第4話 水曜日。レオの恋バナ

水曜日。レオの恋バナ

いつだって理央の話は、聞いてもらえない。周りはいつも弱い者の味方だった。怪我の大きさや多さ、口の悪さや素行の悪さ。理央はいつでも悪者だった。弱者が正義で強者が悪。そんな方程式が成り立つとして、けれど悪の理央に言わせれば、弱さは悪で強さは正義だった。正しいのは、いつも・・・自分だけだった。


「獅子澤君だわ。」「本当だ。見て、あの・・顔。」

ざわり、ざわり。教室中の空気が理央が入ってきただけで騒がしくなる。染めたての緑の髪が原因でないことくらい、もう理央はわかっている。

「・・今日は、一日いるのかな。」「どうしよう・・何かあったら。怖い・・」

自分の席に座って、かばんを掛ける。もう、何度も席替えをしているのにいつも理央の席は、教室の一番端の扉側だ。

「はぁー・・」

長くなった前髪を止めていたピンをはずす。途端に世界はまるで水草越しに見ているようになっておもしろい。最近の理央のお気に入りだ。

「・・なんだよ、あいつ。・・すかしやがって。」

理央の耳に入る言葉は、全て悪意とほんの少しの怯えと軽蔑が入っている。

「・・・」

帰ろうかな。そう思っていると教室の扉が開き、理央とは正反対にきちんとネクタイを締め、ブレザーを着ているクラスメートが入ってきた。

「あ、葉月君。おはよう・・。」

「おはよう、火野さん。・・・あれ・・」

ツキの目が何気なく理央の元へ。それから理央の姿を確認すると目元が楽しそうに意地悪く笑う。

「・・レオが学校に来るなんて珍しいな。・・あ、だから今日は雨なのか。」

「な!お前!!」

ガタンと机が、大げさに音をたてて、それに合わせて周りの女の子が、小さく悲鳴を上げる。あぁ、まただ。いつもこうだ。なんで、俺ばっかり。クラスの子はみんな騙されてるんだ。ちょっとばかし成績と家柄と顔がいいからって、俺の方が何十倍も、言動も性格も優しいのに。

「あぁ。悪い・・怒ったか?」

「いーえ。べーつに。」

さっさとツキは、何事もなかったように理央の隣に座る。ツキの席も何度席替えをしてもずっと理央の隣だ。

「最後までいるんだろう。せっかく雨の中きたんだ。」

「・・・うん。」

もしも、こいつが異性だったらくらっとしてんだろうな。そう思うくらいに綺麗な笑顔のツキを見ながら理央は思った。そして、それを肯定するように理央の前のクラスの子は、顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。


「あー・・もう、本当帰っちゃおうかな。」

久しぶりすぎて体が、五十分授業に慣れてくれない。休み時間にトイレに行っても、授業中にまた行きたくなるし、授業が始まってすぐじっとしてられなくて体中がうずうずする。

「まだ、昼休みにもなってないぞ。」

「だってー・・あーぁ。本当なら、今頃由香ちゃんとデートだったのにぃ。」

「そういや、昨日そんなこと言ってたな。・・・何で、学校にいるんだ?」

「・・おうおう、聞いてくれよ、ツキ。それがさぁあ」

瞳をうるうると潤ませて、さぁ聞いておくれと、理央がツキの方を向く。と、同時にまるで狙ったかのように女の子がツキの元へ。

「あ、あの・・葉月君・・ちょっといい?」

もじもじとスカートの先を指でいじる。少し赤い頬を見れば、あぁ・・なるほど。と、一人頷き理央は口を閉じた。良いなぁ、青春か。ツキはモテるからな。・・でも、俺とどこが違うっていうんだ。俺の方がどちらかといえば女顔のツキよりもイケメンなのに。体つきだって俺の方がマッチョだし、ツキはもやしだし、口は悪いし・・それになにより

「何?田中さん。俺に、用事?」

「う、うん。ちょっと、話があるの・・今、ちょっといいかな?」

「・・無理だな。今は、レオと話してるから。」

そう。人の気持ちを何よりも理解しないんだよ。本当!

「あ、そ、そうだよね。じゃぁ、後で・・」

「いいけど、放課後は隣のクラスの子にも用事があるって呼び出されてるから・・その後でも良いかな?」

それはたぶん目の前の子と同じ用事で九十九%間違いない。理央はツキをぶん殴って、目の前の子と、これからふられるであろう隣のクラスの子に土下座したい気持ちだった。

「ツキさぁ。もっと他に言い方あるでしょう。」

「言い方?何のことだよ?」

ひらひら揺れるスカートを見送りながら、理央は苦々しく口を開く。この友人は本当に困ってしまうくらいに口が悪い。

「さっきのタナカさんは、間違いなく告白をしにきたんですよ。それをあなた、あんなに冷たく・・」

「今は、お前と話していたからだろう。俺だって、いつもあんな風なわけじゃ・・」

「そーですけどね。・・あなた、下級生の愛の告白もズバズバ断ってるそうじゃないですか。」

「べ、別にズバズバ断っているわけじゃ・・・それ、誰に聞いた?」

「クラスの女の子が話しているのを、お耳にサンドした。」

「小耳に挟んだ、だろうが。」

ふーっと、ため息を吐くと、ツキは小さく呟いた。

「迷惑だって・・言っただけだ。」

痛々しいほど、真っ直ぐにツキは理央を見つめていた。まるで子犬みたいだな。と、理央は思った。

「フツー言うか。そんなこと。」

「だって、本当のことだろう。俺は、向こうのこと知りもしないんだ。」

「そうだけどね。そうなんだけどね。」

本当に正直すぎるよ、ツキは。喧嘩ばっかりで見た目も派手な俺とは正反対のツキだけど、どこか似ている。持て余した感情をどうしようかと、悩んでいる。

「本当、むずかしいな。人間って。」

人を理解しようとして、好きになったり、誤解したり。勝手に決められた立ち位置の上で、自分じゃない役を割り当てられて困り果てて。何の報酬も表彰もない舞台で名演技なんてどうやったらできるのか、なんて誰も教えてくれない。

「本当だな・・で、結局何で今日は、学校にきたんだ?」

「んー?・・・あぁ、そうそう。実はね、由香ちゃんが急にバイトが入っちゃってさ。夜まで暇になっちゃったわけ。」

「それで?」

「それで、仕方ないから・・ツキの顔を見に来た、と。」

「・・・なるほどな。」

ツキは、心底どうでも良さそうに相槌を打つとさっさと前を向いてしまう。それを慌てて椅子を近づけて理央は、話を続ける。

「ね、俺、かわいそーだと思わない?本当なら、今頃由香ちゃんと楽しくデートだったはずなのに。」

はーぁ。なんて可愛く手を組んで顎に添えながらため息を吐くと、ツキも同じくらい深いため息を吐いた。

「そうだな。一日仕事でヘトヘトに疲れた挙句に、お前の面倒を見なくてはならない由香さんが、とても可哀相だ。」

「おいこら、葉月。お前、それどういう意味だ。」

「どこかに難しい単語があったか?」

「そーじゃねーよ。あのね、由香ちゃんは、俺といると一日の疲れが吹き飛ぶって。癒される~って言うのよ。」

「なるほどな。本当に由香さんは大人だな。」

「・・・なぁ、ツキ。お前は、人を好きになったことがあるのか?恋と言う物を知っているか?いっておくが、魚じゃないぞ。味の濃さでもないぞ。」

「何だよ、急に。」

ツキは、拗ねたように口を尖らせると理央の方に向きなおる。

「好きな人くらい・・いるよ。」

そう呟く視線の先には、もちろん理央がいる。

「えー・・まさか、俺!?」

「お前は、本当に・・もういい。」

ふいっと少し熱を持ってきた頬を押さえながら、ツキはさっさと前を向いてしまった。

「おいおい、ツーキー!!怒るなよ、ムックだろ?知ってるよぉぉ。」

「うるさい!うるさい!ほら、予鈴が鳴るぞ。」

机の中から、次の教科のノートと教材を取り出したツキを見ながら、理央はそそくさと寝る準備を始めた。


「あー・・俺、たぶんこの世で今、二番目に不幸だわ。」

本来なら、由香ちゃんと映画の前のカラオケに行く時間だったはずの放課後。理央は一人で帰り道を歩いていた。

「だから、やっぱり今日は休めばよかったんだ。」

最初から休むつもりでいたため、理央は今日の準備を怠っていた。そのため、宿題はおろか教科書すら入っていないかばんを枕にして、授業をすべて寝てすごすしかなかった。なのに、教科担任には宿題を忘れたことを叱られ、昼ごはんはなし。そして、今はツキもいないときている。

「あー・・俺、絶対、今この世で二番目に不幸な人だわー・・」

ちなみに一番は、今、この瞬間にツキにふられているであろう女の子に譲ってあげることにした。

「うー・・あ、れ?」

いつもの道の曲がり角に見えた青いブレザーの制服。あれは、もしかしてムックじゃなかろうか。

「おーい!ムッ・・ク?」

大きな声で叫びながら、ムックに向かって手を上げる。と、しかしムックの後ろにもう一つ人影が見えた。遠くて顔は見えないが、髪が長いから女の子だ。誰だろう。ムックの友達だろうか。良く見れば、ひらひらと揺れるスカートが見える。でも、でも、ムックが家に友達を呼ぶなんて、それも違う学校の・・あの黒いベストの制服は、ムックの学校じゃない。あれは、

「あ、レオだ。どうしたの?って、あれ?ツキは?」

テクテクとまるでペンギンのように歩いていたムックが理央に気づき、顔を上げた。それに反応してムックの後ろを歩いていた女の子も、ビクリと顔を上げ、理央を見た途端に慌てて反対方向に走っていった。

「え。・・あぁ、ツキは今日はちょっと・・ねぇ、あの子、ムックの知り合い?」

「え?・・どの子?誰かいたの?」

くるりと後ろを向いたムックからは、もうあの少女は見えない。理央は、ムックの問いかけには答えずにため息を吐いた。あの顔には、見覚えが確かにあった。だけど、もしかしたら、家がこの近くだということかもしれない。理央の顔を見て、怖くて逃げただけかもしれない。

「・・ううん。何でもない。つーか、帰りに一人になるな、って言ったじゃん。センセーは?」

あのラブレターが届いたために、ムックの周りの男子どもは妙に過保護になり、帰りは一人で帰らない、と誓わせられてのだったが、よく考えれば駅まで一緒に帰る子はいたものの、そこからは同じ方向に帰る子はいないので、結局センセーが駅まで迎えに来ることにしたのであった。

「うぅ・・だって、そんな大げさだよ。センセーだって忙しいのに。」

「まぁ、そうだけど、何かあってからじゃ、」

「もー!心配しすぎだよ。・・って、あれ?そういえば、今日はレオって休みじゃなかったの?」

「あ・・あぁ。もう、聞いてよ、そのはずだったんだけどね。」

もう一度、理央は曲がり角に視線を向け、ムックと家に入った。


「えぇ・・それは、また・・災難だったね。」

「そうだよ。本当、せっかく昨日、夜中近くまでかけて今日のために、色々準備したってのに。ぜーんぶ、台無し。意味なし。・・まぁ、睡眠不足は、今日の学校で補えたけど。」

「せっかく行ったんだから、授業聞きなよ。」

「だって、眠かったし。ツキは、冷たかったし。・・教科書も見せてくれないんだよ!もう、寝るしかないでしょ。」

「あのね・・」

ムックは、苦笑いを浮かべると部屋の真ん中にある棚に、かばんを入れた。

「あれ、そういや、今日は人が少ないね。俺と・・ムックと・・Qちゃんしかいない。」

おはよーなんて、Qちゃんに手を振ると、いつものように本に顔を埋めながらも、手だけは振り返してくれる。これでも、理央とQちゃんは仲が良いの部類に入るのであった。そして今日は、数学辞典を読んでいるらしい。

「うん、ニャースは、今日は家族と誕生日パーティーをするんだってさ。さっき、メールがきた。」

「え?あいつ今日が、誕生日なの?」

「ううん。昨日だったんだって。でも、昨日は家族が色々忙しかったから、今日やるんだって。」

「ふーん・・まぁ、昨日はニャースも色々と大忙しだったけどね。・・それで、ツキは果たし状ラッシュか・・」

「え?果たし状?!しかも、ラッシュなの?」

レオじゃなくて?ツキってそんなに強かったっけ?そう考え込む、ムックを尻目に理央は時計を見た。もう、いつもならセンセーが来ても良い時間だ。

「・・で?センセーは?」

「ん?あぁ。・・わかんない。車もなかったから、買い物かな?」

「何だ、それ。何も聞いてないの?」

「うん・・今朝も何も言ってなかったけど。」

意外にもさらりとしているムックに、理央は長年疑問に思っていたことを口にする決意をした。

「・・・もしかしてさ、デートじゃねーの?」

「あー・・ねー?」

「いやいや、ねー?じゃなくて。本当にどうなの?センセーもいい大人じゃん。彼女とかいないの?ムック、それらしい人を紹介されたこととかないの?」

ゴロリと部屋の端に置かれている大きなソファに寝転がりながら、理央は尋ねる。いくら学校で寝たとはいえ、やはり少々眠い。

「うーん・・ないなぁ。・・センセーは大人だから、こっそり隠してるんじゃないかな。きっと。」

「なるほどねぇ。でも、だとしたらセンセーが一番隠さなきゃいけないのは、ムックへの異常な愛情だと思うけど。」

「・・うん、まぁ。そうかも。」

かも、じゃないよ。そう思ったけど、ムックが気にしてないのなら、それでもいいのか。と、もう睡眠の池に溶け出した意識の中で理央は思った。

「・・おや、レオ。寝ちゃうのかい。」

「・・もう、寝ちゃったみたい。」


俺にとって、由香ちゃんは明るい方に導いてくれる、太陽だった。親に嫌われても、友達に嫌われても、由香ちゃんにさえ嫌われなければ、平気だった。喧嘩ばっかりして、敵ばっかり作って、悪いことばっかりして、それでも、由香ちゃんが笑ってくれるかも、と、道端で花を摘んだりしていた。俺にとって由香ちゃんだけが、本物だった。

『それって、空っぽなんじゃないかな?』

誰かが、俺にそう言った。遠慮がちに、けど確かに俺を見ていた。

『空っぽ?俺が?』

『だって、そんな表情、してるから。』

優しい声だったけど、怒ってるみたいだった。どうして、そんなことも気づかないの?って、言われているような。

『無理にその女性にすがるのは、恋じゃない。』

誰かが、俺にそう言った。笑っているのに、蔑んでいるわけじゃなかった。

『縋る?俺が、由香ちゃんに?』

すがるって、なんだろう。よくわからないけど、俺のこの気持ちは恋じゃないはずなんて、ないんだ。だけど、じゃあ、なんで・・泣き声がするんだろう。


「・・?・・泣き声?」

「うわーん、良かったぁ。良かったよ、いくら待っても深雪が、来ないから誘拐されたかと思って、お兄ちゃん、心配で心配でぇぇ。」

「それで、雨の中、車でずっと待ってたの?」

「全く。煩すぎる。集中して本も読めない。」

何、この人。ソファから、体を起こしながら、ムックにすがり付いて泣き叫ぶセンセーとそれを非常に不快な顔をしながら、みつめるQちゃんを見て理央は思った。この人のせいで変な夢見ちゃったじゃん。本当に、馬鹿じゃないこの人。これじゃぁ、一生彼女なんてできないよ。ため息を吐いて、立ち上がると同時に、理央の携帯が質素なコール音を鳴らす。

「何だ、このありきたりなコール音は?」

この音は、理央にとっては、特別なオトだ。

「あぁあ!!由香ちゃんだ!!」

「あ、レオ!お前!!」

何かを言いながら、理央に向かってくるセンセーを軽く蹴飛ばすと理央は、携帯の通話ボタンを押した。

「うっせ。黙ってろ、シスコン!!・・・もしもし?」

「な、おま、シスコンだと!?おい、レオ、今の・・ぐべらっ!!」

「せ、センセー!!」

今度は、パンチが見事に鳩尾に入りバッタリとKOされてしまったセンセーにムックが駆け寄るが、理央は笑顔でかばんを掴んだ。

「ううん。なんでもない!!仕事、終わったの?ううん。忙しくない!何も無い!すぐ!すぐに行くね!!」

ムックとQちゃんにバイバイと、手を振ると理央は大急ぎで部屋を飛び出した。

ちょっと予定が狂ってブルーだった水曜だけど、眠気もイライラも吹き飛ばしてくれたのは、大事な大事な友達と愛しい彼女でした。


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