第3話「ギクッ」

 どうせ家に着くまでの暇つぶしだ。

 忘却への納得を持つために時間という軸を用いよう。

 そんな試みから、小学校を卒業してから今の年齢に至るまでの年数を頭に並べてみる。重ねてみる。

 すぐに終わった。終了した。

 しかし……それは、具体的な数字をつかんだから、ではない。

 何年ぶりなのかを知ったから、ではない。


「おすおっす」


「…………」


 目の前には一人の少女。

 その小さい体を預けていたベンチから立ち上がる。

 スマホと棒アイスを両手に持って器用にそれらの両立をさせている彼女の姿は、水色のノースリーブにデニムのショートパンツ。

 髪は短く後ろにまとめられていて、ちらりと覗くうなじからはとても健康的な肌の色が見える。

 こちらを見上げる挑戦的なつり目も相まって、その印象は全体的に小悪魔みたいな出で立ちである。


「お久しぶりです」


「…………」


「元気、してました?」


「……ああ」


「そかそっか、良かったよん。ちなみに私も元気してたぜい」


 英会話の例文みたいな、そんな会話を済ませる。

 スマホをポケットに、棒アイスを口にそれぞれ放り込んで、そして彼女は先を行く。歩き出す。


「にしても……大学生の貴重な夏休みに、わざわざこんな辺境の地に強制帰省とは……。ホントかわいそうなことで」


「…………」


「大学はどうっすか? 楽しいですかい?」


「…………」


「ん?」


 返事と気配が近くに返ってこないことの違和感からだろうか。

 彼女の足が止まる。顔が振り向く。


「……あれ。どしたの、来ないの?」


 顔は大変不思議そうだ。

 僕は無意識のうちに止めたままにしていた足に意識を向ける。戻す。


 そして——思い出す。

 ようやく記憶のめぐりが終わる。


「……あ」


「お?」


「あ……いや、すまん」


「別に謝らなくていいけど。……え、なに、どったのどったの? なんかあったの?」


「いや、なんもない。……だからこっちくんな、うざいから」


 ポニテを揺らしてよってくる彼女を引き剥がして僕は歩く。

 彼女を置いていくように足を動かす。

 すぐに立ち位置を戻して隣に並んでいた彼女は手を後ろに組んで、構わず絡んでくる。


「ん、ん? え、なになにどしたのどしたの」


「本当なんでもないんだって」


「んなわけないじゃーん。あんな意味深に足止めておいて、その言い訳は苦しいっすよー」


「…………」


「あ、ついに無視ですか」


「…………」


「ふーん。そうですかそう来ますか」


「…………」


「……まさか」


「…………」


「あたしを忘れていたわけじゃあるまいな?」


「ギクッ」


「え何今のコミカルな効果音」


「気のせいだろ。僕には聞こえなかったぞ?」


「いや、今絶対確実に口から出してたよね? 言葉に出してたよね?」


「そんなわけないだろ。さっきから何を意味のわからないことを言っているんだお前は」


「てかあの効果音をリアルに口に出す人、あたし初めて見たんだけど」


「だから、別に僕はそんな音など出してない」


「いつの間にか無視も解除されてますし。……え、何。本当に忘れてたの? あたしのことを? まじで?」


 視線を下に向ける。

 それは結構食い気味に、そして割と真面目に不安げな表情を浮かべていた。

 なんだか少し泣きそうですらある。

 随分と、打たれ弱くなったものだ。

 昔であればもう少し掛け合いを続けられたものであるのに。


 ……まあ、あれか。

 僕が変わったように。

 こいつもいろいろあったのだろう。

 僕がいない間に、知らない間に、

 いろいろあって、いろいろ変わったのだろう。

 格好だけじゃなくて。

 中身の部分で。


「はあ……」


 僕はわざとらしく小さくため息をついた。


「でも馬鹿なところは変わってねえのな、お前」


「……は?」


「安心しろって。お前のことはちゃんと覚えてるから」


 僕は一区切りのセリフを言う。「だいたいな」と言葉を続ける。


「妹——なんて。そんな存在ポンポン忘れられるものじゃないだろ」


 俺は歩くペースを変えず、つぶやいた。


「第一、お前みたいにうるせえやつなんか忘れることの方が難しいっつーの」


「……うん。……ん? あれ、それって私褒められてる?」


「褒めてる褒めてる。超褒めてる」


「え、あ、そっか。えへ……えへへ」


 本当——相変わらず馬鹿な妹だった。

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