第10話 傘地蔵

 大晦日、午前中に降り出した雪は少しずつ街を白く染めて行き、夜にはしっかりとした積雪になっていた。


「さっむ…」


 2階の窓を開けて様子を覗いたアイリは身震いした。雪は街灯にチラチラと白く光りながら舞い降りている。

 こりゃダウンだな。晴着なんて以ての外だ。アイリは紅白を見終わってから奈々と初詣に出掛ける約束をしていた。

 シューズバックとポーチを掴むとダウンを着こみ、マフラーを巻いて、そしてシューズバックに折畳傘を入れた。


「バク、ちょっとお邪魔するよ」

「ん。出掛けるのか?」

「うん。寒いよ外は。あ、あと靴も入れるから窮屈でごめんね」

「ああ」


 アイリが玄関に降りると母親が待っていた。


「転ばないようにね、慣れてないんだから」

「うん」

「凍える前に帰ってくるのよ」

「うん」


 生返事しながら、アイリは下駄箱からスノーブーツを出して、更にローファーをシューズバックに入れる。バクを連れて行く口実なのだ。


「靴、持ってくの?」

「うん。予備。ベチャベチャになった時用」

「へえ、用心深いね」

「慣れてないからね。じゃ、行ってきまーす」

「はい。気をつけて」


+++


 待ち合わせは神社の鳥居前。意外と歩きやすいな。新雪だからか、スノーブーツの性能なのか。ダウンのフードを被って、踏みしめるようにアイリは歩いた。吐く息も真っ白。積雪のせいか車も走っておらず、人影も少ない。アイリの雪を踏みしめる『さっくさっく』という音が、遠くから聞こえる除夜の鐘の音に重なった。


 バクは時々パクパクしている。


「なんだか悲しいのがたまに飛んで来るんだ」

「鐘の音で煩悩を払うんだって」

「なるほど…。それで美しい悲しみが混ざるのか」


 鳥居の前で既に奈々は待っていた。


「ごめーん、遅くて」

「ううん。ちょっと早めに出たのよ。歩くの不安だったから」

「そうなんだ」

「紅白どっち勝った?終わる前に出ちゃったから知らないの」

「白だよー。天童よしみちゃん、凄かったんだけどなあ」

「この頃ずっと白組じゃない?」

「だっけ?」


 二人は鳥居前で一礼して鳥居をくぐった。参道を粛々と進む。


「石のとこ、滑り易いから気をつけてね」


 しっかり者の奈々が言う。その足元を見たアイリが叫んだ。


「奈々、ブーツ?そりゃ滑るよ。あたしはスノーブーツだよ」

「よくそんなの持ってるねえ」

「だって中学まで毎年家族でスキーに行ってたし」

「大きさ、大丈夫なの?」

「うん、ぴったし」

「足、進化してないってこと?」

「そうかもだけど、これ以上進化したくない」


 手水が見えてきたが、とてもじゃないが水で手を清める気にはなれない。


「パスしよっか」


 照明に照らされたアイリの口から白い息が拡がった。


「あれ、アイリ、なんでシューズバック持ってるの?」

「あー、一応ローファーも持ってきた…」

「へーえ、念入ねえ」


 バク持って来たとは言えないもんな…。アイリはちょびっとばかり焦った。

拝殿を見渡すとたくさんの人が並んでいる。雪の夜中によくこれだけ集まったもんだ…。


「順番だよねえ…」

「そうねえ、お賽銭入れて、お願いして、で左へ廻ってお御籤ってコース?」

「そうそう、で、甘酒!」


 列はジリジリ進む。その下は踏み固められて雪は薄くなっているが、却って滑ったりもする。


「なんかリフト乗場みたい」

「結構あそこがこけやすいんだよねえ」


 順番が近づいて来る。アイリはポーチの中から財布を取りだしながら、


「お賽銭 入るかなあ。ちょっと距離がある」

「雪が入らないように寄せちゃったのかなあ」

「トス上げよっか? 奈々」

「はは、フェイントにして貰っちゃうよ」


 言ってるうちに順番が来て、二人は五円玉を放り投げ、鈴を鳴らした。二拍手の後、手を合わせたまま祈る。そのまま人波に流されるように二人は社務所前の行列に並んだ。


「奈々、何お願いした?」

「言う訳ないじゃん」

「受験でしょ?」

「それもある」

「へえ、まさか春高バレーの初勝利とか?」

「おお、忘れてた。ってかそれ駄目でしょ、実力で取らなきゃ」

「そこらへんが奈々真面目だな」

「アイリは何お願いしたのよ」

「宇宙平和!」


「ぷっ」


 シューズバックの中でバクは吹き出した。


「また壮大なお願いねえ、アイリらしいというか…バカみたいと言うか…」

「この頃考えるようになってきたのよ。広い宇宙では地球人のエゴは通らないって」

「はあん。アニメの影響かしらねえ」

「違うよ。真理を追究したらそうなって来たのよ」

「そりゃまたご苦労様なこと」


 バクも頷いていた。


「ヘルペス星人にも聞かせてやりたいよ。他星への侵略はエゴ以外の何物でもない」


 お御籤を求める列は少しずつ前に進む。窓口では巫女さんが勢揃いだ。アイリは声を弾ませた。


「去年は末吉だったからね、今年は狙うよ大吉」

「なるべく福が来そうな巫女さんをまず選らばなきゃ」

「うん! あり? 奈々、あの巫女さん」


 アイリが指さす。奈々も窓口を見た。え? 二人は躊躇わずその窓口へ突進した。


「お待たせしましたー。お一人100円です」


と言いながら巫女はお御籤筒を差し出す。二人はフードを脱いだ。巫女の目はそのまま固まった。


「せ・せんぱい!」

「夏帆? どしたのよ、バイト?」


 お御籤筒を差し出したのは、アイリの正セッターを奪取した近藤夏帆だった。


「はい… 知り合いがここにいて、お願いしたんです。お正月もどうせ暇だし」

「そうなんだ。病院はいいの?」

「えっと朝までバイトしてそれから行きます」

「偉いねえ、元旦早々病院か…。取敢えずお御籤引くわ」


 二人はお御籤筒からお御籤棒を引き夏帆に返す。


「えーと、島倉先輩が14番で、津田先輩が47番…  はいっ、どうぞ」

「ありがと、夏帆、雪、大丈夫?結構積もってるよ」


 アイリは気になったので聞いてみた。


「ですよねえ。朝はそんなでもなかったから普通にスニーカーで来ちゃった」

「えー? 傘とかは?」

「うーん、雪だったらまあ大丈夫かと。こんなになるって思わなかったから」

「そっか。気をつけてね、夏帆まで入院したらシャレにならないよ」

「はい、有難うございます」

「じゃ、頑張ってね。あ、そうそう明けましておめでとう。今年もよろしくね」

「はい、私こそよろしくお願いします」


 二人は窓口を離れ、フードを被ると境内を歩きながらお御籤を開いてみる。


「ワンランク昇格だ!」

「え?」

「小吉! 奈々は?」

「へっへー、大吉だよ」

「え?ずるっ」

「なんでよ。日頃の心掛けの差ね」

「大吉ってどんなこと書いてるの?」

「えーっと、学問は『勉学にいそしめば日和あり』、恋愛は『望みより出で助くる』だって」

「ふうん。思ったより普通だね」

「どっちも可能性ありってことだからね」

「奈々は勉強はいいけど、恋愛って何か心当たりでもあるのかい?」

「いいじゃん、誰だって気にするでしょ。アイリのはどうなのよ」


「願望はね『時戻りて叶う』、病気のところがさ『困りたる人に施せ』だって。失せ物なんて『形変わりて戻る』ってどう言う意味よ。学問は『努力惜しむな』だし、恋愛は『空の果てに消ゆ』って何だよこれ。待ち人だって『ちひさき妹来たる』って今更有り得ないでしょ。やっぱ小吉ねえ」

「ふーん。時戻りてとか空の果てとか意味解んない。時間戻る訳ないじゃん、ドラえもんじゃないんだから」

「そうだよねえ・・・。変なの」


 しかしバクはシューズバックで驚愕していた。この星の占星術はとんでもなく進んでいるのか…。


「次は甘酒か。あ、お御籤結ぶの?」

「ううん、私は大吉だからお財布入れとく」

「ふうん。あたしもそうしようかなあ」


 雪が強くなってきた。しんしんと雪面に降り重なってゆく。アイリは社務所を振り返った。


「ねえ奈々、あたし、夏帆にこれ置いてくわ。足のサイズ一緒なのよ」


 アイリはスノーブーツを指さした。


「そっか。病院までスニーカーは辛いもんね。アイリ偉い。大吉を授けよう」

「いや、奈々に貰ってもな~」


 二人は社務所の裏手に行ってみた。玄関らしきの横でアイリはシューズバックからローファーを取り出した。バク、ちょっとごめんよ。


「良き心掛けだ」


 バクは中で呟く。バクは密かに夏帆の想いを食べていた。お正月なのに何もない淋しさと先々の不安を。でもこれで淋しさも幾らか和らぐだろう、こっちは淋しいがな。


 アイリはローファーに履き替え、スノーブーツを揃え、お御籤の裏に走り書きしてブーツに入れた。



 # 近藤夏帆さま

   これ使ってね。転んだら大変だから。返すのは部活の時でいいよ

                津田 #



 そして折畳傘を取り出すと、雪が吹き込まないようにスノーブーツに差し掛けた。


「これで大丈夫」

「アイリのお御籤の通りだよね」

「お御籤?」

「病気のところに『困りたる人に施せ』ってあったんでしょ?」

「おお!そうだった。予言書だったのか」

「ふふ、それに、なんだか思いだすなあ」

「何を?」

「笠地蔵のお話」

「あー、お爺さんがお地蔵様に笠被せてって話?」

「そうそう」

「へへ。夏帆、後で米俵持ってきてくれるかな?」

「期待している時点で、駄目です。それよかアイリが転ばないようにね。アイリが入院でもしたらもっとシャレにならない」

「あーい」


 鳥居を出て見上げた空からは、粉雪が次々に舞い降りきた。本当に、宇宙が平和でありますよう、この雪たちの一生も幸せでありますように、アイリは空を見上げて改めて願った。


「甘酒忘れたからスタバ行こ!」


 雪たちに吸い込まれそうな奈々の声。


「はいよー」


空を見上げたまま答えたアイリの口に、ふわふわと雪が飛び込み、あっけなく溶けた。

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