第15話「ん、そか。いや、ないなら別にいいんだ」

 どうやら僕の記憶違い(とりあえず今はそう呼んでおこう)に結構な驚きと関心とそして心配を示してくれた海斗はどうやら残りの午後の時間全てをかけてこの島の案内をしてくれるとのこと。

 一応常識人と日本人を公式に名乗っていることもあって、だからまずは一応その申し出を断るふりをして見せたわけだが、とはいえ彼の申し出は個人的に見ればとてもありがたいものだった。

 確かに大原海斗のことはそれなりに記憶として思い出すことに成功した僕ではあるのだが、しかしこの島のことに関してほとんどわからないまま、知り得ないままである状況に大きく変化はない。

 

 つまり現状。特に状況に変化はなく、その忘却が色々と不便なままなのである。

 そして人間、忘れているままでは何かとやりづらいものだ。

 

 だから、最終的にはただ横に並ぶようにしてついてきた海斗に対し、それ以上僕は何かを言うこともなく、ただ当たり前のようにその歩みを前に進めた。


「……で」


「ん?」


「最初どこ行きたいとかある?」


「ん〜、と言われてもな」


「海でも行っとく?」


「いや、そんな気分じゃない」


「んじゃあ川とか湖とかはどうだ」


「んー。違うな」


「他は〜、三角州とかV字谷ぐらいだな」


「ちっと興味あるけど、とりあえずパスで」


「じゃあもう行くところないぞ」


「どうしてお前は目的地を水辺以外に設定することを覚えないんだ?」


「え。いやだってここって水以外何もない島だぜ?」


「さらりとひどいことを言うなお前は」


 水以外何もない島って……。

 どんな卑下の仕方だ。


「なんかシンボルとかないのかよ。この島の……なんかほら。塔とか、建物とか」


「シンボル、ね〜」


「…………」

 そんなことを言って少し考え込むように唸る彼。


  そんな彼の応答を待ちつつ、歩きつつ、僕は先に買ったグミの二袋目を開ける。

 今度は苺味だ。

 先ほどのグレープ味はなかなかの味と食感で僕の口を楽しませてくれた。

 はてさて。ではこいつはどんな世界を見せてくれるのかと、僕は少年おようなドキドキを抱えつつ一つをつまんで口の中に放り込んだ。


 ……うん。これもなかなか。


 シンプルなコーチングでほとんど組とは思えないほどの美しさを内包したその赤い宝石は口の中へ入った途端に口の中で踊り出してその到来を緩やかなワルツとともに直接僕の脳に知らせてくる。

 おそらく袋の側面に書いてあった果汁食感というもののおかげなのだろう。

 噛めば噛むほど溢れ出てくる果汁の食感は『グミ』という己の特性を十分に理解した作りでとても愉快な気持ちにさせてくれる。

 苺味特有の甘ったるさもいい具合に軽減されていて大人でも楽しめる柔らかなこの甘みは、僕の舌をなでるようにして喉を通っていく。

 また先ほどのグレープと同様、しつこくないぐらいのタイミングで口の中でとろけるそのソフト感もまた見事で、すぐに次の手が伸びてしまうほどだ。

 

 そんなことをして感じて、感動して、そして数秒、時間が経つ。

 そして、ようやくだ。

 海斗は笑った。

 一言言った。


「なんもねえな」


「なんもねえのかよ」


 せめてなんか出せよ。結構尺あげたんだから。


「そんなこと言われてもなぁ。これぐらいが俺もナビゲーターとしての限界だぞ」


「お前の限界だいぶ早いのな」


「シンボルなんて、なかなかんないだろ」 


「そうか?」


「だってシンボルって、あれだろ? ほら、万里の長城とかエッフェル塔とか……。そういうことだろ?」


「流石にそこまでを僕が求めてるわけねえだろ」


「え、でもシンボルってお前シンボルって……」


「この『島』規模のな。お前が言ってるのは『国』のシンボルで、僕が求めてるのはこの『島』のシンボルだ。そんなどでかいものは端から求めてない」


「あ、そうなのね。じゃああるある。シンボルあるぜ」


「……ったく」

 


ということでやってきた塔である。

 先ほどにた場所からはそこまでの距離はなく、そこまで歩いた気もしない。

 海辺。崖上にあったその大きな塔は別段何か柵に囲まれていることもなくただそれは大きく建っていた。

 確かにエッフェル塔に比べれば見劣りしてしまうだろうその白い塔はしかしこの島のシンボルといっても差し支えないほどの存在感は放っている。


「……へえ」


 僕はなんとなく、それに近づいてその壁面を触る。なでる。

 なんとなく塔というものに触れたのは初めての気がした。


「……あれだな」


「ん? どした?」


「塔って、でかいのな」


「そりゃな。海の安全のためだし。大きくなきゃ意味ねえだろ」


「それもそうだな」


「なんか思い出したか?」


「いや、全然」


「そか」


「ん?」


 上を見ながらなんとなく壁を伝って回り回っていたところ、足元に違和感を見つける。

 そこに小さな花束が一つ。ひっそりとあった。


「……なんだこれ」


 少し踏んでしまったかと慌てて後退りながら足を上げるも、その花束は変わらないままにその綺麗な形を保っていた。どうやら少しだけ当たってしまっただけのようだ。

 僕は少し安心してその位置を元の位置だろう場所に戻しつつ、後ろに立って、その塔を見上げている海斗に聞く。


「なあ」


「おうよ、どした。登るか?」 


「いや、別に登らねえけど。……なんかこのあたりで何かあったりしたのか?」


「ん? 別に何もなかったと思うけど……。どうしてだ?」


「ん、そか。いや、ないなら別にいいんだ」


「?」


 じゃあまあ……誰かがきっと置いたのだろう。

 誰かを想って、何かを思って。

 そしてそこに花を置いたのだ。

 青々とした花と、そして綺麗な空色の小粒な実。


 それが記念か祈祷か慰霊かはともかくとして、

 どれにしろそれが俺の立ち入っていい領域ではないことには違いない。


 僕はその塔から離れる。


「もういいのか?」


「ああ」


「特に何も思い出すことはなく?」


「そうだな」


「そりゃ残念」


 全く残念そうに見せない海斗は「じゃあ」と、両の手を上にあげて、変わらず笑って。


「じゃあ——次のところ行こうか」


 と、提案をしてきた。笑いかけてきた。

 僕は海風を背に荒れる髪を放りながら、その声の方向に顔を向ける。


「次?」


「おう」


「決めてんの?」


「おう」


「どこ?」


「あっち」


 言った彼が指す方向はその後ろ。

 通ってきた森の中。つまり塔の反対側。


 海斗は手で後ろ髪を掻く。


「俺も忘れてたんよ」


 そういって、彼は気まずそうに続ける。


「実はお前が帰ってきたら一番に会わせなきゃいけないやついたの。忘れてた」

 だから今から、そいつに会いに行こう。


 そんなセリフを爽やかに言って、彼は先を歩き出した。

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