香水「D」
usagi
第1話 香水「D」
異性の気を引く「媚薬」の宣伝を見ることはあったが、実際に買ったのはそれが初めてだった。
“香水「D」新発売!”
“100%効果保証。好きな異性を思うがまま。効果なしの場合は返金。※これまで返金実績なし。”」
少しお酒が入っていたからか。
俺はその新聞広告を見て、思わずその香水を購入した。
広告関係の仕事をしていたせいで、15,000円以内の商品だと、「返金は面倒」とクーリングオフを活用しない人が多いことを俺は知っていた。さらに、このように明らかな誇大広告を扱う企業とは返金については戦えば負けるはずがなかった。
と自分の中で言い訳をして、、、。
次の日、黒い箱がうちに配送された。
箱にはゴシック体で「D」の文字が格好良く箔押しされていた。
俺は箱を開け、香水を取り出した。
そして説明書にあった通り、首と耳元にそれぞれ3回ずつ吹き付けた。
いい香りがした、と思った次の瞬間、ふっと意識が遠くなった気がした。
そのまま俺は寝てしまったようだった。
記憶はあいまいだったが、気付いた時には、俺はベッドの上で朝を迎えていた。
俺は、夕方仕事がひと段落したところで、「D」の効果を試すべく、さっそく俺は彼女を呼びだした。
都合よく彼女には予定がなく、俺の誘いに乗ってきてくれた。
「やっぱり俺じゃダメか。」
とても女性を口説ける雰囲気でないような小うるさい居酒屋で、俺は彼女に対して少し強めに話しかけた。
「恋愛感情が湧かないと言われてショックだったけど、チャンスをくれないか。」
俺は彼女をじっと見つめた。
「確かにそう言ったよね、私。」
「言ったけど、こうしてあなたの顔を見ていたら、本当はあなたが必要なんじゃないかって思えてきたの。」
まさかそんな答えが来るとは俺にも予想ができなかった。
「いまさら申し訳ないけど、お付き合いさせてくれない?」
「私から是非お願いしたい。」
今度は、彼女が俺の目をじっと見つめてきた。
香水の効果はこれほどまでか、と俺は驚いた。
それから俺は、彼女と夢のような時間を過ごした。彼女はいつも俺にやさしい笑顔を向けてくれ、そんな彼女が隣にいてくれることが幸せだった。彼女とは死ぬまで一緒に過ごしたいと思った。
俺は彼女と結婚し、子供にも恵まれた。
新しい仕事の待遇もよく、不自由なく幸せな人生を送ることができた。
70半ばを越えたころ、俺の全身にはガンが転移していた。
俺は、自分の人生の終わりを悟った。
病院のベッドの横にある小さな丸イスに妻は座り、心配そうに俺の手を握ってくれた。四十歳を過ぎた息子夫婦と孫が、部屋の遠くから俺を見守っていた。
「今までありがとう。」
俺は声を絞り出し、目を閉じた。
「先生、それにしても最近この症状の人が多発してますね。」
「笑いながら意識がないなんて、なんだか気持ち悪いですよね。」
「しかもなんだか幸せそうな感じが一層、、、。」
国立病院の看護師が医師に話しかけていた。
「あら、目が開いた!」
看護師が驚いた様子で俺を見た。
「ここはどこだ?」
意識がもうろうとしていた。
「意識が飛んでいるんですね。」
若い女の人の声が聞こえてきた。
「ここは昨日、あなたが意識不明のまま運ばれてきた病院ですよ。」
俺は死んだのか、、、?
いや生きてるのか。
「ご自宅で倒れているのを新聞屋さんが見つけてくれたんですよ。」
「わかりますか?」
看護師さんがゆっくりとした口調で俺に話しかけた。
「あー…。」
「夢??」
香水を吹き付けてから1日しか経っていないと?
そんなことはありうるんだろうか。
頭に手をあてると、禿げていたはずの頭には髪の毛が生えていた。
段々と意識がはっきりとしてきた。
そういえば、香水が届いたのは昨日の話だったか、、、。
「こちらで顔をお拭きください。」
看護師さんが濡れたタオルを差し出してきた。
俺が何十年も過ごしていたのは夢の中だったのか。
夢だとしても、それはとてもステキな夢だった。
いや、俺にとってはまぎれもない現実だった。
色もにおいも、感覚も、心も。すべてがはっきりと輝いていた。
その日、俺は国立病院の個室に一泊してから家に戻った。
雑然とした俺の部屋は、昨日のまま何も変わっていなかった。
俺はベッドに横たわり、昨日の夜に見たと思われる、不思議で、長い長い夢を思い返した。
彼女との出会い、結婚、子供、孫たち、、、。
夢の中の俺は、幸せの海の中におぼれていた。
不思議なもので、俺が誘った女、妻にした女はこの世界にはいなかった。
もはや俺はモテたいとも思わなくなってしまった。
皮肉なもので、その夢を見てから、俺は大きな自信と余裕を手に入れた。
それから俺は異性にモテるようになった。
それがすべて「D」の効果だったのかどうか。
そんなことも今の俺にはどうでも良くなっていた。
香水「D」 usagi @unop7035
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