第3話 うだうだバレンタイン


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 朝から読まなくてもわかるめんどくせえ空気が教室中に漂っている。それは昼休みになっても変わらずつづいていた。毎年この日になるとそこらの男子に違わずそわそわしちまってるはずなのに、今年はなぞの余裕がある。だけどその代わり、胸につっかえるようななにかがあって、オレは悶々としながら友人の席のとなりで弁当を食っていた。


「直美さん、チョコ作ったんだ」とケイが驚いているような声で云った。

「ああ。きのうの晩、苦戦しながらな」と沼が云った。「味見させてもらったが、まあまあだったな」

「え、と、いうか。好きな人できたの?」とケイが小さな声で訊ねた。

「いや。クラスの女子と交換するためらしい。あとは満水(みちみず)と弓峰(ゆみみね)にもやると云っていた」

「あーなるほど。友チョコね」


 となりで、友人の小暮 恵大(こぐれ けいだい)と沼 直人(ぬま なおと)が向き合いながら弁当を並べて話している。オレは小暮のことを沼の真似で『ケイ』と呼んでいた。クラスには他にも話ができる程度の仲のやつはいるが、このメンツでかたまって過ごすことがほとんどだった。


「ケイは、もうもらったか?」

「あー……えっと、実はまだ」とケイが云った。「放課後、じゃないかな。たぶん、だけど。自習室で勉強したあと、いっしょに帰るから」

「そうか」


 会話が止まり、オレは不思議に思って口を動かしながらそちらへ目を動かすと、なぜかふたりがこちらへ顔を向けていた。ケイはさらさらの黒髪で、ニキビひとつねえ色白の肌に、性格なのかほとんど制服を着崩さず、ネクタイをきっちりと締めている。だけど痩せてっから窮屈な感じはせず、首と襟の隙間に指が三本入るんじゃねえかってくらい余裕があった。


「……あんだよ」とオレは飲みこんでから云った。

「いや。きょう、やけにしずかだと思ってな」


 沼がじっと見つめてくる。短く整えた黒髪で、整形してんじゃねーのかって思えるくらい目力のあるくっきりとした二重の目。ケイとは対照的に長く太い首と、セーター越しでもわかるくらいの厚みのある身体つき。剣道部に所属しているこいつは、元々締まっていた身体が、冬でさらに磨きがかかっていた。


「具合悪いの?」

「別に。ふつう」

「もらったのか?」

「……だったらなんだよ」


 ケイと沼が無言で顔を見合わせ、ふたたびこちらへ顔を向けてきた。


「だから、なんだよさっきから」

「おまえ……わかりやすいやつだな」

 ケイが周囲をうかがうように顔を動かした。「えーっと、もしかして、その」

「ちげえちげえ。塾のセンパイから」とオレは云った。「あーっと、だな……その人、受験生で、きょうが本命の試験なんだよ。だからなんつーか、その、心配っつーか」


 朝起きてからずっと、泉センパイのことばかり考えちまってる。電車遅延してねえだろうな、忘れ物してねえよな、体調だいじょうぶか――と、バレンタインなのにチョコもらえっかなーという自分の心配より、泉センパイへの心配が完全に上回っていた。


「そういうことか。俺はてっきり、もらえなくて落ちこんでたのかと」

「んなわけねえだろ。お返し目的のチョコのぞけば、もらえねえのはいつものことだし」

「同じ学校?」

「いや。他校」とオレは云った。「その人、背がめっちゃちっちぇーの。たぶん、こんくらいかな? んで小中高とバスケ部で、お菓子くれたりしてくれる人でよー」


 手で高さを示してやると、ふたりがオレに生あたたかい目を向けてくる。オレはその意味がよくわからなくて「どした?」と首を傾げたら、ケイがほほえみながら口を開いた。


「いや。愉しそうに話すなーって」

「わかりやすいやつだ」


 そう云われてようやく意味がわかると、顔が急に熱くなってきて「いやいや待て待て、オレはただその人がどういう感じの人か説明してただけだかんな!?」とオレは身振り手振りを交えて誤解を解こうとしたが、逆に云い訳めいた感じに聞こえてしまうのか、言葉を重ねるほど逆効果のようで「はいはい」と投げやりに返されてしまう。


 ケイが立ち上がった。「僕、自販機行ってくる」

「待て。俺も行く」

「逃げんなよおまえらぁ……」


 沼がめんどくさそうな顔で「食い終わったら来い」と告げてきた。泉センパイとのことを説明するのに時間を取られ、弁当はまだ半分くらい残っている。オレはふたりが去ったあと、追いつくためにがつがつと猛スピードで残りを食っていった。


 オレはいままで一瞬でも、泉センパイに恋愛感情を抱いたことはない。たぶんそういう気持ちが芽生えていたら、自然とそういう空気になっちまうし、泉センパイもそれを察して、オレを避けるようになっていたと思う。


 なのに、だ。もうすぐ会えなくなるってわかってから、胸の奥に認めたくない気持ちがある。くそ恥ずいが、泉センパイのことを話してたとき、無意識に声が弾んじまった。


 ただなんつーか……いままでそういう気持ちがなかったのに、突然そんな風に思うようになって、正直戸惑ってる自分がいる。胸につっかかるなにかがあるのは泉センパイの受験日だからってのもあるが、その気持ちが『恋』なのかわからず、もやついてるからでもあるんだろう。


「っした」


 オレは弁当を食い終わって立ち上がる。カバンにしまってから、教室中に蔓延しているめんどくせえ空気から逃げるように廊下へでた。


 ガラにもなくうだうだ考えちまうのは、オレが恋愛に慣れてないからで。きっと、バレンタインにチョコがたくさんもらえるようなモテモテのヤローならよ、こんな風に悩むことなんてねーんだろうな。



 ずっと集中できていないのは自分でもわかってる。英語の文法問題を眺めていても、単語の意味はわかるが文章として頭のなかに入ってこねえからだ。それを裏づけるように、ヘッドホンから流れてくる曲のメロディーのほうが逆に頭に入ってくる。


 オレはシャーペンをくるくるとまわしながら問題とにらめっこをつづけた。だが、視界に入っていなくても意識がどうしてもアレに向いちまう。そんな身が入ってない状態でつづけていてもまったく捗らず、オレは潔く諦めて、ヘッドホンを首にかけた。


「あー。くそ」


 オレは椅子の背もたれに身体をあずけて頭を動かした。お古のテレビとつながってる据え置きのゲーム機から伸びた茎のような配線、窓の側にある布団の近くには積み重なったマンガがおかれ、カバンや私服などがそこらへんに乱雑におかれた散らかり放題の和室の六畳間。そんな汚ねえオレの部屋にひとつだけ、似つかわしくねえものが混ざってる。


「食っちまうか……」


 カラーボックスの上にある小さな紙袋を見つめながら、オレは独りごちた。アレのせいで気が散って自分の部屋だと勉強がまったく手につかねえ。学年末も間近の追いこみの時期だってのに、頭の容量がどんどん泉センパイのことで奪われていく。


 このままだとマジでテストに支障がでそうだったので、オレは立ち上がり、紙袋を持ってきて坐りなおした。いままで食わずにいたのは、バレンタイン当日まで我慢していたからではなく、マジでもったいなくて食いたくなかったのだ。毎年もらえるやつらと違って、こちとらもう二度ともらえねえかもしれねえんだ。大事にしてなにが悪い。


「やっ、べ……なんか緊張すんな」


 腹の奥が締まって胸がそわそわしはじめる。ぱりぱりの紙袋を開き、なかをのぞき見ると、リボンのついた長方形の箱があった。オレは慎重に持ち上げると、その下に手紙が入っている。


「いや、そんなわけねえ……」


 言葉とは裏腹に、手紙の封を開ける手が小刻みに震えてしまう。オレは心臓を落ち着かせるように大きく息をつき、なかに入っていた二つ折りの便せんをめくった。


『ワカへ

 ホワイトデーのお返し楽しみにしてる!

               いぶき』


 オレはそっと便せんを閉じた。ほらな。期待したらそのぶんだけ落とされる。わかってたことじゃねえか。義理だ義理。本命かもしんねえってすこしでも思ってしまった自分が恥ずかしいぜまったく。


 オレは溜息を吐きながらリボンを解いた。箱を開けると、かたちが異なるきれいなチョコが六個並んでる。オレは適当に選んだチョコを指でつまんで口に入れようとしたとき「ん?」と疑問に思って手を止めた。


 ホワイトデーの、お返し?


 このあいだ、塾に来るのは試験前最後って云ってたよな。で、本命の合格発表は、二月二十八日。三月だと、泉センパイは、もう塾にいないはず。


「待て待て待て」


 これはアレか。ホワイトデーに、お返しもらいに行くから、塾で会おうぜてきな意味なのか?


 いや待て待て。仮に義理チョコだとして、お返しもらうためだけにわざわざ呼びだしするか? つーかオレからしたら、無視したって別にいいわけだよな?


 そもそもホワイトデーの前に、本命の合格発表の二月二十八日に受かれば塾に来るらしいから、会おうと思えばそのとき会える。でも、それを訊いたのは泉センパイからじゃなく、オレからで。訊く前に、これを渡してきたのがさきだったから、つまり泉センパイのほうから次に会うきっかけを作ってくれてたわけだ。


「あー、もう、わっかんねー!」


 髪をわしゃわしゃとかき乱す。年上にめっちゃ翻弄されてるよオレ。義理か本命か、どっちなのか気になってしょうがねえ。


 そんな風に考えてしまうのは、自分に自信がない証拠で。好かれてるかもしれねえから好きになろうとしてるだけじゃねえの? と、ついそんなことを考えちまった自分を嫌いになりそうだった。


 考えすぎて疲れてきた頭に栄養を与えるようにチョコを次々と口へ入れていく。噛んだ瞬間、あっという間に溶けていき、鼻から抜けていくカカオの香りを感じながら、オレは「あっ、ま……」とつぶやいた。


 これが泉センパイの答えであってほしいと願ってしまったオレは、どうしようもねえ根性なしだ。

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