第19話「君のパパと、ママの場所なの?」

 太陽の光線が絶えることなく降り注いでいる中、花や草木から香る自然特有の慣れない刺激的な匂いが鼻を通って夏の実感を僕の奥の部分まで深く響かせる。 

 周囲にそびえ立っている木々に囲まれるようにひらけた空間には真ん中に大きな木が一本だけそびえ立っているだけで、それ例外の物体の背は低い。

 だからだろう。

 風に揺られたまま舞い散った花びらがどこに邪魔立てされることもなく僕の頬をするりと撫でていって向こうに飛んで行った。

 僕は目を向ける。

 目の前に目を向ける。

 それは——花畑だった。

 周囲に立ち並ぶ大きな木に囲まれる大きな花畑。

 蒲公英や向日葵などのメジャー植物を除いて花の種類に詳しくはない僕だけれど、青や赤、黄色や紫に彩られたその光景は人並みに感動を覚えるほどのものだった。

 風が一つ。

 きっとそれを待ちわびていたかのように花々はその風に揺られはためきながら、多くの花びらを散らせて空に放って空間に一瞬鼻のカーテンが出来上がる。空気が彩られる。

 それらはまた、僕の後ろへと過ぎていって、その姿を変えて森の奥へと消えていった。

 その先。

 そのカーテンの先に見えた。

 『僕』が見えた。

 また——僕は『僕』を見ていた。

 先と同様、『僕』は一人だ。

 たった一人。こんなところで座って、下を向いて、何かをしている。

 手にはカラフルな布……だろうか?

 ……いや、あれは花か。

 うん花だ。それは花だった。

 ほとんど面のようにすら見えたその花々をたくさんに、彼はそれをたくさん握りしめていた。

 握ると表記してしまうと少しの語弊が予想されるので正確に言葉を使うとするならそれは『集めていた』

 暴力的に暴虐的に、それらを破壊していたわけではなくて、それはあくまで集めて、そして何かに使おうと、そんな目的が見える採集だった。

 とはいえ、そんなの僕が『僕』だったからわかることで、何ったの知らない人が一見すればそれは間違いなく積極的な破壊行動としてその眼に映ることだろう。

 右手で花を掴んで、左で握りしめているのだから。

 茎の部分だってあんなに強く握られてしまっては、そりゃ花びらだって耐えきれず落ちていってしまうだろう。

 花は、茎があるから咲く。

 そんな当たり前すら『僕』は知らないのだろう。

 知らずに、花を集めているのだろう。

 一心不乱に。

 夢中になって。

 誰かのために——花を集めているのだろう。

 僕は笑った。

 それが嘲けから生じたのか懐しさのから込み上げてきたのかはともかく。

 僕は『僕』を見て笑った。


「何……してるの?」


 また、後ろから声が聞こえた。

 海岸でかけられたそれとは別の声。

 今度は随分と高いその声は、先の男とは違って随分と怯えが強く前に出ているように思う。

 きっと、相当に悩んで、考えて、それでもなお、声を出さずにはいられなかった……みたいな。

 そんな葛藤すらうかがえてしまうほどに震えたその声は小さいながらもはっきりとしたものであった。

 『僕』はその声に振り返った。

 僕もその声に振り返った。

 そこにいたのは……小さな一人の女の子だ。

 背中を丸めて木の陰に隠れるようにこちらを見つめるその少女は、声同様相当の怯えを持った表情を向けつつ、口や足元に相当の震えを抱えていた。

 なけなしの勇気を振り絞ったのだろう。

 その怯えきった小動物らしいその姿とは反対に、しかしその瞳は確かにしっかりと『僕』を見つめていた。


「何、してる……んです、か!」


 振り返っただけでその言葉に特別反応を返すことなく作業を続行させて僕に対し、結構な戸惑いと悩みを持って再度疑問詞を僕にぶつけてきた彼女。

 体は木から離れ、その容姿と背格好が太陽のもとへ露出した。

 『僕』は相変わらずその手を止めずに花を摘む。掴む。


「ここは……パパと、ママの、場所、な、の」 


「…………」


「ここは、大切で、お姉ちゃん、にとっても大切で」


「…………」


「大事、大事にしてきた場所で……」


「…………」


「だから……あの、えっと、その……」


「…………」


「今すぐ、ここ、から……出て、いって……」


「…………」


「……ください」


「…………」


 最後はほとんど蚊が泣くような声量になって、そしてもうほとんど泣きそうな声色になって、彼女は言った。

 その手は自分のワンピース裾を掴んでいて、スカートが持ち上がっている。

 綺麗で白い素足は外気にさらされ、日に焼けるおとがチリじりと聞こえそうなほどに、その輝きは眩しかった。


「…………」


 『僕』はまた、再びに振り返った。

 ビクンッと、ひどく怯えたようにその小さな体を余計に丸めて小さくして、その少女は『僕』を見る。

 しばらくの静寂と、沈黙が辺りを満たしきった後、『僕』は口を開く。


「……ここは」 


 音を、続ける。


「君のパパと、ママの場所なの?」


「…………うん」


「大切な場所なの?」


「……うん」


「それは……君にとっても?」


「…………」


「…………」


 沈黙。

 何かを考えるように、言葉を選ぶように彼女は悩んだ様子の彼女は、しかしすぐに彼女はこちらを向いた。そして——


「うん」


 と、今までの会話の中で一番深く頷いてみせた。


「そっか」


「……うん」


「…………」


「…………」


「いいね、それ」


「……え?」


「そういうの、なんか……羨ましい」


「…………」


「だから、ここ、こんなに綺麗な場所なんだろうね」


 それだけ言って、『僕』は立ち上がる。花を摘むのをやめる。


「ごめんね。結構たくさん取っちゃった。……これ、置いて言ったほうがいいかな?」


「……それ、ぐらいなら、大丈夫」


「そっか」


「…………うん」


「じゃあ、ありがたくもらっとくね」


「…………うん」


「じゃ」


 腕を軽く上げて彼女がいる方向とは反対側を向いた『僕』

 心なしかどうしても格好つけている雰囲気が強く見えるのは、一体果たして自己嫌悪的な視線が濃いからなのだろうか。

 まあどっちにしても、年下の女の子にいいカッコを見せようとする姿勢に関して言えば、今と昔に多少の変化もないのだが。


「——ま、まって」


 そして、きっと。

 当時だって、今だって、こんな風に声で足を止められることを期待してしまうのだろう。僕は。


「……ん? どうしたの?」


「あ、あの……その……」


「……?」


「綺麗って……言ってくれたから」


「え?」


「ここのことを綺麗って……言ってくれた、から……」


「……うん」


「だから!」


 今日一番の声を出して、彼女は言った。


「もう少しだったら……お花、採ってもいい、よ?」

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