第5話 佐倉ほのかは恋してる
変わらない日常というものが、どれだけ幸せだというのだろうか。
スッと視線を壁時計に向け、16時かぁ…などと、心の中で呟く達也。
それは、現実逃避からの行動であった。
達也が現実逃避をしてしまったのは、佐倉ほのかから出されたクッキーらしき物が原因である。
「…お口にあえばいいのだけれど」
「…………」
白い肌をほんのり赤く染め、目を決して合わせないようにしながら、我らが相談部部長である佐倉ほのかはそんな事を言ってきた。
長くて黒い髪を右耳にかける佐倉部長。その所為で、耳まで赤くなっている事に気付いてしまう達也。
あぁ…分かっている。分かっていますとも。お口にあいますとも。いや、あわせますとも。と、頭の中で考えながら、クッキーらしき物を見る達也。
紅茶まで出されているこの状況でだ。いや、食わねーから。などと言えるだろうか?
断じて否だ!
俺はそんな、鈍感系男子ではない。
スッと右手を伸ばし、クッキーらしき物を手に取る達也。
ビク!っと肩を震わせているであろう事を、達也は雰囲気で察しながら、クッキーらしき物を口元へと運ぶ。
「……!?」
ふ…。流石だぜ…佐倉部長さんよ。
今すぐ飲み物を口に含みたい。
しかし、佐倉部長から出された飲み物は熱々の紅茶である。
の、飲めましぇ〜ん。゚(゚´Д`゚)゚。
生き地獄とは、この事を言うのだろうか?
「…ど、どうかな?」
不味いです。
などとは、言えない。
何故なら俺は、鈍感系男子ではないからだ。
「…ゴクリ。う、うん。いいんじゃ、ないかにゃ」
味覚など人それぞれである。お口に合わない俺が悪いのだ。それに、相手は部長である佐倉ほのか。部長にはゴマをすれ!な?常識だろ?出世したいならな!
勿論、達也に出世願望などないし、ゴマをすったところで、出世が出来るかどうかなど分からない。
しかし、女性が作った物に対し、不味いと本音を言っていいのかが、達也には分からなかったのである。
クッキーらしき物を再びかじる達也。
何度食べても、うむ。不味い。
ぐは…!か、考えろ!考えるんだ!身近な人物で例えて考えろ…だ、誰だ?い、いのりか?
このままでは身がもたないと悟った達也は、上手く逃げる算段を立てようと、身近な人物である いのりで考える。
もしも仮にだ。このクッキーらしき物を妹のいのりが作り、お、お兄たぁん。た、食べてぇ♡などと言ってきたと仮定しよう。
「ど、どう…かにゃ?」
「不味い」
「い、一生喰うな!!バカ!!」
パンチだかキックだかがいのりから飛んでくるのは間違いない。パンチだかキックならまだいいが、その後いのりが全く料理をしなくなってしまうかもしれない。
それは、親代わりの俺としては何としてでも避けたいところである。
勿論、次はみてなさいよ!と、奮起する場合も考えられるが、それはそういった性格の場合のみの話しだ。
佐倉ほのかがそういった性格なのかは当然、俺が知る訳もなく、いいんじゃないか?とは、つい口から出てしまった言葉であった。勿論、嘘ではない。
コレがいいと言う人だって、探せばいるハズなのだから。
ちなみに妹のいのりは、絶対奮起しないと断言してもいい。いや、むしろ作ってくれないに1万ペリカ賭けてもいい!おっと。賭け事はいけない事だ。賭ケグルっている場合ではない。
冷静になれ…ここで不味いなどと言って、佐倉部長を怒らせるのは避けねばなるまい…。
幸いにも、見た感じだと…ひぃふぅみぃ…うむ。10枚前後か…。
これなら何とかもつ、いや、もたせられるだろうと、考える達也であった。
が。
「良かった。色がアレだったから不安だったんだけど…。まだまだあるから遠慮せず、たくさん食べてね」
「………!?」
ドサッと出されたクッキーらしき物体を見て、達也の頬が引きつってしまう。
おぃおぃ。いつもはこんなことしてこねぇじゃねぇか!と、内心思う達也。今日はどうしたんだ?と、質問しようとしたその時、その答えはほのかの口から発表される。
「……き、昨日、あ、あれ、だったから」
「…………」
だったから…って。何だよ?
チラリと視線を向けると、スッと視線を外されてしまった。
ほのかは顔を真っ赤に染めるも、うつむいていた所為か、達也が現実逃避していた所為か、達也が気付く事はなかった。
ほのかは後悔していた。
何に?と聞かれたら、昨日の放課後に達也を屋上に呼び出しておいて、無言だった事をだ。
自分に勇気があれば…と、思うものの、現実はそんなものであると、ほのかは昨日知る羽目になる。
勇気を出して手紙を入れ、屋上で待っていたまではいい。
しかし、結果はコレだ。
達也がじゃぁなと告げ、扉を閉めた途端に腰が抜け、金網に背中をぶつけながら、泣いてしまったぐらいである。
とにかく怖かった。
フラれる事が一番怖い?
違う。
一番怖いのは、彼との関係性が無くなってしまう事である。
達也との関係性は何か?
クラスメイトであり、部活の後輩である彼だが、告白に失敗すれば、告白した者とフッた者という関係性になってしまう。
それは、世界が崩壊すると言っても過言ではない事だとほのかは思っている。
(必ず成功する告白は、勿論存在する)
相手の気持ちを理解していれば、成功するのは当然の結果であり、卑怯でも何でもないと私は思っている。むしろ、羨ましいぐらいだ。
しかし残念ながら、相手の気持ちを知る手段が私には存在しない。
親しい友人もいなければ、
冬美先生は似た者同士だと言っていたが、私はそうは思わない。
似た者同士ならば、
チラリと達也を盗み見るほのか。
「………!?」
ギュッと胸を締め付けるこの感覚が、告白に失敗してしまったら、無くなってしまうのだろうか?
学校に来る楽しみが、彼の背中を見る事の出来るあの風景が、私の日常から無くなってしまうのだろうか?
それに…。
クラスメイトでは、下の名前を呼ぶ事など出来ない事だが、部活なら話しは別だ。
部長という権限を使い、桐原君ではなく、達也君と呼ぶ事が出来る。勿論、ほのかと下の名前で呼んでほしいが、部長の権限を再度使ったとして、達也君にほのかと下の名前で呼ばすのはおかしいので、それは諦めている。
下の名前で呼ばれるのは、つ、付き、付き合ってからで…。
ドキドキ。と、心臓の音が速くなっている事が分かる。身体が火照っている事が分かる。
決して嫌いではないこの感覚たち…。
これすらも無くなってしまうのだろうか?
それは絶対に嫌!!
では、なぜそれで満足出来ないのか?
答えは簡単だ。
私はそれ以上を求めている。
桐原達也と特別な関係になりたいと、私は心の底から願っているから。
だからこそ、手紙を入れたのだ…。
キューッと再び胸を締め付けてくる嫌いではないこの感覚に必死に耐え続けながら、私は彼に話しかける話題を探す。
クッキーの話題は尽きた。紅茶の話し?けど、銘柄なんて覚えてないし、美味しいか美味しくないかで会話は終わってしまうだろうって、ま、待って!!わ、私…今、昨日の話しをした!?
つ、つまり、それって…屋上の話題を自ら提供したというわけで…あって…。
「…………」
チラリと達也に目を向けると、平然とした表情でクッキーを食べる姿が目に映る。
達也を見て、ホッと胸を撫で下ろすほのか。
どうやら達也には聞こえなかったらしい。
大丈夫。大丈夫だから…と、ほのかは自分に言い聞かせた。
そうしないと、今にも泣き出してしまいそうだったからである。
ーーーーーーーーーーーー
クッキーらしき物をかじる達也。
勿論、達也の耳には昨日のアレでと、ほのかが口にした事はバッチリ聞こえていた。
はい。はい。分かってますとも。えぇ。分かってますとも。
昨日の屋上での出来事を思い返す達也。
手紙に呼ばれ、屋上に行ったら佐倉ほのかが待っていた。
会話をする事もなく、時間だけが過ぎていき、何事もなく帰っていった昨日。
そして、何故か入部して以来一度もなかった、ほのかから初めて出されるこの不味い手作りクッキーらしき物に、お口直しさせねぇからな!と言わんばかりの熱々の紅茶。
昨日のアレで。
ふむ。以上を踏まえて推理すのであれば、つまり、口封じってヤツなのだろう。
もしくは、餌付けか何か。
誰にも言うなよ?あ"あ?的な事なのだろう。
えぇ。えぇ。分かってますとも。分かってますとも。
佐倉がフられたのか、イジメられたのかは分からないが、イジメられるようなヤツではないのだから、恐らくフられたのだろう。
冷静に考えてみろよ?
フられた女の子に対し、やーい(笑)など言う男子高校生が何処にいる?いや、いるのかもしれないが、俺はそんな男ではない。
むしろ紳士な男だ。
バレンタインの日がいい例だっただろうって、うるせーよ。
武士の情けだ。と、達也はあえて聞こえないフリをするのであった。
さて、話題を逸らさないと、俺は永遠にこのクッキーらしき物を食べる羽目になってしまう。
おそらく、砂糖と塩を間違えてしまったであろうコレをだ。
「な、なぁ…。佐倉部長?」
「……!?な、何かしら?」
そんな身構えなくてもいいのに。
大丈夫だ!フられた事は言わないし、誰にも言わないから安心しろ。だから、この料理を下げてくれないですか?お願いします!!と、佐倉に言えたらどれほど楽か…。
「一応、確認なんだが、新入生とかって、どうするんだ?」
「…………」
「ひ、ひぃぃ!?あ、いや、ほ、ほら、周りの部は、そ、そういった活動をしている……わ、わけ、でして」
何て冷たい眼で俺を見やがる…。クッキーらしき物を食べたくありません作戦がバレたのだろうか?
「た、達也君は、ほしいの?」
明らかに怒ってらっしゃる佐倉部長。
目が怖いんですけど(汗)何か、不吉なオーラみたいなものが見えるんですけど…。
効果音をつけるなら、ゴゴゴゴゴだろう。
さ、さて、ここは小粋なジョークでも挟んで、この空気を何とかしなくては…と、達也は考えた。
「達也先輩とか、呼ばれたいなぁ…なんちゃって」
「………!?」
ははは。と笑う達也。
勿論、ジョークだ。
後輩っていいなぁと、あずにゃんやいろはすなどを見て思う達也ではあるものの、別に居ないなら居ないでいいとも思っている。
何故なら、相談部などというわけもわからない部活に入るよりもだ、けいおん!部や生徒会に入って頑張ってほしいと、心の底から願っているからである。
達也のジョークは、果たして佐倉ほのかに届いたのだろうか?
残念ながらそれを確認する事が達也には出来なかった。
ま、不味い…。
ほのかは、そう。とだけ告げ、冷たい視線をずっと達也に向けてくるのであった。
気持ち悪いとでも思われただろうか?ジョークだ、よーーんと、言うべきだろうか?しかし、佐倉のあの眼を見て、そんな事を言えるはずがないではないか。
……き、気不味い。何とかせねば。
え、えぇい!仕方がない。
達也はクッキーらしき物を、美味しいなぁ〜美味しいなぁ〜と言いながら、口にパクパク放り込み続けた。
勿論、達也がこの後気分を悪くしたのはほのかが知らない話しであり、クッキーを美味しい美味しいと言いながら食べ続ける達也を見て、ほのかが家で歓喜した事は、達也が知らない話しであった。
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