第6話 うるうる合格発表
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改札を通り抜けて塾へ向かっていくと、自然に足取りがはやくなっていく。近づいていくごとに、朝から身体にまとわりついている緊張が増していき、心臓の音が加速していった。
きょうは、二月二十八日。泉センパイが受けた大学の、合格発表の日。
きのうの夜から、泉センパイが受かったのか、その結果がずっと気になってる。それはきょうになっても変わらずつづいていて、一日中授業に身が入らず、心ここにあらずのまま過ごしていた。
受けたわけでもねえのに朝から緊張しちまっていて、きっと本人はオレ以上に緊張してんだろうな、と泉センパイのことをついつい心配してしまう。考えていると時たま不安になったりすることもあったが、だいじょうぶ、絶対受かってると、オレは信じつづけていた。
塾に着き、窓越しになかをのぞいて見たが、フロアに人はあまりいない。自動ドアを通って、受付のある一階をぐるっと見渡してみても、泉センパイは見当たらなかった。
ぞくっと、一瞬、背筋がつめたくなった。
いやな予感を拭い去るように、オレは深呼吸をした。いやまあ、受かってたら来るとは云ってたけど、もう云いに来ちまったかもしれねえし? それに別に本人に待ってるって云ってねえし? 会えると思ってるの、オレだけかもしれねえし? と云い訳を並べながらオレは空いていたテーブル席に腰を下ろし、腕を組んだまま、入り口の自動ドアを見つめつづけた。
そのまましばらく待っていたら受付の向こう側から電話の音が鳴り響いた。すると遠くから、男の声で「おお! おめでとう!」などの喜びに満ちた声が聞こえてくる。
電話はそれだけでは終わらず、待っているあいだに何度もあり、きょうはいろんな大学の発表日とかぶっているのか、合格した人が結果を報告しにやってきたりと、オレはここにいるとなぜか胸が苦しくなってきて、その場から離れるように階段を上がっていった。
自習室のドアを開け、空いている席へ腰を下ろす。ほんとうは、来たときにすぐわかる入口の近くで待ちたかったが、あそこだと落ち着かなくて待っていられねえ。オレは勉強しているフリをするために、カバンから適当に教科書などをだしていった。
何度も、何度も、時計を確認する。
三十分、一時間と過ぎていくごとに、胃のあたりがざわざわしてくる。オレは現実から目をそむけるように、両腕を枕のようにして顔を伏せた。合格発表を待つ親の気持ちってこんな感じなのかもしれねえな、なんて考えながら、不安の波を抑えるように深く息を吐いていく。
――そのまま、オレは眠ってしまっていた。のっそりと起き上がり、まだ軽くぼやけた頭で壁にかかっている時計を見ると、夜の八時をまわっている。
腹の奥が、ぎゅっと苦しくなった。
胸の痛みに耐えながら、オレは机に広げていた教科書などをリュックに入れていく。チャックが半開きのまま持ち上げて、自習室をあとにした。もしかしたら、一階で待っているかもしれない。オレは一縷の望みを抱きながら、階段を降りていった。
泉センパイは、いなかった。
ずん、と。肩に絶望の重さがかかる。そのまま数秒間、階段のあたりで立ち尽くしてしまい、オレはちくちくと刺さる胸の痛みに耐え切れず、すたすたと自動ドアを通って外へでると、身が縮むくらいの冷たい風を浴びながら、駅へ向かっていった。
車道を走っている車のテールライトの輪郭が、ぼんやりと滲む。
「会いてぇよ、センパイ……」
オレはうるうると涙の溜まった目を拭い、ぽつりとつぶやいた。
「ワカ!」
その声が耳に入った瞬間、ばくんと胸が跳ねる。オレは声のするほうへ素早く顔を動かすと、私服姿の泉センパイが、こちらへ走ってきていた。
「よかっ、たー。会え、た」
泉センパイが目の前で止まると、肩で大きく息をしながらほほえんだ。肩を抜いてイエローのダウンを羽織り、首を包むようなフードの立った真っ赤なパーカーをなかに着て、下はほとんどホワイトになりかけている淡いライトブルーのストレートデニムをはいている。靴は三本ラインのしろいスニーカーだった。
「……え、っ、幻じゃ、ないっす、よね?」とオレはおでこを押さえながら云った。
「幻だったらワカ相当ヤベーやつ」
「じゃあ、その」
「うん、受かった」と泉センパイがほほえみながらピースをした。
「マジっす、か。う、わぁ、マジ、か。マジかぁああ……」
涙腺がゆるんだせいなのか、瞳の奥からなにかがこみ上がってきて目が潤んでいく。オレは泣かないように軽く上を向いたけど、高ぶった感情がなかなか引かなくて、両手で顔を洗うようにごしごしと擦った。
「おめでとうセンパイ、よかったマジで……ぁー、ゃ、べえ、ちょ、待って……」
「え、おいーなんでワカが泣くんだよー」と泉センパイが肩をぽんぽんとたたきながら困ったような声で云った。「泣くなよー」
「すん、ません……いやほんと、ずっと、気になって、て。来なかったから、不安になっちゃって」とオレは鼻をすすった。「マジで、ほっと、しちまって……」
「そっかそっか。ありがとね」と泉センパイが落ち着いた声で云った。「待たせてごめんな。合格祝いで親と夕飯食べててさ。それなければ、もうすこしはやく来れたんだけど」
「来てくれれば、なんでもいいっす」
「いや云い訳聞いて。ほんとはさ、夕飯食べる前に、ワカが来そうな時間狙って行こうと思ってたんだよ。だけど学校とか報告行ったりしてたら、どんどん遅くなっちゃってさー」
「いいっすいいっす。気にしてないっすから、別に」
話していると、安心したせいもあるのか切なそうに腹がきゅぅっと鳴った。腹をさすっていたら泉センパイが「コンビニ寄ってく?」と云ってきたので「うす」と答えて歩きだしていく。
うしろ姿を追いながら、いっしょに同じ方向へ。いるよ。いる。目の前に、泉センパイ、いるよ。マジで。とさっきまで夢のなかにいるような感覚だったが、一歩を踏むごとに、次第に現実感がわき上がってきた。
「塾、報告しに行かなくていいんすか?」
「うんまあーもういいや。遅いし、また明日行くよ」
「そっすか。あ、センパイもなんか食います?」
「あたしはいい。お腹いっぱいだし」
「合格祝いになんかおごりますよ?」
「いやそれ別の日にしてよ」
泉センパイが振り返って、きひひって感じできれいな歯並びを見せるように笑いかけてくると、オレはついついその笑顔につられてにやけちまった。そしたら急に心臓がばくばくしてきて、オレはゆるみまくってキモくなってるはずの顔をぱんぱんと叩く。
「合格発表、何時からだったんすか?」
「十時。まあ見に行ったのは昼だけど」と泉センパイが云った。「久々緊張したよーマジで」
「そりゃそうっしょ」とオレは笑いながら云った。「オレも朝から緊張するくらいっすから」
「なんでワカが緊張すんだよー」と泉センパイが笑い混じりの声で云った。「ま、ワカもあと二年? で経験することになるか」
「意識するから云わないでください。まだ高校生活愉しみたいっす」
「二年の夏前からちょっとでもやっといたほうがいいよ。けっこうマジで差でるから」
「やめてやめて。焦る焦る」
泉センパイと他愛のない会話を積み重ねていく。なぜかオレは、そっち方面の話題へ持っていけず、核心に触れるのを避けるように、当たり障りのない会話しかできなかった。
いまじゃないとか、そういうめんどくせえことを考えるのは、もうやめだ。どうしても、いま伝えておきたい。オレが泉センパイのこと、どう思ってるか。
コンビニが遠目でも確認できるくらいになると、オレは覚悟を決め、軽く息を吐いてから口を開いた。
「泉センパイ。やっぱいいっす。コンビニ」
「え、どしたの急に。お腹減ってるっしょ?」
「減ってる。でも、コンビニはいいや」とオレは云った。「泉センパイと飯、食いに行きたいっす」
「なにワカー。誘ってんの?」
「そうっすよ。オレ、センパイのこと好きなんで」
泉センパイが笑いながら云った。「本気にすんぞーそういうこと云うと」
「なってください」
泉センパイがゆっくりと立ち止まり、オレも合わせるようにして足を止めた。こちらへゆっくり振り返ると、泉センパイと目と目が合う。
「え、マジ、なの?」
「うん。本気。めっちゃ好き」とオレはほほえみながら云った。「塾仲間としてじゃなく、泉センパイが好きっす」
そう云うのが当たり前のように自然と言葉がでてきた。もう、緊張なんかしなかった。だって、緊張するってことは、泉センパイの返事を聞くのが怖いってことだから。怖さなんか微塵もなかった。本人からどう思われようと、オレが泉センパイを好きって気持ちは、変わらないんだから。
向き合っているオレたちの横を車が一台通り過ぎる。一瞬、ライトに照らされて、目をぱっちりと開き、口を半開きにしている泉センパイの呆然とした顔がはっきり見え、左頬にはラメを塗ったように一筋の線が輝いていた。
「え、ちょ、センパイ?」
「ご、ごめ。ちょっ、と、びっくりして……」と泉センパイが顔に手を当てた。「え、え。タンマ……」
泉センパイが、手の甲で何度も頬を擦りつづけている。近くを歩いている人たちからの視線がうざかったので、オレはすぐに駆け寄り、泉センパイを隠すように肩を入れてそばに寄った。
「泣かせるつもり、なかったんすけど……」
「だって、突然、コクってくるから」と泉センパイが鼻声で云った。「場所とか、タイミングとか、選べよ、ばかぁ」
「すんません」とオレは小さな声で云った。「そういうの選んでたら、できそうになくて」
すんすん、と泉センパイが洟をすする音が何度も聞こえてくる。オレは気まずくて泉センパイのほうを見れず、通り過ぎていく人たちや車を見てばかりいた。そのまま無言で立ち尽くしていると、真面目な雰囲気をぶち壊すように、ぐぎゅるぅぅ……といつかのように莫迦でかい腹の音が鳴って、咄嗟に腹を押さえる。
「……ご飯、食べ行く?」
泉センパイがすっと手を差しだしてくる。オレはためらいがちに、そっと、その手を取った。小さくて、指が細くて、あたたかくて――触れ合っているところから、くすぐったさがこみ上がってくる。
「行く」
目線を下へ向けると、泉センパイが鼻の下に手の甲を当てながら、上目遣いで恥ずかしそうにこっちを見てくる。反則てきな角度、夜の街の光を吸いこんだ目力のある瞳で見つめられていると、胸がきゅっとなり、心臓がばくばくと高鳴っていった。
「あの、センパイ」
「なに?」
「バレンタインのチョコって、本命、だったんすか?」
「はぁ?」と泉センパイが間の抜けた声で云った。「あっっっ、たり前、じゃん。えっ、あそこまでされて、気づいてなかったの?」
「いやあれだけじゃどっちかわからなくないっすか? 義理かもしんねーなってふつうに思いましたけど。お返し、愉しみにしてるって書いてあったし」
「どんだけ図々しいんだよあたし。えっ……と。もし、来てくれてたら、あたしから云おうと思ってたの」と泉センパイが恥ずかしそうな声で云った。「いやてゆうかそもそも……お菓子あげたり、年下の男子を何度もコンビニ誘ったりしないから……」
「は、えっ、待って。ちょっと訊いてい? いつからっすか? オレのことそういうふうに見てたの?」
「知りたい?」
「めっちゃ」
「敬語やめて、名前で呼んでくれたら教えたげる」
「…………ぃ、、、ぶ、き」
「あーなに? 聞こえない聞こえない?」
「無理無理無理。無理っす」とオレは熱くなったおでこを触りながら云った。「……はぁーくっそ。やっべえ暑いっすね?」
「いやそれワカだけだわ」と泉センパイが笑いながら云った。「まあいっか。かわいかったからゆるす。ちょい」
泉センパイが手招きをしてきたので、顔を近づけたら、耳元でぼそっと「一目惚れ」と告げられた。
女心だけは、一生かけて勉強しても、オレには理解できなさそうだ。
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