第16話「あー、まあいいや。考えるだけ無駄だ」

 ちょうど島の中腹部ぐらいだろうか。

 森を抜けること自体、行きと同じ道を帰るだけなのでそこまでかかることはなかったが、しかしその近くにある住宅街の町並みはいい加減に見飽きたものがある。

 体感的に言えば随分と歩かされた気がするこれは、しかし時計を見る限りだとおよそ三十分程度のものであった。

 その間、本来あった瞬間に行うのが適当であっただろう近況報告を含んだ会話(ほとんど彼が話しているのを聞いているだけだったが)を適当に済ませつつ僕たちは道を歩く。

 僕は勝手に勘違いしていただけなのだが、どうやら彼はこの七年間、ずっとこの島に住んでいたというわけではないらしい。

 話によると、二年前。

 僕と彼は同い年なのでそのままスタンダードな人生を歩んだと考えるのであれば彼が高校二年の時。

 どうやら「若さゆえの衝動と焦燥」とやらのせいで、彼は突然この島を学校共々飛び出してしまって、それからしばらく一年間。様々なところで様々なことをしていたそうな。

 持ったものはリュックサックと日用品。それに渡航費を含めた一万円ぐらいのもので、つまりほとんど手ぶらで彼は外の世界に飛び出していったらしい。

 当然高校は退学扱い。残された家族はオロオロと息子の安否を心配する夜を過ごし、島中がひっくり返ったような大パニックとなった……なんてことは全然なかったらしく、気の利いた高校の先生は彼を退学ではなく休学扱いにし、島民は「泳いで本州に行かなかっただけマシだろ」などとよくわからない納得を示し、また彼の家族に至っては、その安否を問うような連絡一つすらされることもなく、何事もない日常を毎日一年、過ごしていたらしい。 


 ……いやなんだその家族。その島民。その学校。


 もうちょっと他になんかあるだろ。

 大らかとかそういう次元の話じゃねえぞそれ。


「まあ俺ケータイ持って行ってなかったからな。連絡あっても普通にわかんないだけだったけど」


「……はあ」


「それから、なんやかんやあって、だ。一年ぶりの去年、久しぶりにこの島に戻ってきて……でこうして今は駄菓子屋なんかを細々と経営しているわけだわな」


「それもなかなかによくわかんないどね」


「価値観の変化だな」


「…………」


 自分で建てたというあたりからもう余計に意味がわからない。

 それが一年放浪した結論として選択したことも訳がわからない。

 何週間か短期留学帰りに「価値観変わったわ〜」「みんなも海外行ってきた方がいいよ〜」「あ、ナマステ〜……ってあ、ごめ〜ん。ついインドで挨拶しちゃったー」「日本語って難しいよね〜」「LAはもっと女性に優しい国だったけど〜。あ、ごめん、現地風にLAって言っちゃって! わかんないよね〜。みんなにもわかるようにラスベガスっていうべきだよねー」とかほざく自称国際系女子に対して「その程度で価値観が変わるお前の人生経験の薄さに心底驚くわ。今まで何してきたの? 呼吸?」と、合コンの席でぶちかましてきた経験が計三回以上ある僕だけれど、しかしやはりこの隣にいる男が一年間本州にいて、そして一体どんな価値観の変化を経験したのか。全く想像できない。想定できない。


 ……なんだか本当にこんがらがってきた。

 今僕は一体何と会話しているのだろう。これは本当に人なのだろうか。


「あー、まあいいや。考えるだけ無駄だ」


「ん? どした?」


「いやすまん。こっちの話。……で、その一年でお前どんなところ行ってたんだ?」


「地球」


「そりゃそうだろ」

 そんな気軽に大気圏を突破されても困る。


「もっと具体的な……そう、県の話」


「県、ね〜」


 それから少し考えるように顎に手を当てた海斗。


「んー」


 すぐにその口は開いた。


「……なんだっけな、あそこ」


「別に市でもいいけどね」


「えっと。確か〜」


「うん」


「……か」


「か?」


「カルフォルニアとか?」


「あ、海外なんですね」


 びっくりした。

 カタカナで出てくるとは思ってなかったのでとてもびっくりした。

 本当、びっくりした。


「海外かどうかはわからないけど。でもあそこはカルフォルニアって名前のところだったぞ」


「カルフォルニアなら間違いなく海外だからそこは安心しろ」

 なんならそこは県ではなく州だ。


「……って、え、何? お前海外にいたの?」


「おう」


「一年間?」


「厳密に言えば一年と三日だけどな」


「何も持たず?」


「リュックは持ったぞ?」


「一万円で?」


「足りない分は、バイトで稼いだな。意外と肉体労働って稼げるのな」


「…………」


「ん、どした希」


「……いや、もうなんでもない」


 ……だめだ。

 受験勉強の弊害だろう。

 まだ論理とか理論とかでこいつを理解しようとしている自分がいる。

 落ち着け。

 こいつは人じゃない。生き物ですらない。

 物体だ。

 アミノ酸の集合体だ。

 水とタンパク質でできている肉塊だ。


「……よし」


「?」


 自己暗示は未だ不完全だが、それでもなんとか納得はできた。理解は及んだ。

 ということで頭の動きをほとんど停止して適当な会話を展開しつつ、僕たちは目的地への道のりを踏破した。

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