第3話 桐原いのり
屋上を後にした俺は、下駄箱へと向かって歩いていた。
先ほどの軽やかな足取りが嘘のような、そんな足取りでだ。
結局、あの手紙は何だったのだろうか?
佐倉ほのかはあそこで、誰を待っていたのだろうか?または、何をしていたのだろうか?
頭の中は、その事でいっぱいであった。
それに加え…。
ここから…だよな?
仮にこの手紙がイタズラだった場合の事を考え、この後の展開を想像した俺は、はぁ。と、ため息を吐いてしまう。いや、ため息が漏れてしまった。が、正しいのかもしれない。
とにかく、そんな心理状態だったのだ。
下駄箱近くの廊下へとやって来た俺は、手紙を発見した時のように、辺りを見渡してしまったのだが、今度は理由がはっきりとしていた。
やめてくれよ…。
靴箱を開けると手紙が入っていて、バ〜カ。とか、キモッ。とか、そんな感じの事が書かれているかもしれない。
イタズラですから〜残念!などと手紙に書かれていたら、手紙をその場で破り捨ててやる!
靴箱に手紙が入っていた場合の対処方法を頭に浮かべながら、ギター侍ではない事を祈りながら、カチャッと靴箱を開ける。
何もない…か。
ホッとしたのは、イタズラの可能性が減り、ラブレターの可能性が残ったからなのか、イタズラだったが、これ以上の傷を負わずに済んだからなのか…。
恐らく、両方だろう。
靴をいつもより雑に扱ってしまったのは、無意識からであった。
ーーーーーーーーーー
桐原達也は自転車通学である。
家が近いからとか、家が貧しいからとか、そんな理由ではない。
バイトの為にだ。といっても、毎日バイトというわけではないのだから、その説明だと不十分だろう。
説明するのであれば、学校に申請する際に、なら、毎日自転車通学にしとけ。と、冬美から言われたからである。
現在、ワクドナルドで働いている達也。
ワクドナルドという企業は、時間の融通が利く素晴らしい企業であり、その事から、学生や主婦に大変人気の職業であった。
一日2時間からバイトOKのアルバイトなど、学生や主婦には大変有り難い勤務体制なのである。
今日はたまたまバイトが休みであり、たまたま部活も休みで、たまたまその日にラブレターらしき手紙が入っていたのだ。
それって何だか、運命じみたものを感じないだろうか?
まるでこの日を狙い澄ましたかのような、そんな手紙…いや、気の所為だ。気の所為。
手紙の事を考えるとテンションがガクンと下がってしまうので、家に帰り着くまでは、気にするのはやめよう。
そんな事を考えながら、自転車を押して校門まで向かう達也。
自転車を押しているのは、自転車が壊れているとかそういった理由ではなく、校内で乗る事が禁止されているからである。
手紙の事は帰ってからじっくり考えるとして、さて帰るか…と、達也は自分を納得させるのであった。
ーーーーーーーーーーーー
校門を出て、少し進んだ所で立ち止まる達也。
「今の内に電話しておくか」
小さな公園の前で、達也は携帯を取り出した。
「さて、出れば奇跡だが…」
プルルルルという発信音を聞きながら、達也は相手が出るのを待っていた。
るんるん♪ではなく、ハラハラといった、そんな気分である。
ま、出なければ出ないで、全然良い。むしろ出ない方が大変有り難い。なので、出なくて良いぞ♡
何故なら俺は電話をかけている。つまり、証拠を残しているというわけである。
家に帰って、は?電話した?などと聞かれても、堂々と反論できるというわけだ。
出るな!出るな!出るな!と、脳内でそんな事を考えていたのだが、どうやら今日は、とことんついていないらしい。
「……何?」
「…あぁ、悪い。俺だ、俺」
「は?わかってるし。キッモ」
着信画面を見れば俺からの着信だと分かっているんだろうけどな…それにしても…キモッて…酷くない!?
こめかみをヒクヒクさせる俺であったが、その言い方は何だ!などと、怒ったりはしなかった。
「……今日の夕飯の献立なんだがな」
「……………」
プツ。ツー。ツー。ツー。
「…………!?」
ふ。流石だぜ。マイシスター。
先ほどよりこめかみをプルプルさせながら、携帯をポケットにしまう達也。
どうやらいつも通りらしい我が妹 いのり。
お兄ちゃんに任せるね♡…か。
いやはや、仕方がない…。
頭の中で今日の献立を考えながら、達也は自転車を、出来るだけ速く走らせるのであった。
ーーーーーーーーーーーー
2LDKタイプのマンションである桐原家。
現在、いのりと二人で住んでいるマンションの駐輪場に自転車を停めて、買い物袋と学生鞄を手に取る達也。
「…よっと」
今日の献立はシチューである。
大量に作れば、明日も明後日もシチューと、大変 助かる献立なのだが、そうはいかない。
いのりがそれを、心底 嫌がるのだ。
は?手抜き?とか、は?嫌味?などなど、最後は良く分からない理由で怒ってくるのである。
そもそもカレーやシチューを作るという事は、アクをとったり、数時間 煮込んだりしないといけない料理であり、手抜きと言われる意味が分からないし、カレーやシチューは二日目からが一番美味しく食べられるので、大量に作った方が絶対にいいはずなのである。
また、いのりは嫌味?と、言ってくるが、シチューで身長や胸が成長するハズもないのだから、嫌味とか言われても全くもって理解が出来ない。
いや、確かにシチューには、牛乳やチーズなどいわいる乳製品を使用するが、何処の世界に、自分の妹の身長や胸を大きくしてやろうなどと考える兄がいるというのだろうか。
はぁ…やれやれ。ここからか…頑張れオレ!
これから起こるであろういつもの展開に備え、達也は自分を励ますのであった。
ーーーーーーーーーーーー
302号室が、桐原家である。
荷物を抱えているので、両手は塞がってしまっている。せめて、ドアぐらい開けてくれてもいいのだが、勿論そんな事を期待しても無駄である。
そもそもだ。戸締りがきちんと出来ていると、ここは、褒めてやるべきところだろう。
脇に学生鞄を挟み、いつも通り自宅ドアを自分で開ける達也。
勿論、お出迎えなどあり得ない。
しかしコレは、普通なのではないだろうか?
ドアを開けたらいのり(妹)が仁王立ちしていて、お出迎えをしてきたらしてきたで、ちょっとひいてしまう。
エプロン姿でお帰り♡などと出迎えられても同じだ。
そんな夢みたいなシチュエーションなど、存在しないのが現実ってものだろう。
司波深雪(アニメキャラ)じゃないんだからよ…ははは。
バタン。という玄関の扉が閉まる音を聞きながら、達也は靴を脱ぎ始めた。
「ただいま…って、返事がくるはずないか」
いつも通りの桐原家。
玄関の床に買い物袋をそっと置き、脱いだ靴を丁寧に揃えてから、まずは自分の部屋へと向かう。
玄関から見て正面がトイレ。左にある二つの部屋が達也といのりの部屋で、右にある二つの部屋がリビングと脱衣所というわけだ。
「……マジ〜。ウケるぅ」
「………」
どうやらいのりは、リビングらしい。
その事を、リビングから聞こえるいのりの声から察し、達也は自室へと入っていく。
自室へ入るといっても、学生服の上着をハンガーにかけ、学生鞄を勉強机に放り投げたら、夕食の為にとリビングに向かう羽目になるので、特に長居はしなかった。
ガチャッと自室のドアを閉めると、マジ?ウケる〜笑。と言う、先ほどより若干大きめな妹の声が、扉越しに聞こえてくる。
どれだけウケてんだよ…と、心の中で呟きながら、達也は玄関に置いた買い物袋を手に取ってリビングへと向かった。
ーーーーーーーーーー
リビングにて。
桐原家のリビングを説明しておこうか。と言っても、至ってシンプルなリビングだ。
廊下からリビングにつながる扉を開けると、正面にソファーやガラステーブルが置いてあり、左に台所、右に本棚やテレビやらが置いてある、ザッ、リビングって感じのリビングである。
「ただいま。直ぐ、夕飯の準備するからな」
リビングの扉を締めながら、妹へと話しかけた。
勿論、ガン無視だ。
しかし、これは仕方がない。
何故なら妹のいのりは、現在 誰かと通話中なのである。
ガラステーブルを囲うように置いてあるL字のソファーに目を向けると、妹の定位置でもあるL字の長い部分に寝転がって、いのりは通話をしていた。
……やれやれ。
先ほど帰ってきたからなのか、帰ってきたがそのままなのか、いのりは制服姿のままである。
うつ伏せ状態でソファーに寝そべり、学校指定の靴下を履いた足を、上下左右にとプラプラとさせるいのり。
おかげでスカートの中が、この位置から丸見えである。
「……ただいま」
挨拶は大事だ。
そう思った達也は、先ほどより少し大きめに、挨拶をする。
大きめの挨拶だったからか、俺の気配を察したからなのかは分からないが、俺が帰ってきた事に気付いたようだ。
いのりはチラりとコチラを見ると、スッと姿勢を正した。
いや、正したは間違いだ。
何故ならうつ伏せ状態だったのをスッと解除し、あぐらをかいて座り直し、座り直したかと思ったら、携帯を頬と右肩で器用に挟んでペシペシと、左手首を右手の人差し指と中指で叩いてきたのである。
鋭い目つきで口をムッとさせながら、時間!時間!早く!と無言で伝え、伝え終わるとスッと、元の態勢に戻ってしまったのだった。
「え?聞いてるよ〜もぉ。怖いよねぇ〜」
怖いのはお前の方ですけど(笑)などとは死んでも言えない達也は、はいよ。と、返しながら、いつも通り台所へと向かうのであった。
ーーーーーーーーーーーー
台所で調理をする達也。
しばらくすると、通話が終わったのか、いのりがコチラにやって来た。
ドス!ドス!ドス!と、怒ってるんです私!と言わんばかりの足音でだ。
やだなぁ…怖いなぁ…なんだかなぁ…。
触らぬ
そう思うも、流石に妹を無視できるハズもない。
「……何か用か?」
「は?冷蔵庫に用があるだけだし。キッモ」
冷蔵庫に用があるなら、その足音を是非やめていただきたい。
「…………」
ガチャッと冷蔵庫を開け、達也が作ったお茶(といっても、沸騰させたやかんのお湯にパックを入れただけ)を手に取り、コップに入れてゴクゴクと飲むいのり。
長話しのせいか、相当 喉が渇いていたようだ。
「…………」
無言。
これほど辛いコトはない。
何とかしようと考えたのは、達也がいのりに気を使ったからではなく、聞きたい事があったからである。
グラスを洗面台に置くいのりを見ながら、達也は話しかけるタイミングを見計らっていた。
グラスから手が離れ、くるりと回れ右をしたところで、達也はいのりに話しかける。
「……中学最後だな」
達也が話したかった話題は、コレであった。
いのりは、中学三年生だ。
本当に中学三年生?などと思いたくなる身体をしているが、身体=歳ではないだろ?
猫みたいな鋭い目つき。栗色の長い髪をツインテールにしている我が妹いのり。
ちなみにいのりは、芸能人である。
兄である達也には、何故いのりが芸能人として活躍できているのかが分からなかった。
というのも、先ほど見た下着といい、このルックスといい、一緒に暮らしていても、全くといっていいほど興奮しないからである。
いや、妹に興奮する。しない。などという議題自体がおかしいか…。
いのりは可愛い…とは思うものの、達也にとってそれは、あくまでも妹としてであった。
「……それで?」
中学最後だな。で?と、返される達也。
「進路とか…その、決まっているのか?」
基本的には進学であるが、何も進学だけが全てではない。就職する者もいれば、どうしてもあの高校に行きたいんだと、留年する者もいる。
達也がいのりに聞きたい事とは、いのりの進路についてであった。
就職するにしても進学するにしても、留年するにしてもだ。未成年であるいのりには、保護者の承諾が必要であり、いのりの保護者は達也である。
「…アンタには関係ない」
「関係ないって、あのなぁ…」
いつもの達也であれば、そうか…。と、済ませたところなのだろうが、今日の達也はいつもと違っていた。
浅倉冬美の件といい、手紙の件や佐倉ほのかの件にと、頭の中がいつもよりパンクしそうになっていたからである。
「は?何?親でもないんだから、アンタには関係ないじゃん」
達也が一番嫌いな言葉を、フン!と、いのりは顔を背けながら言い放つ。
その
「いのり!!」
達也はいのりの両肩を掴み、ドン!と、壁に押し倒していた。
壁がなければ、もしかしたら床に尻餅をついてしまっていたかもしれない。そんな勢いである。
この時の、達也の心情を表す言葉を選ぶとすれば、思わずだったのか、無意識だったのか…。
「…………」
「…………」
静寂な空間の中、決して顔をあげようとはしない いのりを、達也は見下ろしていた。
少し経ち、ハッ!と、我にかえる達也。
「わ、悪い…」
パッと、掴んでいた両手を離し、一歩、二歩と下がった位置から、達也は謝罪する。
軽く頭を下げ、チラリといのりの方に目を向けると、プルプルと震えているのが分かってしまう。
「………バカ」
「…⁉︎い、いのり‼︎」
ボソりとその言葉だけを残したいのりは、自室へと走って行く。
「………」
罵倒された方がまだまっしだ。
怒鳴り散らされた方がまだまっしだ。
ボソボソと呟かれた方が、ずっしりと重く、心にのしかかってしまう。
ゴツンと、自分の手で自分の頭を叩く達也。
…ホント、何をしてるんだか。
壁にかけられている死んだ両親の写真たてに、チラリと視線を向けてしまったのは、決して無意識からではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます