第13話「薄雪……希」

 僕は一人で海岸にいた。

 一人でせっせと。

 何かをしていた。

 そして——僕はそれを見ていた。

 『子供の頃の僕』を『僕』は見ていた。


 ……なんだこれ。


 なにが起こったんだ、今。

 さっきまで……僕は駄菓子屋の前にいたはずだ。

道なりに歩いて。小学生を目撃して。姫の卵におののいて。店主にビビって。 グミを買って。変な奴に絡まれて。


 ……そしてどうしてここにいる。


 確かに潮風は香っていたけれど、しかしそれでも海辺はもっと先に……全然見えないところにあったはずだ。

 それが一体どうして僕はここにいる。

 浜辺に一人、立っている。


 ……いや、違うか。


 一人ではなかった。

 そうだ。

 一人じゃあない。

 僕と、そして『僕』の二人だ。


 ……と、状況を整理してみたとてなおのこと意味がわからなくなっただけに終わった。

 マジでなんなんだ。これ。

 そんな疑問とともに現実への回帰を図ろうと画策している間にも、少年は(というか僕は)着々と目の前の作業に集中していた。何かに取り組んでいた。

 その視線は真っ直ぐで、真面目で、そして真剣で。

 夢中になっているようだった。


「…………」


 なにしてんだろ。

 ここからだとその後ろ姿しか確認できないこともあって、そんな疑問がふと心の隅に生まれ出た。


「——なにしてんだお前?」


 僕の声ではない。

 いきなり後ろから声が聞こえたのだ。

 高く、それでいてのびのびとした素朴な声。

 きっと目の前の『僕』と同じ小学生だろう。

 振り返って後ろを確認する。

 予想通り、そこには少年がいた。

 日に焼けた頬には小さな擦り傷。

 足はサンダル。

 手には大網。

 腰にかけてる虫取り箱。

 短パン袖なしノースリーブ。

 あまりに綺麗な夏の少年がそこにいた。

 どうやら彼が、その声の主人らしいことは、その視線が僕を飛び越えて『僕』をみていることからよく理解できた。

 同時に彼には僕が見えていないことも理解できた。

 しかし『僕』はその声に構うことなく、ただ目の前の作業に集中していた。目の前の仕事に注目を集して、意識を固めていた。


 あの声は自分を呼んでいる声じゃあない。


 きっとそんな風に思っているのだろう。

 僕はなぜか彼の気持ちがわかった。


 ——この島に来たばっか。

 ——大人ならまだしも、同年代の子供から声をかけられるわけない。

 ——だから、これは僕にかけられた声じゃない。

 ——そんなわけがない。

 ——だからそれよりも。

 ——それよりも今、僕は……


「おーい、無視すんなよ〜」


 思考が切断された。

 声をかけた張本人の少年がついに『僕』の肩を掴んだのだ。 

 『僕』はハッと、なって振り向く。その少年と目を合わせる。

 どうやらようやく自分宛の声であることに気づいたようだった。


「…………」


「…………」


 しばらく目を合わせたままの二人。

 その視線は二人とも純粋で真っ直ぐだった。

 

「なにしてんのお前?」


「…………」 


「ていうかお前、誰?」


「…………」


「…………」


「…………」


「……え、大丈夫? 口ある?」


「…………」


「…………」


「…………僕は」


「お、喋った」


「僕は、薄雪……」


「うすゆき?」


「うん」


「苗字?」


「うん」


「漢字は?」


「薄い雪を希を抱いて蛍を超える」


「なにそれ」


「母さんがいつも言ってる」


「へえ」


「…………」


「うーん、なんか聞いたことあるなぁ、それ」


「……なんだっけな」


「…………」


「まあいいや。——じゃあ、うすゆき! 今暇か?」


「え、今?」


「おう! ちょっと師匠に言われてさ! 今から魚取らなきゃいけねえんだ! 手伝ってくれよ!」


「……師匠?」


「師匠はすげえんだぜ! 人の怪我とか病気とか、魔法使いみたいにすぐに直しちまうんだ!」


「それは魔法使いというよりも僧侶なんじゃ……」


「そうなの? よくわかんねえけどまあいいじゃんかよ! それよりもさ、うすゆき! おまえ暇なんだよな!?」


「いや、今、僕はやることがあって——」


「よっしゃ暇なんだな! じゃあちょっとこっち来いよ! 大丈夫だ! すっげぇ魚取れるところ教えてやるから!」


「ちょ、だから僕は——」


「いいからいいから!」


 そんな風に腕を引かれて反対側の浜辺に連れて行かれた『僕』

 そのまま彼に連れて行かれる形で反対側の浜辺へと向かっていく。


「お前、下の名前は?」


「え、僕?」


「お前以外ここに誰がいるんだよ」


「…………」


「…………」


「…………」


「お、どうした? また口取れたか?」


 少し言いづらそうな表情を浮かべながら、言いたくなさげな顔をしながら、しばらく黙った『僕』

 なぜかまた、僕にはその気持ちが強くわかった。

 そしてゆっくりと、ためらいながら、嫌々ながら。

 『僕』は口を開いた。



「…………希」


「お?」


「薄雪……希」


「へえ、はぁ、そう」


「…………」


「のぞみ、ね……」


「…………」


「あれだな」


「…………」


「なんか……女みたいな名前だな!」


 その言葉を皮切りに彼に殴りかかるように飛びかかった僕。

 悲鳴をあげて逃げ出した彼。

 そのまま浜辺を転げ回って戯れる二人。

 と言うか戯れるというよりはもうほとんど殴り合っている。

 当然フィールドは砂浜なわけだからあっという間に二人とも泥だらけの砂まみれ。

 汗とともに濃くなったその頬についた黄色は濃い茶色になっていた。

 その表情は、しかしそんな戦いの場面にそぐわず、僕の瞳にはとても楽しそうに見える。


 それからしばらく。

 そのまま転げまわった二人は途中何度か真面目な顔になってお互いの顔に蹴りやこぶしを突き立てたりしつつ。

 お互い対峙するように立ち尽くして。

 最後には肩で息を吸いながら。

 そして両方が笑った。

 彼は笑って言った。

 僕に向かって、自分を親指で指差して、言った。名乗った。


「俺は大原海斗。趣味は遊ぶこと! モットーは一生笑って生きること! 将来の夢はビックになる! そして——今はお前の友達だ!」

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