第2話 いらいら同窓会



      2 


 

 休日なのに制服を着ているだけでなんだか懐かしい気分になる。それこそ中学のとき部活をやっていたとき以来かも、とかいろいろ考えながら電車に揺られていると、車内アナウンスが降りる駅名を告げてきた。


 駅のホームへ降り、スマホの横のボタンを押して時計を見る。集合時間の二十五分前。さすがにちょっとはやく着すぎたかもしれないと、自らの小心者っぷりに呆れて苦笑が漏れた。むかしから、集合時間よりはやく着いていたほうが気が楽な性分だった。遅刻するとまわりに迷惑がかかっちゃうけれど、はやく着きすぎて待つぶんにはだれにも迷惑はかからないから。


「えー、っと」と私はラインのページをスクロールさせた。「西口だ、西口」


 私は西口改札方面の階段を降りていく。きょうは中学三年生のときのクラスが対象の同窓会があって、参加者にはグループラインで案内が送られてきていた。その数、十五人。春休みに開いたほうが参加者も増えるはずなのに、春休み前の中途半端な時期にしたのは『いらない人』が来ても微妙な空気になるからで、余計な人数を減らす意図があるんだと思う。大方『計画を立てた』中心メンバーのメンツは最初から決まっていて、あとは条件が合った人でだれが来るのか――と暗に選別している意図が透けて見えた。


 つまるところ、私はステーキについてくるポテトとかニンジンとかコーンのような『別に必要ないけど、とりあえず入れとこう』枠で誘われたんだと思う。同窓会で美味しい思いができるのなんて一部の人達だけだってことくらい、脇役の私はここへ来る前から理解も覚悟もできていた。


 西口の改札を通り抜け、私はきょろきょろと周囲をうかがう。地元からすこし離れたところの百貨店もある大きい駅で、目の前を小綺麗な服装の人が次々と目の前を通り過ぎていった。


 まだ、だれも来ていないみたい。私はほっと息をつき、柱に飾ってある化粧品の看板の近くでスマホをいじりながら待つことにした。いちばん乗りの安心感と緊張感が入り混じって、サイトのページの情報がぜんぜん頭に入ってこないけど。


「あのー」


 すこし高めの、男の人の声が聞こえてきた。私はどこか聞き覚えのあるその声の主を確かめるように目線を上げると、眉根を寄せて、全身をじろじろと確認してしまう。


「え。っ、と……」


 襟足を刈り上げたマッシュベースの髪型をワックスで軽く崩して前髪はセンター分け。すこし眠そうなとろんとしたやさしげな目元に、主張のない鼻とニキビひとつないふっくらとした頰。喉仏があんまりでていない。水色のシャツを第一ボタンまでとめ、厚すぎず薄すぎない黒いニットを重ね着してナイロンリュックの紐が肩にかかっている。ズボンはテーパードのきいた九部丈の黒いスラックスで、映えるグリーンの靴下をチラ見せさせ、踵の部分がソックスと同色のしろいスタンスミスを履いていた。


 え、マジで、だれ。ナンパか。でもたぶん歳近い感じするから大学生じゃなさそう。ということは同じ高校生かも。え、というかなぜに私? そこらへんにもいるけど待ち合わせしてる人。やばいやばいそういうのはじめてされたやばいど「えーっと。吉屋です」


「え?」


 困惑の一声が反射的に口からこぼれる。吉屋。検索をかけてみたけれど、私がいままで会ったことのある吉屋はひとりしかいなくて、その記憶のなかの彼と現在を照らし合わせてみたけれど、まったくと云っていいほど一致しない。


「吉屋?」

「あー。はい……」と吉屋が気まずそうに目をそらした。「吉屋です……」

「え、マジで吉屋?」

「吉屋です……」


 何度も確認をするたび、吉屋がどんどん猫背になって落胆しているのが目に見えてわかった。だって、え、だって、わかるわけない。変わりすぎて。あか抜けすぎて、中学のときの面影がぜんぜんなくて。


「え、ごめん……気づかなくて」

「いや、だいじょうぶ……なんとなく、そんな感じがした」と吉屋が沈んだ声で云った。「――はやいね。来るの」

「あー、うん、まあ」

「いちばんだと思ってたから、びっくりした」

「……ごめん」

「いや、いいんだ、別に」


 吉屋がゆっくりと私の前から移動して横に並ぶ。あの吉屋だとわかったら、急に心臓がばくばくしてきて、私達の周囲に漂ってる気まずい空気で窒息しそうになる。私は音がでないように軽く鼻で息をして、スマホをぎゅっと握りしめた。


「その制服」と吉屋が軽く声を震わせながら云った。

「え?」

「修成のだよね、それ」

「あーうん。そう」と私は答えた。「アスとハルと、高校の制服で行こうよーって、相談してて」

「あー、そう、なんだ。なんで制服なんだろうって思って」

「そういうこと、でした」


 でした、ってなんだよ自分。やだやだあああああもうもう私はどうしたらいい!? だれか来ないかなはやく!? フった相手といっしょにいるとかマジで地獄すぎてやばいし吉屋もよくフラれた私に話しかけてきたね!?


「メガネ」

「ん?」

「やめたの? メガネ」

「あー、まあ、うん」と吉屋が答えた。「コンタクトに、しようかなと思って。高校から」

「印象、めっちゃ変わるね」

「みたい、だね」


 ふたたび無言の間が落ちた。私から話題を振ったのに、ぜんぜん会話をつなげられず、せっかくの芽を摘んでしまう。テストをしているときと同じくらい頭が猛烈に働いて、また次の話題を探してみたけれど「きょう晴れたね」とか「高校生活どう?」みたいな、どれもパッとしないものばかりで、別にそんなこと気にせず口にだせばいいのに、またいまのような気まずい感じになるんじゃないかなと思って、だったら様子見してたほうがいいかなと、私は黙ったまま彼の横で立ち尽くした。


「あ。アレじゃんアレ!」

「うっわ、えマジなっつ! え、てか吉屋変わりすぎっしょ!」


 時間が経っていくと、同窓会に参加するメンバーが次々とやってきて、私達のところへ集まってくる。男子は男子、女子は女子でかたまるようになって、人数が増えていくと輪に若干の距離が空き、吉屋とは会話をする機会がなくなってしまった。


「ぃっすー。ひさびさー」

「えやば、けっこうもう来てる感じじゃん」


 改札を通ってきたアスとハルの姿が見え、声が聞こえるくらい近づいてくると、私の身体が小刻みに震える。ふたりしてお揃いのラベルのついたコーヒーのプラ容器を持ち、髪を脱色したみたいでほんのりと茶色くなっていた。そしてどちらも赤系のリップに目元にグラデを入れたアイシャドウとマスカラの乗ったまつ毛――メイクで完璧に顔を誤魔化していて、ほんとに去年まで中学生だった? と疑ってしまうほどの盛り方だった。


「あ。ユコ!」

「え。あーほんとだ!」


 ふたりが私を見ながらアウターの袖を伸ばして口を隠しながら笑う。アスはピンクのキャップに肩がずり落ちそうなくらい大きなライトブルーのデニムジャケットを羽織り、インナーにはプリントがされたホワイトのパーカーと小さめのサイドバックをぶら下げている。下はジャージ素材のタイトな黒いサイドラインの入ったパンツに市松模様のスケシューを履いていた。


 ハルは紫のニット帽にシルエットが丸みを帯びて腰まわりが絞られたナイロンのミントグリーンのブルゾンを着て、漫画のキャラが描かれたイエローのプリントTをなかに合わせている。パンツは膝が破れたスキニーに、靴は厚めのソールが盛られたダッドスニーカー。どっちもゴッリゴリのストリート系で、男子ウケ狙わない私らかっこいいし逆に可愛いでしょみたいな雰囲気をひしひしと感じた。


 制服、じゃないじゃん。


 私はそのふたりの姿を見て『なにか』が急速に冷めていった。頭のなかにドライアイスがあるみたいに、核になる部分から冷気がもやもやと舞い上がって骨の芯まで凍りそうなほどに。


「久しぶり」


 それでも、ここで、まだはじまってもいないのに、露骨に態度にだすのはよくないなと思って。私は作った笑顔を貼りつけながら、声に感情をこめないように返事をした。


「久しぶりー。え、マジぜんぜん変わんないねユコてか足ほっそ!」

「てかユコだけ制服じゃんやば」

「え、いや待って待って、というかなんでふたり私服? いまめっちゃ恥ずいんだけど私」

「やばいやばい! めっちゃウケんだけど!」とアスが手を叩きながら云った。「いやでもひとりだけ制服よくない? めっちゃ目立つしウケるじゃん? 絶対注目浴びるでしょ?」

「いやいやいらない。いらないからそういうのマジでもー」と私は精一杯の明るい声で云った。

「いや聞いてユコ。ハメたわけじゃないんだよ信じて? あたしらもちゃんと制服で行く予定だったんだけど、アスが突然制服めんどくさくない? ってラインしてきたの。しかも一時間前に!」

「だってウチ気分屋じゃん? このあとボウリングだし二次会カラオケじゃん? 動きにくし汚れたらいやじゃん? ユコやさしいから許してくれるでしょーって思って」

「優心だもんねー」

「ウケる。そうじゃん!」


 いらいらして、笑顔が作れなくなるほど心が冷えこんでいく。いやウケないから。名前いじるとかマジないから。というか、私に伝える気があるならグループラインで連絡してくれればいいのにはなんでわざわざハルの個人アカにだけ連絡するのか意味わかんないし自分で自分のことを気分屋とか云って正当化して悪びれるそぶりも謝りもしないところがマジで腹立つ。しかもそんなこと知ってるでしょみたいな変な上から目線の喋り方で、こっちが怒れば『なにそれくらいのことで怒ってんの?』みたいな理不尽な逆ギレが予見できるからタチが悪い。ハルは絶対的にアスの味方で完全に思考停止しちゃってて、こういうことをしてる自分らを『やばい』って自覚できてないことがマジでやばい。


 この子たちは、なにも変わっていない。そして彼女たちのなかの私は一年前で止まってる。この子たちに合わせていた、表面を繕っていた頃の私のままで。


 私は、心のどこかで期待していたんだと思う。一年も経てば多少なりとも変わっているはずだって。その変わった姿を――内面も外見も含めて一目見たいと思って、私はこの同窓会に参加していた。


 その儚い期待は木っ端微塵に砕かれて――もうこの場にいたいと思えなくなった。こういう『ウケる』ことを優先した考えをした人達と、これから数時間でもいっしょにいたくない。


 もう二度と、ここには戻ってこない覚悟を決めた。

 さよなら。私の中学時代。

 ごめん無理。帰るわ。


「じゃあ、いっしょに、服買いに行こうか」


 別れの言葉を発する前に、横から吉屋の声が聞こえてきて。私はそちらへ振り向くと、冗談ぽさなんて微塵もない真剣な顔で、じっと見つめてきた。


「行く」

 吉屋がうなずいた。「じゃあ――そういうことで」


 吉屋がふたりを一瞥してから手首を掴んできて、ぐいぐいと引っ張っていく。うしろから女子と男子の入り混じった声がした。一歩進んでいくごとに、その声がどんどん遠くなる。過去がほんとうに過去になる瞬間をいま歩いているのかもしれないと、私は吉屋の背中を見ながらなぜかそんなことを考えていた。


 吉屋に掴まれているところがジンジンと熱くなる。手が大きかった。意外と肩幅があった。ほんのりと整髪料のガムのようなあまいにおいがした。きれいに刈り上げられたうなじの下の筋がぽこっと浮いていた。歩幅が広くて歩調もはやいからすこし頑張らないと遅れそうになった。吉屋って男なんだなと思った。


「聞こえてたの?」

「声、大きかったから」

「もう、戻れないよ?」

「戻る気ないから。あった?」

「ううん、ない」

「余計なことしちゃったかな」

「ぜんぜん」

「そ。よかった」

「吉屋」

「はい」

「ありがと」


 外へでてから、吉屋が歩く速度をゆるめると、伸びきっていた腕にすこし余裕ができて。駅前のがやがやした雰囲気に包まれながら身を任せていると、どこか遠くを見ながら「喉、乾かない?」と手首を掴んでいないほうの手をポケットに入れ、スマホを取りだした。


「コーヒー、飲みたいなぁ」

「ん。調べてみる」

「いやすぐそこにあるよ。右。右」

「えっ。あ、ほんとだ」


 吉屋がスマホから顔を上げ、髪を触りながらお店のある方向へ身体の向きを変えた。さっきから私のこと、一度も見てこない。もしかしていまさら緊張してきたのかな、と私は彼の姿を見ながらついついほほえんでしまう。


 わざとなのか、それともほんとに気づいていないのかはわからなかったけれど、お店の前に着くまで、手首を掴みっぱなしだったことは、黙っておくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る