第5話「開いてるんかい」


 家に着いた。

 決して長い道のりではなかったが、それでも体感距離的には十キロぐらい歩いた感じだ。

 それもこれも蛍があのやりとり以降、なぜか俺の腹に一撃を放り込んでこようとする奇行に走ったからだ。

 確かに大好きなお兄ちゃんが帰ってきたことにテンションを上げてしまう気持ちはまあまだわからないものでもないので理解してあげるとしても、その愛情表現が暴力につながってしまうあたり、彼女の精神構造は未だ小学生男子の域を出ていないということだろう。

 全く。

 高校生といってもまだまだ子供なわけだ。

 花のJKが笑わせる。


 と、そんな風に格好つけながら、兄貴ぶりながら、結論づけながら。

 意外と深く殴られた腹の二箇所をさすりつつ僕は一人、家の前に立つ。

 あの後、「用事あるんよ」とだけ言い残した蛍はどこかに行ってしまった。

 別に止める理由はなかったし、そもそも彼女がこうしてわざわざ迎えにきて、そして家までの案内をしてくれたこと自体が全く想定してなかったサプライズだったので、だから特に引き止めるわけもなく、不平を言うこともなく、ただ首を縦に振ってだけして了承の意を示した僕は、現在一人。玄関前にいるわけである。


 ……鍵もらい忘れた。


 スライド式のドアに手をかけた瞬間に生じたそんな危惧は、しかしすぐに杞憂になった。


「……開いてるんかい」


 誰に言うわけでもない独り言をただの気恥ずかしさから漏らした僕はそのまま玄関に入っていく。


 不用心だとはいうまい。


 何もないこんな片田舎の、何もないこんな一軒家にわざわざ物取りに来るバカはきっとこの世にはいないし、もちろんこの島にはいないだろう。

 そして……なんとなく予想はしていたが、全く見覚えがない。

 あまりに見覚えがなさすぎてちょっと引くレベル。

 だから、少し躊躇しながら僕はそのドアから中に入っていく。

 外から見る分で十分にわかっていたが、やはり中も普通の一軒家だ。

 普通の、ちょっと広めの、日本的な。

 そんな平屋である。

 僕は玄関に靴を吐き捨てて、キャリーバックを手に持って奥へと進む。

 先ほどの来港時、玄関時とは違い、流石にここまでくれば既視感のようなものは錆つきながらも段々と機能してくるようで、所々記憶の引っ掛かりに残るような置物やタンス、机や椅子などが目に入ってきた。

 その断片的な情報からなんとなくの感覚で畳居間の場所を突き詰めた僕は、その襖を一気に開け広げると持ってきたものを一つ一つを投げ捨てた。

 解放。

 息を、一つ。

 そして肩の力がふっと抜け、腰をつく。

 居間の中心。

 タンスや姿見などに囲われた今の中心部。

 そこで僕は腕を後ろ手にする。

 ズルズルと後ろ手を後方に伸ばす。頭が畳に着く。横になる。寝転がる。

 しばらくそのまま——呆然と天井を見つめる。天井のシミと、ゆらゆら風に揺れているペンダントライトのスイッチを見つめる。思考を停止する。

 と、感覚を意識的にしたことで、鼻を通る特有の匂いをふと感じた。


 ……い草、か。


 なんだか久々すぎて、別段この部屋の記憶があるわけでもないのに少しノスタルジックな気分になってしまうのは……なんだろう、僕が日本人だからなのだろうか。

 

 なんとなく久々にしっかりと畳を見ようと顔だけを右にする。

 この部屋の先には縁側が広がっていて、さらにその先には庭がある。

 別段大きなわけではないが、しかしそれでも大きな木が一本植えらられているくらいには小さくない庭。

 こういう昔ながらの庭は最近の家屋ではあまり見ないし、都会の集合住宅文化の元で育ってしまえばまず接することもない光景なのだろうけれど、しかし僕にはその光景には見覚えがあった。


 この居間とは違って。

 ここまでの道程とは違って。

 この家とは違って。

 この島とは違って。

 目の前にあるこの庭だけは——なぜだろう。見覚えがあった。

 僕は視線を固めたまま、体を起こしてその庭に近づこうと——


『お、帰ってたのか』


 聞き覚えのある声が気配も前ぶりもなくいきなり後ろから聞こえたので、生物らしくまあまあにビビりながら反射的に振り向いて視線を向ける……も。


「……?」


 しかし、そこには何もないし誰もいない。

 ただ僕が入室で使った襖が、ただ開けっ放しのままなだけである。


『バカ、こっちだこっち』


 なおも聞こえ続けるその発生源を元にその場所を座り込みながら顔だけを左右に振って探す。見回す。


「…………」


『お、そうだそうだ、これだ』


 案外簡単に見つかった。すぐ近くにいた。


「…………」


 というか、なんかあった。

 それはタンスの上。

 なんだかスーパーの防犯カメラのような黒く丸っこい物体が、タンスの上の端っこにこじんまりとあった。

 その物体は何やらロボ特有の機械音をたてながらキョロキョロと室内を見回すようにしている。


『久しぶりだな希。元気してたか?』 


「…………は?」


 そんな謎機械との視線が交錯する。目が合う。……いや、あれが目なのかはわからないんだけど。


 ……まあともかく。

 何はともあれ、だ。

 

 これが、数年ぶりになるお袋との邂逅だった。

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