後数日でこの世からいなくなるっていったら君はどうする?」

 「それってどういう……」

 尋ねようとした時、扉が音をたててスライドした。

 「月影さん、体調はどうですかー?」

 若そうなナースがニコニコしながら病室へとはいってきた。目の前にいた俺は少し驚いて後ずさりすると、ナースが何かを察したようにニヤニヤし始めた。

 「もしかしてお邪魔だったかな?」

 「い、いえ。今帰ろうとしてたんで大丈夫です」

 「そう?もう少しゆっくりしてもいいのよ? 私、見回り診察最後にしてあげるからさ」

 「お気になさらず。それじゃあ、先輩またね!」

 何だか色々と勘違いされ恥ずかしくなった俺は逃げるようにその場を去った。何だか恥ずかしくて涙が引っ込んでしまった。俺は先輩の最後にいった質問が頭の中でずっと反芻して離れなかった。

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