第20話「まあでも、三年もやるなんて普通にすごいことだと思うけどね」

「……え」


 疑問を意味する音が一つだけ、机下から僕の耳へと届く。


「もし、かして……」

 亀が甲羅から顔を出すようゆっくり、そしてしっかり、彼女の顔は外に出てきてこちらを振り向いた。


「——のぞみ?」


 目の焦点があったのだろう。

 僕の姓を確認するようなイントネーションで声がかかった。

 扉から前に進んだことで彼女との距離が数歩分近づいたこともあるのだろうが、先ほどよりだいぶ彼女の容姿はよりはっきり見ることができる。

 その長い髪は少し茶色に色がかっていて、艶やかでありながらもその柔らかな色合いで空気感を優しく染め上げている。

 驚きの色合いが強いその瞳は髪色と同じでどこか茶色の瞳で、その周囲の長いまつげはどこか潤みのようなものを含みながら、彼女の全体的に整った顔立ちを強く押し支えるパーツとしてその存在感を発揮し、すらりと通った高い鼻とその下にある上唇が少しだけ暑い口元も、その二つがとても良いバランスで配置されていて、まるで彫刻のようだ。

 そしてこうしてしばらく彼女の顔を見つめているだけでも十分にわかることに、その肌の白さが挙がる。

 先ほどまで僕が島で会ったどの人間よりも白い。

 腕につけられた金色のブレスレットがその白さを余計に際立たせている。

 太陽の日の下に出ることを完全に絶ったかのようなその柔肌は、未だ汗の一滴すらも吹き出たことがないのではないかと思わずな錯覚をしてしまうほどに美しく、陶器のように艶やかで綺麗だった。


「のぞみ……なの? 本当に? 幻じゃなく?」


 僕は頷く。 

 頷いてみせる。

 彼女は今何を思って、一体どういう感情にあるのだろうか。

 驚きか、悲しみか。

 憤怒か、落胆か。

 もしくは歓喜なのか。

 瞳の潤いと唇の揺れと、そしてその声色からではどうしても伺い知ることは難しい。

 椅子を支点に這い出た彼女は、僕の顔からたったの一回すらも視線をそらすことはなくそのまま立ち上がる。


「…………」


「…………」


 静寂。

 静寂が僕と彼女の間を通り抜ける。

 それはすぐに溶けて消えた。

 僕が溶かした。

 なんとなく、そうするのが正解だと思った。


「若葉。久しぶりだな」


「…………うん」

 ほんと、久しぶり。


 消えるような声と、そして朗らかな笑顔の表情で、彼女は言った。


「元気、だったか?」


「それは……うん、まあまあかな」


「そうか」


「……うん」


 会話が切れる。

 奇しくも先ほど同様にほとんど英会話のような会話になってしまったことはいただけないが、しかしなぜか気まずくはなかった。

 僕は会話を続ける。


「今、生徒会長やってんだな」


「え、あ……うん。やってる」


「去年からか?」


「ううん」


「いつから?」


「えっと……多分高一から」


「おお、長いのな」


「いや、そんなことは…………あるかも。いろいろ大変だったし」


「そっか」


「う、うん」


「まあでも、三年もやるなんて普通にすごいことだと思うけどね」


「……ありがとう」


 こんな会話にどことなくぎこちない様子が垣間見えてしまうのは、当然見てわかるほどの緊張を彼女がそれなりに抱えているからなのだろうけれど、しかし実際、それと同じぐらいに僕自身が結構な衝撃を覚えていることだって間違いなかった。

 その衝撃の内訳に、もちろん海斗の時にだった感じた先の謎のフラッシュバックが関係していることは疑いないし、いきなり戻った若葉に関する記憶に僕の脳が十分な対応を講ぜずにいることだって十分にあるとは思うけれど、しかしそれ以上に、この七年間の中で、彼女自身の容姿が相当の変貌を遂げていることに、僕は多大な驚きをもたらされていたのだ。


 ……いや、なんだこの可愛い生物。


 昔から肌の白さに限って言えば確かに際立つものがあったけれど、だとしたってここまで美少女の素養があるとは想像すらしていなかった。

 彼女が年下だからか、それとも僕が十八年間兄貴をやってきたからか、彼女に対して抱いていた保護欲的なものが根底からひっくり返された感覚になって、とても落ち着いてはいられない。

 雰囲気を含めてとても誰かに似ている気がするその儚げな全体感は、しかし実際都内で見かけることの滅多にないレベルの代物で、一度この島を飛び出して原宿なんかに足を向けてしまえば、それは間違いなくスカウトの餌食になってしまうだろうことは容易に想像できる。

 透明感とも形容できるその柔らかで主張の少ない空気感の中にふわりと艶やかな差し色の役割としてなびく茶色の長髪がまた良いアクセントとしてその美しさを際立たせていて、綺麗だ。


 コミュニケーション能力の無さから生じるそのおぼつかない口調や土盛りがちの言葉端だって、ギャップという魔法の言葉で全てを消化し昇華させてしまう。

何よりこれが僕自身の幼馴染で、昔遊んだ友人であるという事実一つからも、何か込み上がってくるものを感じずにはいられなかった。


 まあつまり。

 一言で言うなら、彼女はとても可愛くなっていたのである。

 そして僕は現在男の子らしく、慌てているわけだ。

あくまでも『男の子らしく』であって『男らしく』では決してない。

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