第6話 ぽろぽろ新学期
6
覚悟はしてきたけれど、学校が近づいてくると緊張で身体がかたくなってくる。あたらしいクラスがどうなっているのか不安で、私は「ふぅー……」と深い呼吸を何度か繰り返しながら通学路を歩いていった。
正門を通って下駄箱へ。男女共に制服をクリーニングにだした人が多いのか、普段より生地がぱきっとして新品感がちょっとだけ戻っていた。私は持ってきた内履きをトートバッグからだし、廊下へぽいっと放り投げて足を入れる。
爪先を押しこみながら顔を動かすと、来た人みんなが同じ方向へ向かっているのが見えた。そこには移動式のグレーの掲示板と長いテーブル、それから先生がふたり立っていて、私はそっちへ足を運ぶと『新三年生クラス↓』『新二年生クラス↓』と矢印の下のケースに紙の束が入っている。
「はい立ち止まらないでー。クラス表取ったら自分の名前が書いてあるクラスに向かうー」
完全に他人事の口調で、ジャージを着た体育系の女性教師(担当されたことはない)が手を鳴らしながら告げてくる。私は新二年生の大きめの紙を一枚取ると、緊張で張り裂けそうになっている胸をさすりながら、廊下をゆっくり歩いていった。
指先の湿りで紙がちょっと柔らかくなる。階段を上がりながら、高鳴る胸を鎮めるように大きく息を吐き、覚悟を決めたところで紙を見た。
『2−A』…………『小暮恵大』…………『沼直人』…………『満水真癒子』…………。
マユと同じクラスに、私の名前はなかった。
頭上から岩が落ちてきたみたいに身体が急に重くなって、私は大きく鼻で息を吸いこんだ。なんとも云えない複雑な気持ちが胸中を駆け巡って、私は吸った息を「ふぅー……」と大きく吐きだす。
そんな上手くいくわけないよね、と無理やり納得しようとしたけれど、すぐ気持ちは切り替えられなくて。私は若干動揺しながらも、現実を受け止めるようにクラス表へふたたび目を移した。
『2−C』……………………『沼直美』……………『弓峰優心』『若藤和月』
「っ……」と私はなぜか噴きだしそうになって口を押さえた。「なんでまた、あいつといっしょなんだよもー」
ついつい独り言が漏れてしまった。なんかちょっとだけほっとしちゃって、顔の強張りがすこし抜けていく。それに若藤だけじゃなく、直美ちゃんもいるし、知り合いがまったくいない状況じゃなくて助かったーとすこし気が軽くなって、私は階段を昇っていった。
二年生の教室がある階へ到着し、私は見慣れない風景にやや気後れしながらあたらしい教室へ。緊張しながら開いていたドアを通ると、うすい膜が身体に張りついているように息苦しくなり、私はすでにいた人たちの視線を浴びながら、黒板に貼られていた座席表を確認した。
「よ」
自分の席へ進むと、若藤が窓側のいちばんうしろの席にいて、頬杖をつきながら手を上げてくる。窓の向こうの青空のように表情は穏やかで晴れ晴れとしていたけれど、あたらしい環境に馴染めるのか、すこし不安を感じていそうな陰がちらりちらりと垣間見えた。
「また私あんたの前かー」と私はカバンを机におきながら云った。
「残念だったな」
私は小声でつぶやいた。「別にいいけど。ちょっと、安心するし」
「なんだって?」
「なんでもー」
椅子に腰を下ろすと、私はゆっくりと身体の向きを変え、窓側の壁に背中を預けながら教室を見た。前同じクラスだった人、見たことない人、文化祭とかで顔だけは知っている人など、あたらしいクラスメイトの顔ぶれをざっくりと確認する。
前のクラスと比べたら、まだ溶けこめてる感じがぜんぜんしないけど――馴染めるようにこれから頑張っていこうと自分を奮い立たせていたら、ドアのほうから並々ならぬ気配を察知して、私はそちらへ目線を動かした。
「……やばい、若藤」
「どした」
「直美ちゃんが、きた」
「それのなにがやばいん」
だ、と。若藤がドアのほうへ顔を向けた瞬間、言葉を失った。一歩、彼女が教室へ足を踏み入れたら、クラスメイトが一斉にそちらへ顔を向け、歩くたびにでっかい『!』がどんどんどーんと教室に降ってきたような衝撃が響き渡る。
「あっ。おは、よう……」
直美ちゃんが前髪をいじりながら挨拶をしてきた。長かった髪が、顎のラインに沿うように前下がりになり、前髪も直線的に切り揃えられた見事なパッツンに変わっている。ただでさえ整っている顔立ちなのに、この髪型だと目力とかいろいろ強調されて、黒板の近くに派手な子が集まっているけどその子たちよりはるかに存在感があって、このクラスの真のラスボスみたいになっていた。
「おは、よー。髪、切ったねー」
「うん。新学期、なので……」
「そ、っかぁ。あ。そうだ。あとでマユのところ行くんだけど、いっしょに行かない? 驚くと思うんだよね。それ見たら」
「うん。行く。あっ、おは、よう」
「お、おう、っす」
「なに緊張してんの……キモ」
「し、してねえわ別に」
クラスメイトから猛烈に視線を感じたけど、私はわざと知らないフリをして、ふたりとひたすら話しつづけた。そしたらきれいなおでこをだしたセンターわけの女の子がやってきて「沼さんおっすー。久しぶりだねー」と声をかけてくる。
「あっ、おはよう」
「おはよ。なになにどしたの髪めっちゃ切ったじゃん」
「うん。気合い、入れてきた」と直美ちゃんが答えた。「去年は、文化祭まで、ぜんぜん、クラスの人に、話しかけられなかった、から……その、変わり、たくて」
「なるほどねー。ま、沼さんならだいじょうぶでしょ。それにアタシも同じクラスだしね」とセンターわけの子が云いながらこちらを見てきた。「友達?」
「うん。直人つながりで」
「あー。片割れの」とセンターわけの子が云った。「どもー。えっとその、これからよろしくね」
「あ、うん、よろしく。えーっと、間違ってたらごめん。……文化祭で、血まみれだった人、だよね?」
「うわっ、え、そうそう! 血まみれだった人! え覚えてくれてたんだマジうれしっ」
「めっちゃ目立ってたし忘れない忘れない。人気ヤバかったじゃんあのホラー喫茶――」
自己紹介を含めた雑談をしていると予鈴が鳴って、直美ちゃんとさっきの子が自分の席へ戻っていく。私はどこか心地の良いため息を吐くと、うしろにいた若藤が「いいやつそうじゃん」と小声で云ってきたので「そうだね」と答えた。
クラスメイト全員が席に着き、私語なく待機していたら、静けさをぶち壊すようにドアが開いてあたらしい担任が入ってくる。軽く挨拶をしてから今後の予定など諸々の連絡を伝えたのち教室をでていくと、私は立ち上がって若藤へ顔を向けた。
「あんたも来る? あっちのクラス、行くけど」
「おう」
「……残念、だったね」
「なにが」
「あいつらと、クラス、離れちゃって」
「あー、まあ」と若藤が髪をわさわさといじりながら云った。「だけど一生、会えなくなるわけじゃねえだろ?」
「そう、だね」
私は若藤と直美ちゃんといっしょにマユたちがいる教室へ。二年生の教室がある階のいちばん端っこにあり、すでに他のクラスからも何人かが訪れていて、廊下の窓から先生にバレないようにようすをうかがっている姿が見えた。
「あっ。いた、いた。満水さん」
「えっどこどこ」
「あそこ」
背伸びをしてのぞきこむと、窓側二列目のいちばんうしろの席で、真剣なんだか聞き流しているのかよくわかんないぽーっとした表情をしながら、まっすぐ前を向いて先生の話を聞いていた。
ほんとに、マユと、離れ離れになったんだなぁ。
と、ガラス越しのマユを見て実感してしまう。かかとを下ろすと、ふいにこみ上げてくるものがあって、ぎゅーっと手の甲をつねりながら鼻で息を吸い上げ、泣くな泣くなと自分に云いきかせたけれど、抑えきれなくなった感情が溢れだし、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「あ、、、、、え、ぁ、、ゃ、ば……」
慌てて指で涙を拭う。泣いたってどうにもならないことくらいわかるのに、こうする以外に気持ちを鎮めることができなくて。すこし前まで抱いていた心理的な距離じゃなく、いつもいっしょだったマユのそばにいられないのが、さみしくて……さみしい、なぁ、ほんとに、もう。
いつも通りの私でいたいのに、いられないじゃんか。
長くつづいた話がようやく終わりを迎えたようで、ドアを開く音がすると、廊下で待っていた人たちが吸いこまれるように教室へ入っていく。
私は両頬をパチンと打って気合いを入れ、鼻水をずずっとすすり上げた。
甘えるな。
自立しろ。
私たちは変わっていく。これからも、ずっと、変わりつづける。これから先、何度も何度もこうしたことがある。でも、だいじょうぶ。私は信じてる。卒業して、進学して、就職して、お互いがどんな道に進んでも、私たちは友達だって。
過去に浸ってばかりいたら、いまが見えなくなるから、大切な思い出としてしまっておこう。マユと、みんなと過ごした、あの一年を。
「行こう」
私の顔を見て、ふたりが軽くほほえんだ。若藤を先頭に教室へ足を踏み入れると、若藤はかたまっていた沼と小暮のところへ行き、私と直美ちゃんはマユのもとへ進んでいく。
あのね、マユ。
伝えたいこと、話したいことが、たくさんあるよ。
カレシ、できたんだ。付き合うのはじめてだからさ、これから、いろいろ相談に乗ってくれたらうれしいな。
もちろん私だけじゃなく、マユの話も聞かせてね。恋愛のことだけじゃなく、進路のこと、悩んでること、流行のファッションのこと、美味しそうなお店のこと、日々の他愛のないこととか、なんでもいい、なんでも聞くよ。
クラスが離れても、大人になってからも、ずっと。
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