第5話 そよそよ春色日和



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 男子をデートに誘ったのは、人生ではじめてだった。


 約束の時間まであと二十分。ここに着いてから、まだ十分しか経ってない。


 私はスマホをポケットに入れて改札へ目を移した。この前来たときはまだ冬の名残があったけれど、いまはすっかり春らしくなって、Tシャツにライトアウターを羽織っただけの女の人やスプリングコートを着た男の人が次々と改札を通り過ぎていく。


 待っているあいだ、ずっと、胸のドキドキが止まらない。変じゃないかな、変じゃないよね、とセットした髪と服装をいつも以上に気にしてしまう。


 吉屋、どう思うかな。


 この前誘われたときは『他人から見られる自分』にばかり意識が向いていたけれど、今回は『吉屋から見られる自分』に意識が変わっていて――そのささいな変化に心境の移り変わりを感じて、胸がきゅっと切なく鳴いた。


 あ。きた。


 吉屋が改札を抜ける姿が見え、みぞおちのあたりがぎゅっと苦しくなる。ブラウンのジャケットに、小さめのグレーのサコッシュを首から垂らし、インナーにはネイビーのニット。下は細身のデニムをロールアップさせてしろいソックスをちらりとのぞかせ、足元はこの前と同じスタンスミスという格好だった。


「絶対いないと思ってたのになぁ」


 吉屋がふにゃっと笑みを浮かべると、こっちも思わず頰がゆるんでしまって「残念だったね」と答えた。


 ――タピオカ、もう一度、買いに行かない?


 みんなで遊園地へ遊びに行った日の夜、私は吉屋とラインでその日のことをあれこれやりとりしながらタイミングを見計らい、ざっくり云えば春休み中にもう一度会いたいてきな流れを作って、小心者な私が持ってる最大限の勇気を振り絞ってデートに誘った。


 ――いいよ。


 と吉屋のあっさりした返事がきたとき「えマジ。マジでー!」と高ぶった気持ちがぶわーっと爪先からのぼってきてベッドの上をのたうちまわると同時に「そんなあっさりー!?」と私の勇気をデコピンで返されたような複雑な気持ちになっていたのはナイショの話。


 誘ったのは、吉屋に伝えたいことがあるからで。


 タピオカを買ったあと、近くの深見川(ふかみがわ)の桜を見に行く予定だから、そのとき云おうと思ってる。


「はじめてかも。弓峰さんの私服」

「え?」と私は吉屋のほうへ顔を向けた。

「この前来たときも、同窓会のときも、制服だったから」

「あ。あー。そうだね」と私は云った。「変?」

「ん? ぜんぜん?」

「あ、そう」

「むしろ逆?」

「あ、そう」と私は顔をそらして唇同士を強く重ね合わせた。「行こ」


 一歩、吉屋の前を歩いて顔を見られないようにする。声にうれしさ滲んじゃって聞かれたーと思うと恥ずかしさでいや私そんな口車に乗せられるほど単純じゃないんでバシーって右手突きだしたくなって変の逆ってかわいいの似合ってるのどっちなの!? と思わず訊ね返してしまいそうになった。あーもー素直によろこべないこの性格なおしたいなーほんとに!


 一度来たことがあるので特に道順を調べることもなくこの前行ったタピオカ屋へ。きょうもなかなかの混み具合で、吉屋と最後尾へ移動したら「この前さ、ごめんね」と私は話を切りだした。


「え、っと。なんの話?」

「せっかく誘ってくれたのに、予定、変更させちゃって」

「あ、ああー。いやいいよ。ぜんぜん。気にしてないから」

「ほんとは気づいてたでしょ。並ぶの、めんどくさそうにしてたの」

「……まあ」と吉屋が頬を指でこすりながら云った。「なんとなく」

「ごめん。気、使わせちゃって」と私は云った。「あの日のお詫びに、ここ、私におごらせて?」

「いや。いやいやいいって。ほんとに、気にしてないから」


 真顔でじーっと吉屋を黙ったまま見つめつづけていると、その空気に耐えきれなくなったのか「わかった……じゃあ、今回だけね」と吉屋が根負けした表情を浮かべながら云ってきた。


「うん」


 私はスマホでお店のメニューを検索し、腕を伸ばして画面を吉屋に見せた。


「なに飲む?」

「んー? そうだなぁ」


 吉屋が首をちょっと前に突きだして画面を眺めると、首筋がほんのちょっと浮き上がる。ニキビひとつない頰。耳のかたち。まつげの長さ。そこら辺の女子よりきれいな横顔かもなーってついじーっと見つめていると、視線に気づかれて横目でちらっとこっちを見られ、ふいにドキッと胸が跳ねた。


「なに?」

「あ、いや。なんでも」と吉屋が目をぱちぱちと瞬いた。「弓峰さんは、なににするのかなーって」

「私? 私はねー」と私はスマホを見ながら答えた。「定番の、オリジナルミルクティーのSサイズ」

「そっか。どうしようかな、ぼく」

「でも、宇治抹茶ミルクも美味しそうなんだよねー」

「わかる。なんか色味きれいだよね」

「黒糖ミルクも色きれいじゃない?」

「うん。美味しそう。どうしよ。迷うなー」


 一台のスマホでメニュー表を見ていると、自然とお互いの身体が寄って腕と腕が触れ合った。服の上から身体の熱が伝わっていないか気になるくらいの距離が、じれったくて、むずむずして――頰がゆるみそうになるのを、必死で堪えた。


「ありがとうございましたー」


 しばらくして順番が巡ってくると、私たちはお会計を済ませ、片手にタピオカの容器を持ちながらお店の前から離れていく。私は定番のミルクティーにして、吉屋はあれこれ迷った末、黒糖ミルクにした。


 歩きながら太いストローをすすり上げると、こってりとした濃ゆいミルクティーが舌にまとわりつき、もちもちとした弾力のあるタピオカの粒が甘さを緩和するように口のなかを転がりまわる。


「んー!」

「どう?」

「あっっっ、まい!」

 吉屋がストローをすすり上げた。「ほんとだ……めちゃくちゃあま……あーでも、ぼく、甘党だから意外といけるかも」


 吉屋がストローを軽く口でくわえながらはにかんでくる。なんかすごく……負けた、気がするのは、なんでなの? なんなのその仕草は。天然なの? 可愛すぎるからもう一度やってもらっていいですか?


 なんてもちろん云えるはずもなく、私はストローをすすり上げ、もきゅもきゅとタピオカを噛みながら吉屋と街中を歩いていく。


「深見川ってどこらへん?」

「待って。いま地図見る」と私はスマホを見ながら云った。「えーっと。こっち?」

「弓峰さんそっち駅だよ?」

「え、うそ」と私はスマホを横にしながら云った。「じゃなくて、こっちだ。ごめん」

「ほんとに?」

「だいじょうぶ。信じて。私を」

「めちゃめちゃ不安なんですけど。ちょっと貸して」と吉屋が笑いながら手を伸ばしてきた。

「ぜんぜん信じてないじゃんかー」


 それから、私たちは話しながら深見川を目指して歩いていく。ネットで『桜 名所』と調べれば必ず上位にでてくるくらいの有名なところで、近隣に住んでいる人はもちろんのこと、遠方や海外からも桜を見に訪れる人がいるほどらしい。


 深見川へ近づくたび、徐々に緊張してきて、落ち着け落ち着けと自分に云い聞かせながら何度もストローをすすり上げる。タピオカを飲みこむと、すこしずつ満腹感が襲ってきて、胸に秘めていた言葉が下へ下へ押しこまれていった。


「人、増えてきたね」

「ね。けっこう、いるね」と私は人を避けながら云った。


 深見川沿いを歩いていくと、外国人やスマホで桜の写真を撮っている人たちなどなど、前を向いていないとぶつかってしまいそうなくらい人が増えてきた。端には屋台が出店していて、テーブルの上にお酒らしきピンクの飲み物が並んでいたり、クレープを売っていたりと様々なものがある。


「みたらし、美味しそう」

「買ってく?」

「ううん。いい。私いま、けっこうお腹きてて……」

「わかる。タピオカ、意外とお腹たまるよね」

「ね。だから特に、なにか食べたいとかは、ないんだけど」


 話が、あるの。とは云いだせず、ようすをうかがいながら、沿道をさらに進んでいく。


 ずっとこれまで、都合よくきていたから。私がなにか云いたそうにしているのを察して話を振ってくれるんじゃないかなってちょっと期待していたけれど、そんな都合よく動いてくれないところが現実の男の子だなぁって感じがした。


 甘えるな。

 伝えたいことがあるなら、動け、私。


 手を、伸ばす。


 どれくらいの力加減が適切なのかわからなくて、握るというよりは浅く添える感じで、ふわっと手をつないだ。


 震えが、止まらない。


 はぐれないように、とか。適当な理由はいくらでも思いついたけれど、そのどれもが口にしたら途端に陳腐なものになるような気がして、私は「ねえ」とシンプルに呼びかけた。


「一年前の告白の返事、取り消させて、ください」


 震えを抑えるように、つないでいた手を握りしめる。急に脈絡もなく、こんなところでするような話じゃないって、空気読めてないって、自分でも痛いくらいわかる。でも、いまじゃなきゃダメなんだ。空気を読んで、タイミングを考えてたら、ずっとダラダラと先伸ばしちゃう気がしたから。


――ごめん。吉屋のこと、そういう風に見たことない――


 吉屋に、伝えたかった。

 むかしと、いまで、私の気持ちが変わったことを。


「それは、できないよ」


 吉屋がまっすぐ前を向きながら、軽く咳払いをしてふたたび口を開いた。


「弓峰さんに、そういう風に見たことないって云われて、気づいたんだ。それまでぼくは、なにもしていなかったなって」と吉屋が歩きながら云った。「あれがきっかけで、ぼくはコンタクトにしようと思ったし――髪型とか、服装を、気にしはじめたんだ」


 吉屋の見た目は、中学のときと比べてだいぶ変わった。久しぶりに再会したとき、だれなのかわからないくらいに。


 ううん、違う。変わったのは外見だけじゃない。


 同窓会を、いっしょに抜けだして。

 ホワイトデーのとき、手をつないで。

 春休みになって、毎日ラインをして。

 それ以外にもたくさん、わかりやすいほど意識させようとしてきて。変わった彼のことが頭から離れなくなった。


「自分を変える、きっかけになったんだ」


 吉屋は、変わった。

 私も、変わった。


「それをなかったことにしたくない。あのときフラれて、いまのぼくがいるから」と吉屋がこちらを振り向いた。「だから、取り消しじゃなく、やりなおしじゃ、ダメですか?」


 風が吹く。


 髪が舞う。


「忘れられませんでした。いまも、好きです。付き合ってください」


 春が踊る。そよそよとあたたかな風に運ばれて、川沿いに連なる桜並木から、まもなく訪れる春の終わりを告げるように、桃色の吹雪が散っていく。それを見ていた人の感嘆の声がそこらじゅうから聞こえてきて、その声にかき消されないようにしようと、私は大きく息を吸いこんだ。


「はい」


 私も、好きです。と返事をしたら、ぎゅっとつないでいた手に力がこめられる。吉屋のほうへゆっくり目線を上げると、首からほっぺたまで真っ赤になっていて、その姿を見て胸がぎゅっと苦しくなり、私にも伝播して、頰が、身体が、熱くなった。


 火照りを冷ますように、片手に持っていたタピオカを勢いよくすすり上げると、ずぞぞって乾いた音が鳴り、私は空になった容器を見る。


 いつか大人になって、またどこかでこれを手にしたとき、高校生のときに流行ったよねーなんて懐かしみながら、私は思いだすのかな。


 春の香りと、高校生の頃の、恋の味を。

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