第23話「いや……別に僕、木登りマニアでもないし死ぬつもりもないんだけど」

 同じ日に、それも通算三回目になると、こんな超常現象だって、もはや動ずることがないものになってしまうわけだ。

 と。

 僕は目の前がまた、移り変わったことを感覚的に理解しつつ、自分を客観的に分析しようと試みる。

 これは果たして、その短期間の間に肝が座った結果か。

 それとも単純に、感覚が麻痺しきった果てか。

 もしくは僕の脳がもう正常に働いていない可能性だって十分にある。

 まあとにかく。

 僕はまた――あそこにいた。

 記憶の海にいた。

 昔の『僕』を。

 僕は見ていた。

 辺りの光景は土の匂いと、木の香りで満ちている。

 左右共々真っ暗で目を凝らしてようやくその輪郭を捉えられる程度の視界しかない。

 つまりおそらく今は夜で、そしてここは森なのだろう。

 そんな当たり前の状況を整理して頭に放り込む。自分に理解を促す。

 その理解僕は目を凝らして『僕』の姿を捉えようと、より見ようと試みる。目を細める。

 いつも通り。

 いつもと変わらず。

 『僕』はそこにいた。

 前にある大きな木をしばらくじっと見上げている『僕』はそこにいた。


「……よし」


 何やら意を決したように手を大きくパンッと叩き、凛々しい表情(はよく見えないのであくまで雰囲気)に変わった『僕』は、手近なところから生えている太い枝を両手で掴んで自分の体を持ち上げる。そのまま幹に足をついて駆けるように足を動かした『僕』の下半身は軽やかに枝に巻きついて、抱きついた。

 しばらくその体勢のまま固まって、何か考えるような時間を置いた僕は、そしてゆっくりと、段々に体を上に上げていく。持ち直すように反転させていく。

 そして、最後にはその木の上に腰をかけて座った。

 息をついて、息を整えて。

 そしてそこからまた『僕』は上を見上げる。

 どうやら……上に何かあって、そしてそれを取ろうとしている現在――らしい。

 見たところの感想として僕が『僕』に抱いた感想はそれだった。


「――すいません」


 ふと。

 いきなり声がかかった。

 当然、いつも通り、その声の主は僕ではない。

 振り向く。

 予想通り、そこには彼がいた。


「今日は……もうやめたほうがいいと思いますよ」


 だいぶ遅いですし。

 最後に言うまでもない事実一つを言って彼は木に近づく。

 僕を通り過ぎて『僕』に近づく。


「木を登るに大事なのは計画性です。『次はどの枝に手をかけるか』『自分の足はどこに置くべきなのか』『目標地点はどこなのか』『同じ道を通って帰ることができるのか』などなど。それらすべての計画を持って木登りをしなければ、それは一瞬にして危険で粗雑で乱暴な醜い遊び以下のものに成り下がってしまうでしょう」


「…………」


「以上の点をしっかり加味した上で、あなたが登っているその木はこの辺り一帯で最も大きく太いものであるからして、きっとその足は生物的恐怖心から間違いなくすくんでしまうでしょう」


「…………」


「そして今の時間は夜で真っ暗。視界が狭く光も少ないこういったこんな時間に木登りをするというのは、もうそれだけで十二分に自殺行為のようなものです」


「…………」


「それらを踏まえて改めて――僕は聞きます」


 あなたはいったい何をしているのですか?

 そんな口上をのべつまくなしに言い切った彼は、少年で、光った眼鏡を知的に持ち上げつつ腕組みをして。

 そして木の上を、つまり僕を見ている。

 『僕』はそんな彼に構うことなく、変わることなく、動じることもない。

 ただ、上を見上げている。

 海斗と出会った海同様。

 若葉と出会った花畑同様。

 一心不乱、上を見ていた。

 まさか無視されるとは思っていなかったのか。

 こんな暗闇の中でも彼の動揺が伝わった。

 少しためらないながら、悩みながら。

 そして彼は言葉を出した。


「……あの、聞こえてますか?」


「…………」


「一応、本当に危ないんで、早くやめたほうがいいと思いますよ……? もう夜も深まってだいぶ遅い時間に差し掛かりますし、ここは時々大きな動物だって現れたりするんです。……それにその木は本当に危ない木、ですし」


「…………」


「僕も木登りを趣味としている人間なのですが、その……あなたのようにその木に登って、そして一晩中木から降りれなくなったこともありますし、あるいはまた、無理に降りようと試みて、そして二本ほど腕の骨を折ったこともあるんです」


「…………」


「だからここはやめて他の木にするか……、あるいはせめて日が昇ってから、とか。……そうですね、なんなら明日の朝一、その攻略に私も付き添いますから。だからその時にまた——」


「——ねえ」


 彼の優しさに満ちた紳士な言葉とアドバイスに対し、しばらく沈黙を返し続けていた『僕』は、ようやくその口を開いた。

 暗闇に慣れた僕の目は、『僕』がその指を宙に向かって指し示していることに気づく。

 そしてそれは彼も同様だったろう。


「あれ。取れるかな?」


「……あれ、ですか?」


「うん」


 その指の先。

 宙の先。

 タイミングよく雲に隠れた月明かりが、地上を照らした。


 そこには——美しい実が一つ。


 綺麗な曲線を持った丸く青いそれは、月明かり効果も相まってひどく輝いて見えた。


「あれ、どうしても欲しいんだ」


「……ん? ……ああ。あれですか。なるほどなるほど、そういうことでしたか」


「めちゃくちゃ綺麗なんだよね」


「確かにここいらではあまり見ない種類ですね。それもサイズがとても大きい。親指の第一関節ぐらいあります」


「でしょ? 後、その周りに生えている蔓もできれば欲しいかな」


「それは別にあそこじゃなくても他にたくさん生えてますから問題ないですよ」


「そうなんだ」


「ええ。なんなら私の家の庭にだってあります」


「じゃあ、それ後で頂戴」


「いいですけど……、あの、あなた僕の話聞いてました?」


「うん、聞いてたよ」


「……だったらなんで次の枝に手をかけているのですか?」


「え? さっき言ったよね? 僕、あれが欲しいんだって」


「え? さっき言いましたよね? 僕、これは危ないんですって」


「…………」


「…………」


「ああ、もういいです。わかりました」


「わかってくれたか」


「そうポジティブな意味じゃないです。普通にネガティブの、諦めの方向での『わかりました』です」


 そう言って、彼は大きくため息をひとつ。


「僕も手伝います」


「え?」


「私も手伝うって言ったんです。こんなところ見かけて放っておくのも目覚めが悪いですし。せっかく見つけた木登りマニアの同士にみすみす死んでもらっても困りますから」


「いや……別に僕、木登りマニアでもないし死ぬつもりもないんだけど」


「とにかく、です。あなたはあの実が欲しいんですよね」


「まあ……うん」


「それも、何やら事情があって、今日中にそれを取りたい、と」


「……うん」


「ああ、気にしないでください。事情は聞きませんよ。別に興味もないですし」


 そう言って、彼は軽くストレッチのためか、腕を交差してその二の腕を伸ばす動作をする。


「僕は——あなたが困っているから手を貸すだけです。でも……そうですね。もし取れたら、いつか僕の遊びにでも付き合ってくれればそれでいいです」

 僕、友達いないんですよ。


 と、それだけ言って屈伸から立ち上がった彼は、また知的にメガネを上に持ち上げた。

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