第10話「こんなところに……ね」

 まあともかく。

 そんな嫌な光景は即刻に記憶から抹殺するとして、だ。


 僕は先ほどまで少女たちがいた目の前の駄菓子屋に目をやる。目を向ける。


「こんなところに……ね」

 まさか駄菓子屋があったとは。

 全く思わなんだ。知らなかった。

 

 まあ僕にこのあたり周辺の記憶が完全に欠落しているという事情を考慮するとしても、しかし駄菓子屋の記憶なんて一片だって見当たらない。

 何かを買った覚えも、店主と話した記憶も、もちろんこの外観も、全く身に覚えがなかった。


 しかし。

 とはいえだ。

 この古めかしい様相から伺うに十分相当古くから経営を営んでいることは明白で明らかなこの店だ。

 先ほどの小学生ではないにしても、まさか小学生だった頃に僕が足を運んでいないというのは考えにくいだろう。


 だからきっと。

 こうやって——中に入ればその記憶の実感も強まるだろう。

 そんな狙いから僕は店に入る。足を踏み入れる。


「……らっしゃい」


 狭い店内の中、奥にあるカウンターから野太い声がかけられる。

 先ほど聞こえた声で様相はしていたが、男だ。

 歳は非常に若々しい。だいたい僕と同じぐらいだろうか。

 こちらを見ることもないその目と鼻ははっきりと主張をしていて、また整っている。短く刈り上げられたスポーツ刈りがとても似合っていた。

 白い短パンに素肌にアロハ服を直接羽織っただけという、とても南国感に富んだ格好で、ボタンは留められてはおらずよく焼けた小麦色の肌と鍛えられた腹筋が覗く。

 筋肉質のその体は、ほとんど理想と言っていいぐらいに無駄な脂肪が見えなかった。


「…………」

 

 そんな店主? をしばらく見て僕が思ったのは、そんなラフすぎる服装や目に入る肌色への感想などではなかった。

 というか、別にそのぐらいだったら全然よかった。……いや、全然というと少し大げさかもしれないけれど、それでもまあ許容の範囲内だろう。


「…………」


 僕は改めて、彼を見る。

 その『格好』を注視して見る。

 やはりこちらを見向くことすらせず、何かの雑誌を注視している彼は、椅子に浅くもたれかかりながら手すりに肘をつき、踏ん反り返りつつ足を投げ出している。

 口は細かく動いていてガムか何かを噛んでいるのかモゾモゾと動いている。

 頭にかけられたサングラスは彼の額を隠すようにその存在を主張していて非常に威圧的だ。

 その足は片足は裸足でもう片方はビーチサンダル。

 それもほとんど脱げかけで親指だけにかかっている感じである。


「…………」


 今更ながらこの格好を『ラフ』と定義していいかどうかは大変微妙なラインではあるとは思うのだけれど、しかし少なくとも店員の姿として零点以下であることに疑いの余地はないだろう。

 てか自宅以外であればどこだってあの体勢は難しい。

 それは社会的にも体勢的にも恥ずかしさ的にも——という意味でだが。


「…………」


 ともかくだ。

 変な絡み方をされてしまう前にさっさと物を買って退散することにしよう。そうしよう。

 僕は先ほど少年たちが掴んだ組を二つ、色違い、味違いで手にとってそのままレジに向かう。足を向ける。

 前に着く。物を置いた。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 え、なんで?

 なんでこいつ動かないの?

 どうしてピクリともしないの?

 どんなメンタルがあれば未だ雑誌を読みふけることができるの?

 てかもう逆にお前一体何読んでんの? そこまで熱中できる物なら一周回って尊敬すら覚えるんだけど。

 というか何、え、どういうこと?

 もしかしてここってローカルルールでもある感じ? そんな感じ?

 買う前は口上を述べなきゃいけないとか、一緒に何かを買わなきゃいけないとか、チップを二割払うとか。

 そう言った地元民しか知らない規則でもあるわけですか? 

 ねえ、だったら教えて。今すぐ教えて。外から来た人にもわかりやすく教えて。 

 そういうの僕ダメだと思う。

 そういう排他的なの僕、いくないと思う。

 もっと開放的に誰でも受け入れる姿勢が大事だと思う。


 開放的といえばうちの母の話があるんだけれど、基本的にどこにいようがどこに住もうが全く鍵をかけることを覚えないうちのお袋は、いつだったか、まだ東京に住民票を置いていた時期、普通に家に空き巣が時入ったことがあったんだって。まあ東京なんてすっごく物騒な年だからさ。当然空き巣なんてものがうじゃうじゃいるわけですよ。で、当然そこそこの大きさの一軒家だったわけだから、当然その筋の人たちに狙われていたらしくてね。ついにそのターゲットにうちが選ばれたわけだ。ということでその犯罪当日になったわけだけれど、その時に幸か不幸かお袋は仮病を使って仕事をバックれていたらしく普通に家にいて、下着姿でカップ麺すすりながらウイスキー片手にユーチューブ見ていたんだけど、まあそれはいいや。……で、とにかくその泥棒とバッタリ鉢合わせしたんだそうだ。ということでまあなんやかんやあって突然入ってきたその泥棒とお袋が二人対峙するという場面が出来上がったわけだけれど、まあ普通の対応として考えられるのは『叫ぶ』とか、『悲鳴をあげる』とか、『助けを呼ぶ』とか、『通報する』とか、まあどんなに頑張っても『追い返す』『応戦する』とかがせいぜいで、きっとそれ以上のオプションは思い浮かぶことはないだろうし、それが全くもって普通だと思うんだけれど、でもうちの母親は普通じゃないし、相当に頭がおかしい人だから、どうやら無断で入ってきたその人に向かって間髪入れず「一杯どう?」なんて声をかけたんだって。で、もちろん泥棒は相当な警戒をしていたらしいんだけど、でも母の謎の開放的な性格と格好につられたせいもあって、どうやらそのまましばらく二人で飲んでいたらしい。あっという間にそんなお袋に気を許した泥棒はペースも相まってめちゃくちゃ酔ったらしくて、最終的に二人で肩を組んで騒ぎ散らかすまで言ったそう。で、これまたしばらく飲んでたらしいんだけど、そしたらいきなりドアが激しく開いて誰かが入ってきたわけよ。で、結局それが普通に警察で。そのまま酔いつぶれたそいつを引きづりながら捕まえてしまったんだ。もちろん通報したのはうちの母親。ほんと抜け目ないわあの人。あ、ごめん、長くなったけどつまりこの話で僕が何を言いたいのかっていうと、うちのお袋は本当に頭がおかしいという事実一つと、開放的であることは必ずしもいいわけじゃないよねっていうこの駄菓子屋に対するアンチテーゼが一つ。


 ……って、あれ。


 じゃあ別にこの駄菓子屋このままでよくね?


 アンチテーゼになってなくね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る