第6話「なんで僕、帰って来させられたのって話」
「防犯対策だよ」
元々は飼い犬の監視用らしいんだがな。
そんな風にお袋は呟いた。
ところ変わって別棟。
先ほどの家屋がある通りのちょうど反対側。
そこにある小さな小屋のような空間。
あの監視カメラのような謎ロボットから聞こえる声に促され、僕はこのお袋の仕事場に足を運んでいた。
こちらを見ることもせず、乱雑に説明だけを行なった彼女は、相変わらずの無表情のままに言葉を続ける。
「最近何かと物騒になったからな。このあいだのプライムデーで買ったんだ」
二十パーセントオフだったし。
そんな心底どうでもいい情報を添えてお袋は言った。
その手はPCの前にあって、慌ただしそうにキーボードを叩いている。
どうやら仕事中のようだった。
しかし構わず、僕は言葉をかける。
「防犯って……。普通に玄関鍵空いてたんだが」
「? そりゃそうだろ。いちいち鍵閉めるのも開けるのも面倒だし」
「……最近物騒になったんじゃないのかよ」
「は? 何言ってるんだお前。あんな何もない家に盗みを働く奴がこの島にいるわけがないだろ」
「…………」
これ以上の会話が無意味であるということと、お袋がこういう人であることを今更ながらに思い出した僕は「で」と、便利な一言で話を切り替える。
「なんなの一体」
「……あ? 何が」
「なんで僕、帰って来させられたのって話」
「ああ、それか」
そういってお袋は勢いのままに動かしていた指を止めて、息を一つ吹く。椅子を半回転させる。
その際彼女が着ている白衣は後ろになびいて、そこからフローラルな香水の匂いが香った。
そのままお袋は、ゆっくりとメガネを取って灰皿に立てていた吸いかけのタバコを一つ手に取り口に含んだ。
細々と口から天井へと上っていった煙は、囁くほどの小さな風にゆらめうごめいて、ゆっくりとその姿を消していく。
深く腰掛けながら、空の虚空を見るようにして持つ手を離し、くわえタバコに移行した母のその姿は、どうしてか我が親族ながら、少しかっこいいと思ってしまった。
今後この国がタバコに対してどんな重税をかけたとしても、きっとこの人は一生吸っていくのだろう——なんてそんな確信を思わず感じてしまう。思案してしまう。予想してしまう。
その感受の原因はどう見ても三十過ぎぐらいにしか見えないその所作や風貌のせいだろう。
そのお袋は、少し間を置いた後、すぐに言葉をかけてくる。
「希」
「なに」
「お前、随分と暇らしいじゃんよ」
「……え?」
見とれていたわけでは決してないのだが、それでもやはりどこか上の空になっていたことは事実で、だから一瞬言葉の意味を深く正確には聞き取れなかった。
しかしその後に続いた言葉で、すぐにお袋の言わんとしていることはわかった。
「大学——全然行ってないんだってな」
「…………」
「何単位落としたんだっけ」
「…………」
「それなりに、まあまあ頑張って入ったところなんじゃなかったっけ」
「…………」
「国立の医学部って、なぁ。まあなかなか現役で入れるところじゃないぜ?」
「…………」
「……いや、私はなんでもいいんだけどさ」
別に責める気も怒る気もねえし。
私だって大学時代は適当だったし。
学費だって、どうとでもしてやるしな。
私が腹痛めて生んだんだ。
まともな親をやってこなかった分、金ぐらい、学生のうちはいくらだって面倒見てやるさ。
ふっと、お袋が空中に煙を吐く。
すっかり根元のそこまで伸びきったそのタバコは、すでに数十本単位で山になっているタバコの群れに押し付けられて鎮火した。捨てられた。
「ただ——」
そこで、初めてお袋は僕を見た。目があった。目が見えた。
「何かあったっていうなら、まあ聞いてやってもいいんだぜ?」
情けないことに、母としてってのは無理だけどさ。
そんなセリフと、一呼吸息を吐く。白い煙が少量口から漏れた。
「医学の道の、人生の——先輩としてなら、相談相手にはなれると思うぞ」
変わらない表情のまま、話を締めたお袋は、また一本新しいタバコを口にくわえた。
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