第22話「……いや、帰れるとは思うよ?」 

「本当に……大丈夫なの?」


「うんまあ、多分わかるだろ」


 その僕の答えに対して、変わらず若葉は不安げな声や表情を変えない。

 むしろ一層その顔はより心配の色が濃くなったようにすら思えた。


 大きな木を起点にしたY字に分かれたその道の終わり。

 左が彼女の家。右が俺の家の方向だ。 

 日ははもうほとんど暮れかかっていて、辺りは暗く、きっと普通であれば男の僕が彼女を家まで送るのが筋なのだろうけれど、しかしその家は道をすぐいったところ。

 ここから見える距離にあった。

 だから、ここで僕が若葉を家まで送る行為は、もはやそれ自体なかなかにあざとすぎる行為になってしまうわけである。

 だから僕と彼女はここでさようならで、そしてお互い帰路につくだけのはずの場面、のはずなんだが……。


「私、別に少しぐらい遅れても大丈夫だから、やっぱり——」


「いや、いいって。ほんと大丈夫だって」


 この彼女が訴える心配の声はいったい何から生じたものなのか。

 何を不安視して、何を心配しているのか。


「ちゃんと……一人で帰れる? 本当に私、家まで付いていってもいいわよ?」


 と。

 まあつまりそういうことだった。

 

 帰り道の会話の中。

 先ほど海斗にも言った記憶の欠落について、僕は若葉にもそれとなく伝えていた。

 この島のこと。そこで過ごした日々のこと。人々のこと。時々起こるフラッシュバックのこと。

 そして——そのフラッシュバックを除いたほとんどの記憶をぽっかり一部、綺麗に欠落しているということ。

 それらを僕は言葉を選びながら慎重に伝えた。

 最初はなんの冗談と笑ってその僕の話を適当に蹴ってみせた若葉は、それから数十分間の会話でそれが事実であることを察したのだ。


「でも希。よくわからないけど……つまり今、希はこの島のことを、その……割と忘れてるのよね? もちろん家までの道も含めて」


「まあ……うん。確かにそれはそうなんだけど」


「ここから奏さんの家までって……うん。確か相当距離あったと思うけど」


「でも一本道なんだろ? じゃあいずれ見覚えのあるところに行くって」


「一本道って言っても……細かいところは何個か曲がらなきゃなのよ? 都会みたいに街灯もないから目印なんて意味ないし、人だってこの時間はもう誰も外に出ないから人に聞くこともできないわ。…………うん。やっぱり心配。私家までついてくわ」


「いや、それはダメだ。若葉はここで大人しく帰れ」


「なんでよ。まさか私が迷うとでも思ってるの? 一体私がこの島で何年暮らしてきたと——」


「違うって。そうじゃなくて、さ。仮に若葉が俺を家まで送り届けたとして。じゃあその後お前、どうする気なんだよって話だよ」


「別に? 普通に歩いて帰るだけだけど」


「この暗がりを? 一人で?」


「うんそうよ。何か問題?」


「いやそれ問題しかねえだろ」


 それこそここは都会じゃない。

 こんな暗がりの中、たった一人で女子を家に帰らせるほど薄情でもないし、そんな胆力だって僕には全くない。

 一体どこまで自覚しているのかわからないが、外見だけを切り取りるのであれば、間違いなくかわいい部類の様子を持っている若葉なのだ。

 それは暗がりを付け狙う防寒が現れないとも限らないレベルで。

 確かにほとんど杞憂なのだろうし取ろうなのだろうけれど、しかし同時に、心配しすぎ、ということでもないだろう。

 

 ——と、以上の旨を伝えると、なんだか言葉にならない表情を浮かべてみせた若葉である。


「……別に大丈夫よ。心配しすぎだって。こんなところ、何もないし。何もされないわ」 


「何かされるされない以前の話、単純に僕が嫌なの」


 というか実際そんなことをしたら、それはもう間違いなく僕が普通にお袋から殺されかねない。

 あの人、僕や自分の管理は驚くほどに甘いくせして、反対に他の女子の扱いについてはなかなか口うるさい人なのだ。

 聞いたところによれば、生まれたその瞬間から好きなものを好きなだけ与えられて甘々に育てらたうちの妹だって、お袋が決めた門限だけは、律儀に守っているレベルである。


「でも……このまま私が帰ったら、希。家に帰れないよね」


「……いや、帰れるとは思うよ?」 


 ただちょっと手こずるとは思うけど。

 全く。

 いやほんと、なんでこんなに忘れてんだろ。

 いつか思い出せると思ってここまで放ってみたけれど、しかし、もうこうなってくるとほとんど病気みたいなもんだな、これ。

 ほんと、日常生活に支障しかないぞ。

 解決するとも思わないし、まともな答えも期待できないけれど、それでも一応、あとでお袋に聞いてみるか。

 そんな期待値の全くない試みを頭の中で反芻させながら、真面目に愚直に現状の打開策に頭を悩ませてくれている若葉に対して改めての正式な遠慮を申し出ようとした。

 その時だった。


「——お困りのようですね」


「ん?」


 いきなり声が聞こえた。

 彼女の後ろに人影はなく、だから振り向いた。

 しかし誰もいない。


「ここですよ」


 また、方向がわからないままに声だけが聞こえる。

 今度は右と左をキョロキョロと見回すように確かめるも、その姿を捉えることは叶わない。


 ……え、何これ。


 もしかして僕にだけ聞こえている声なんじゃないかと思って若葉を見るけれど、どうやらその心配はないようで。

 怪訝な表情をしてあたりを見回す彼女がそこにいた。

 しかし……なんだろう。

 若葉が浮かべたその表情の毛色は、僕が抱えているものとは違っていて、それは『恐怖』というより『嫌悪』の方が強い気がする。


「まだ気づきませんか? あなたも都会暮らしが長すぎてだいぶ勘が鈍ったようですね……。昔のあなたなら、間違いなく気づけていたというのに。やれやれ、仕方ないですね。——っと」


「……っ!」


 ガサッと、大きな音が頭上から聞こえて思わず顔を上にあげた僕は、ほとんど反射的に悲鳴に近い無音で息を飲んだ。


「薄雪希。なかなかに久しぶりですね」

 困っているなら、手を貸しますよ。


 頭上。ちょうど、真下。

 大きな幹から分かれた太い枝に足をかけ顔を下にして、ゆらゆらと体を揺らしている男がじっと、こちらを見下ろし、メガネを上に持ち上げた。

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