第9話  あ、違う。この子、ちゃんとクズだ。

 その後——。


 具体的な仕事は明日からということを仰せつかった僕である。

 どうやら今日はもう店じまいらしい。

 平日のまだ午後に差し掛かったばかりの時間であるのに一体どうしたことか——なんてセリフはもちろん言ったわけもないのだが、それでも視線で言ってしまっていたのだろう。


「今日は飲むから」


 特に悪びれた様子もなく、かと行って言い訳がましくもなく、ただその事実だけを淡々と述べたお袋は、そのまま本当に病院を閉めてしまったわけだった。


 ……いや、別に僕は全然いいんんだけどね。


 たとえこの島に一つしかない唯一の医療施設がここであるという事実を何と無く思い出した僕は確かにいたのだが、しかしもう突っ込んだりはしない。言葉にしたりしない。

 当たり前に間違えなく、まともな答えが返ってくるわけがないのだ。

 だからまあ、ここは何も言わずに立ち去るのが正解だったろう。


 ということで、僕は外に出ることにした。

 変に絡まれてつれてかれるのも嫌だったし。


 だから早々に、

 部屋に戻って。

 ケータイと財布を持って。

 スリッパからスニーカーに履き換えて。

 鍵は締めずに扉を閉めて。

 僕は外に出た。

 太陽の下に出た。


 ……暑い。


 とはいえ東京の暑さに比べればそこまでだ。

 家々にある目につくところの緑と頬を撫でる海風がある分、まだこちらの方がだいぶ涼しいと言える。

 少なくとも、体感ではましな温度だ。


 ……にしても。

 改めて思う。


 本当に、ここは僕がかつて過ごした島なのだろうか。


 そんなことを頭に思う。


 光景が、あまりに見覚えのないのだ。

 流石に家の中は既視感が少しはあったけれど、しかしこうして外に出てしまえばその跡形はもうほとんどない。

 記憶の形跡が、ない。


 僕は——本当にここにきたことがあるのだろうか。


 そんなことすら思ってしまう。


 とはいえまあ僕がここで過ごした日々なんて小学生で過ごした夏休み程度で、さらにいえばその一部ぐらいな訳だから、実際トータルを算出してみても正味三ヶ月程度といったところだろう。

 であるなら、この記憶の欠落も少しは納得がいくものだろう…………か?

 

 そんな、なんとなく行き場場を失ったまま、自分を無理矢理に納得させたまま、僕は道を歩いて行く。進んでいく。

  

 そんな住宅街をゆっくりと、そして周りを見ながらしっかりとそのまま道なりに進んでいくと、突然開けたところに出た。広がったところに出た。

 その変化に小心者らしく少し身構えるように足を止めてしまったが、しかしなんてことはない。そこにあるのはただの駄菓子屋だった。


 昔ながらの。

 老舗感溢れる。

 古きよき。

 そんな駄菓子屋があった。 

 

 恐る恐る窺うようにして中を覗き込むと、そこには小学生らしき人影が数個見えた。

 どうやら仲良く物色を続けているようだ。


「ねえゆりちゃん、これ俺が買ったあげる!」


「えー! ほんと!? ありがとう」


 男の子の手に握られているのは小さな動物の人形。あれは……うさぎだろうか。後ろ姿だけなので正確な判別は難しい。

 まあとにかくどうやら格好つけている最中のようだった。

 さらに、後ろからまた人影が顔を覗かせる。


「ちょ、お前抜け駆けはずるいぞ。俺だってゆりちゃんにプレゼントしたかったのに!」


 彼らの手には大きさが同じぐらいの人形。

 どうやら彼も、ゆりちゃんに男気を発揮しようとしたみたいだ。


 ゆりちゃん大人気じゃん。


「…………」


「…………」


 そのまま彼らは険悪な空気になって見つめ合う。睨み合う。

 まさに一触触発。

 戦争間近といったところだろうか。


「みんな喧嘩はだめ! 仲良くしようよ!」


 お、ゆりちゃんが止めに入った。


「もし二人が仲良くしないなら、私誰の人形もいらないよ!」


 そう一言制した彼女。

 そのまま店の外に出てくる。

 なかなかに可愛らしい顔立ちの女の子だった。

 そして、うな垂れるように顔を下に向ける男二人もついてくる。


「だから、ね? みんな仲良くしよう?」


 そう語りかけるようにうあん誰た二人の手をとる。そして笑いかける少女。

 つられて笑う男二人。

 手を繋いだからだろうか。二人ともほのかに顔が赤いような気がする。

 結局無事。争いは起きることなく三人はとても良い雰囲気になって終わった。


 ……いやなんだこの子、普通にすげえいい子だな。


 今時には珍しい。

 近年純粋培養が難しいとされている性格の良い女の子だ。

 そんな風に年甲斐もなく感心してしまう。遠目から見てしまう。

 少しいいものを見た気分だ。

 

 その子は「だから——」と続ける。言葉を続ける。


「だから、これは全部私が受け取ったあげるからさ。だから喧嘩はやめよ?」


 ……?


「しっかり二つとも大事にするからね! 安心して!」


 ……ん? ん?


「あ、でも……私、今はお菓子の方が食べたいかも。最近さ、このグミが一組の中ですっごく流行ってるんだって」


 あ、違う。



「あ、なんかこれ、私がおねだりしているように聞こえちゃうかな? いや、ほんとそんなつもりは全然ないんだけどね。でも、そういう男の子ってすっっっごくかっこいいって思わない?」


 この子、ちゃんとクズだ。


「すっごくかっこよくてイケててナイスな感じがしない?」


 それも嫌な感じのクズだ。結構なクズだ。ちょっと昔入ってるけど。


「違う違うの違うんだって。別に欲しいっていってるんじゃないの! ……ただ、流行りのものを理解してプレゼントしてくれる男の子って素敵だよね、って話で——」


 そして駆け出すバカ二人。

 その手にはしっかりと先ほどのグミが握られていた。

 味は丁寧に色違いだった。


「……毎度〜」


 数秒後、気だるげな店主のものと思しき声とジャラジャラとなるレジの音が聞こえてくる。


 そして戻ってくる男二人。

 再びその手を二つ、握る女の子。 

 笑い合う三人。

 そのまま両手に夫この手を握りながら、彼女らは道の果てに消えていった。


「…………」


 なんだろう。

 いわゆるあれが『姫』と呼ばれる種族なのだろうか。

 そういう種類の人類なのだろうか。

 もしかして僕は今、その誕生を目にしたのだろうか。


 少なくとも、先に感じたいい気分には戻れなれなかった。

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