[二年生 四月] 沼直人編
第1話 ひさびさ新入生
1
もう桜に緑葉が混じりだしていた。
春の残花を名残惜しく思いながら、俺はふたたび喧騒へ目を移す。正面玄関前には真新しい制服を着た新入生と、各部活のユニフォームを着た在学生が入り混じっていた。
「今年、何人来るだろうな」
「知らない」
各部活にはしろいテントを張った下に勧誘スペースが割り当てられている。その末端の剣道部の前は、ちらりとこちらを見てくる人はいるものの、不気味そうにしながら通り過ぎる人ばかりで、一向に入部希望者は訪れていなかった。
「なあ」
「なに?」
「それ、逆効果なんじゃないか?」
俺はとなりに坐っていた双子の妹の直美(なおみ)へ目を移した。学校指定の紺のブレザーを着た上になぜか剣道の面だけ装着し、背もたれにもたれながら竹刀で肩を叩いている。
「どう見ても、剣道部だとわかりやすい」
「どう見ても不審人物だ」
「人は見た目が九割って、本の題名を見た」
「中身を読め」
「直人(なおと)はインパクトが足りてない。坐っているのに、道着と袴を着てても、意味ない」
「それはそうかもな」
あれこれと云ったものの、俺は無難に道着と袴を着て履いただけ。印象に残るかと云われれば、まあ残ることはないだろう。
というのも、俺はただの受付係、それくらいのゆるい感じでここにいた。他の部活を見渡してみても、勧誘されて訪れたというよりは、小、中学からつづけていただろうな、と思うような人が入部希望届に記入をしに訪れているだけに見える。
勧誘が無駄だとはもちろん思わないが、入部する人は自然とここを訪れる、そんなものだ、と。
「あのー」
などなどと考えていたら、ひとりの女子がテントのなかへ入ってきた。
「入部希望か?」
俺はその女子と目を合わせた。ショートカットを無理やり束ねたような髪型に、顎のラインが消えかかっている輪郭とややふっくらとした頰。内面の性格が滲みでているやわらかな目元と、主張の少ない鼻と桃色の薄めの唇で、全体的にまだ中学生の幼さを残した容姿をしている。
「……はぁ。もしかして先輩、わたしのこと、忘れちゃったんですか?」
その女子が溜息を吐くと、直美が「真(まこと)、ちゃん?」となにかに気づいたように訊ねた。
「ハイ! そうです! ……って、その声。もしかして直美さんっ!?」
「うん、うん、そう、だよ」
「面をつけてるからぜんぜんわかりませんでしたよっ!」
「人が多いところは、まだちょっと、ね……。久しぶり、だね、真ちゃん」
「お久しぶりです! 直美さん、変わってないですねぇ。なんだか安心しました。――で、先輩。さすがにわたしのこと、思いだしましたよね?」
「――だれだ、お前は」
「なんでですかっ!? 家が近所なのに!? 小学校、同じ道場でいっしょに稽古をして、中学校で同じ部活だったんですよ!? 名前聞けばわかるでしょうさすがに!? 稽古で面を食らい過ぎて記憶ふっ飛んだんですか!?」
「冗談だ。でもこの怒涛の勢い、たしかに真だな」
「確信するところおかしいですって!」と真が云った。「……ふぅ。おふたりとも、お変わりなくお元気なようですね」
「お前はずいぶん変わったな」
「太ったって云いたいんですか!?」
「いやまだなにも云ってないが……」
「云わなくたってわかりますよ、ええ、わかってますとも。先輩、わたしだってわからなかったですものね、ええ。太ったのなんて、自分が、いちばん、わかってますよぉぉ……」
あ、ダメだ。これ俺がなにを云ってもダメなやつだ。経験上わかる。真とはそれこそ小学生になる前くらいからの付き合いになるが、ときたまこういう面倒なモードに入ることがあるのだ。ここは黙っているが吉。
「い、引退すると、太っちゃうのは、しょうがないよ。私も、そうだったから」と直美が察してか慌ててフォローした。「そ、それより、修成、受けてたんだね。知らなかった」
「ハイ。ええと、受かるかわからなかったので、おふたりはもちろん、お母さんにも云わないでってお願いしていたんです。プレッシャーになりますし、落ちたらどんな顔でおふたりに会えばいいか……」と真が云った。「でも、無事に受かりました!」
「おめでとう」
「ありがとうございます!」と真が快活に答えた。「ええと、それだけです。直人先輩の顔が見えたので、合格の報告にうかがいました。ええ、と。では、また!」
「え、あっ、ま」と直美が言葉を詰まらせた。
真がぴゅーっとその場を立ち去ろうとしたので、俺はすこし声を張り「おい、待て」と声をかけて、入部届を突きだした。
「忘れ物だ」
「あぁ……」と真が微妙に気まずそうな表情をしながら目線をそらした。「すみません、先輩方。それは受け取れません」
熱気が広がる正面玄関前に、肌寒さを感じる冷たい風が吹いた。
「わたし、剣道は中学で辞めたので」
風を受けた入部届がひらひらと揺れ動く。
「そう、なんだ……」と直美が残念そうにつぶやいた。
「剣道すれば痩せるぞ」
「やりませんって! 先輩のアホ! やっぱり太ったって思ってた!」
いーっ、と歯を見せるように表情を作ってから、賑わっている人混みのなかへ走っていく。
俺はふたたび椅子に腰を下ろした。つづけるための理由にするには弱かったか、と頭をかいていると、パイプ椅子の足を直美が蹴ってくる。
「反省して」
「ちょっと待て。勧誘に失敗したのは俺のせいか?」
威嚇するように目の前に竹刀を突きだされ、俺は「……わかったよ」と答えるしかなかった。
「……そっ――ゃない――。バカ」
ぽそりとつぶやいた直美の声に「なんだって?」と訊ね返そうとしたが、面をかぶっているにもかかわらず、その奥の表情が汲み取れて――その滲みでている怒気に圧倒され、俺は口を噤むことしかなかった。
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