第31話 後輩…⑨

 緑川先輩が居なくなり、部室にはほのかと達也の二人だけとなっていた。


 緑川先輩が居なくなった理由は達也の知らない事であり、達也はそれを聞けずにいる。


 自分が考え事をしている最中に何らかの話し合いが行われ、適当な相槌を打った事が仇になったのだと、部室から立ち去る緑川の背中を眺めながら、そんな事を達也は思っていた。


 何がそれじゃぁ。だよ…。


 それじゃぁ、ほにゃらら的な感じで出て行ってくれていれば…いや、ちゃんと話しを聞いていれば、か…。


 思いきって佐倉部長に聞いてみるか?


 いや、「は?」などと返されては、堪ったもんではない。


 ここはれんでいこう!あ、いや、けんでいこうと、達也が心に誓った時であった。


 コン、コン。という扉を叩く音が聞こえてきたのである。


「どうぞ」


 入室の許可を出す佐倉部長。


 現れたのは言うまでもなく、緑川先輩。


「失礼します。ほら、那月なつき?きちんと挨拶してごらん」


 いや、緑川兄妹であった。


「…………」


 緑川先輩に促された妹の那月は声を発する事はせず、ペコりと頭だけを下げて挨拶をしてきた。


「…初めましてだと可笑しいわね。緑川さん。同じクラスの佐倉 ほのかです。一応この部の部長をやらせてもらっています」


 那月とは初対面ではないはずなのだから、初めましてでは可笑しいと考えたほのかは、こう挨拶をした。


「…同じクラスの桐原 達也だ」


 一方、全くの初対面である達也だが、同じクラスらしい人に対し、初めましてでは変だろうと考え、こう挨拶をした。


「…緑川 那月です」


 ほのかと達也の顔をチラリと確認した那月は、緑川先輩の背後に隠れながら、ヒョコっと顔だけを出して、こう挨拶をした。


「…達也君。椅子を出して差し上げて」


 パイプ椅子が一つ足りない状況なのに気付いたほのかは、達也に指示を出す。


 勿論、ほのかに他意はない。


 椅子との距離を考えれば、達也の方が適任だからである。


「…お、おぅ」


 それは達也も充分理解している事であり、ほのかは女の子で自分は男の子なのだから、自分が重たい物を持つのは当然だろうと考えた。


 パイプ椅子って重いか?笑 と、多少は思っていたが、相手は部長、つまりは上司。


 社会の縮図とはこうなのだと、改めて実感しながら返事を返した。


「あ!桐原君」


 ガタッと椅子を鳴らしながら席を立つ達也。は、緑川先輩から声をかけられる。


「…何っすか?」


「わざわざすまない。ありがとうな」


「あ、いえ…」


 わざわざ那月の為に申し訳ない。ありがとう。と、緑川先輩から声をかけられる達也であったが、それはパイプ椅子をそちらに届けてから言ってくれよ。と、心の中で愚痴るのであった。


 ーーーーーーーーーー


 黒板中央の位置に座る達也。


 達也から見て、左にはほのか、右斜め前に緑川先輩、左斜め前に那月が座っている。


 どうやら緑川先輩が席を立ったのは、妹の那月を迎えに行ったからだったようだ。


「佐倉さん。桐原君も…」


 緑川先輩は4つの飲み物を机の上に置いていく…どうやら、くれるようだ。


「………いただきます」


 そう言って、真っ先に手を伸ばしたのは妹の那月であった。


 カタッと音をたてながら、午前の紅茶と書かれたミルクティーを手に取る那月を、緑川先輩は優しく注意する。


「こらこら、那月。まずは二人に選ばせないとダメじゃないか」


 二人とは言うまでもなく、俺と佐倉部長の事だ。


「…ごめんなさい」


 優しく注意された那月は、なぜ注意をされたのかを理解したようで、素直に謝罪してきた。


「いえ。気にしてませんから」


 微笑ましいやり取りを見ながら、ほのかの社交辞令かどうか分からない返答を聞きながら、ウチの妹だって、あ、あれくらい素直なら…と、達也は思っていた。


「あ!ほら、遠慮しないで」


 残ったのはレモンティーと缶コーヒー、ミルクティーだ。


「いただきます」


 机に置かれたレモンティーと缶コーヒーを、達也とほのかはそれぞれ右手を伸ばして手に取った。


 勿論、お礼を言いながらだ。


 どうやら先ほどのように、グダグダ(どっちが飲み物を買いに行くか)にならずに済むな(わ)という気持ちと共に…。


「んっと、それで?緑川はこの部に入部したいって事でいいんだよな?」


 缶コーヒーのフタを開けながら、達也は那月に尋ねた。


 そもそも緑川先輩が来た目的は、この部に那月を入れてほしい。というのが目的だ。


「……那月」


「ん?」


「……緑川だと兄さんと被るから、那月でいい」


「………!?」


 ボソボソっと呟かれるものの、静かな部室の中では那月のそんな声もきちんと耳に届く。


 また、周りは文化部で、静かな部室棟だったのも理由の一つであった。


「確かにな。なら、俺も達也でいい」


 那月の言い分を聞いた達也は納得する。


 現在この空間には二人の緑川が居る為、那月の言い分は当たり前の話しである。また、緑川先輩には緑川先輩、那月には緑川という呼び方でいこうと考えていた達也には、こう呼んでくれという申し出は有り難い話しでもあった…が、誰もが納得するお話しではない。


 納得出来ない者がこの部にいるという事を、決して忘れてはならないのだ。


「まちなさい。達也君?貴方は初対面の女性に対して、いきなり呼び捨てにするような、そんなクズおとこだったのかしら?」


「ぐっ…ク、クズ男って、お前な…」


「は?お前?」


「あ、いえ、すいません…佐倉部長」


 おぉ…怖い、怖い。


 両腕を組みながらゲスを見るような目つきを、是非ともやめていただきたい。


「那月さん?貴女も貴女よ…いきなり下の名前で呼んでくれだなんて…」


「……おかしかった?」


 なぜ注意をされているのかが分からない那月は、兄である緑川に顔だけを向けて質問をする。


「そ、そう…だね。初対面の人に対して…それは…」


 質問をされた緑川先輩は佐倉部長の肩をもとうとしたようだが、緑川先輩自身、なぜ佐倉部長が注意をしているのかが分からないようであった。


 しどろもどろなのがいい証拠ってヤツだろう…ま、仕方ない話しだ。


 考えてみろよ?


 仕事先に新人がやってきて、同い年ならタメ語でいいよ!と、なった場合。


 A「マジっすか⁉︎じゃ、ヨロで~す」


 B「本当ですか⁉︎で、でも…初日ですし…」


 な?


 AのヤツよりBのヤツだろ?


 というより、Aのヤツひどすぎるだろ。


 俺が社長ならクビにしてるところだぜ。


 しかし、緑川先輩も初対面の人に対してと言っているんだし、この事に気づくはずだ。


 ここは様子見だな…。と、達也がそう考えた時であった。


「…初対面じゃないよ?同じクラス」


『……!?』


 と言う那月の言葉を受け、三人に衝撃が走ったのだった。


「そ、そう…だよね?」


 那月の発言を受け、緑川先輩はそう言った。


 チラリと佐倉部長を見たのは、ウチの妹が何か間違ってますか?とでも思ったからだろう。


 同じクラスなのだから、というより、同い年なのだから、下の名前で呼び合う事は当たり前の話しだ。


 また、同じクラスなのだから、初対面でもないハズなのである。いうならアレだ。


 ちゃんと話しをするのは、初めてだねってヤツだ。


 ともあれ、佐倉部長はどう返すんだろう…と、達也はほのかに視線を向ける。


 三人の視線を受けるほのか。


 しかし、その顔に焦りはない。


「いい?緑川さん。日本には、親しき仲にも礼儀ありって言葉があるの」


 だから自重しなさい。とでも言いたげな態度で、佐倉部長は告げる。


 流石は我らが部長。と、思いながら達也は那月へと視線を向けた。


「……⁉︎」


 視線を向けると、向こうもコチラに視線を向けたようで、バッチリと目があってしまった。


 童顔の少女である那月は、やる気が無さそうな、眠たそうな、そんな表情を浮かべながら、ポツリと声を発す。


「……親しい?」


 ちょこんと聴こえてきそうな、そんな態度で首を傾げる那月。


 それを受け、俺に聞かないで!!と、達也は神に祈った。

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