第一章 麦の匂いはかすかに香って過去に生きる

第1話 僕は夏が嫌いだ。

 僕は夏が嫌いだ。


 明確の意志を持って、胸を張って、声を大にして、僕はそれを表明することができる。

 その嫌いに、もはや確信すら持っていて。

 自信満々に自信を抱いている。


 普遍的かつ、絶対的かつ、間違いなく、一片の揺らぎもなく、

 僕は夏が嫌いなのだ。

 

 暑さとか、虫とか、蚊とか、汗とか、日焼けとか、動物とか、植物とか。

 

 不平を挙げればきりがないし、不満を挙げれば際限ないけれど、しかし、その中でも際立ったこのマイナス感情へもし無理矢理に理由を添えるのであれば、僕は中でもまず『人』を挙げる。

 『人』を一番に挙げる。

 

 僕は夏の『人』が嫌いなのだ。


 というか。

 というよりは。


 夏という一季節を構成している他の何より、どんな要素より僕は『人』を嫌悪しているといった方が正確だ。

 

 なんならこの葉月というこの季節において、その『人』という要素を排除していただけるのであれば、僕のこの嫌悪感の九割九分九里解消される。打ち消される。

 なんならここまで述べてきた前言を、すべて撤回しても構わない。

 それほどまでに僕の夏における嫌いは『人』で占めている。

 

 確かに『人』とざっくばらん、ひとまとめにしてみたけれど、しかし虫や動物や植物などのどんな他のどんな要素と同様『人』だって多種多様、色とりどりに彩りにあふれているわけで、種類が多くあるわけで。


 だから『夏の人間』という大枠で僕がカテゴライズした抽象度の高い一覧表には、きっとより具体的な検索条件をつけるべきで、適切なわけで、最適なわけで、共有可能なわけで、理解が容易くなるわけで。


 だから、僕はここで『騒ぐ』『居酒屋』『酒』『大学生』『インスタ』『花火』『テンアゲ』『ナイトプール』『ありよりのあり』『わんちゃんあるっしょ』『海』『BBQ』『ウェーイ!』というゴミのような言葉たちをキーワードとしてあげつらう事で、その具体を担保する。


 そうすれば、さっきから僕が繰り返し嫌っている大体の『夏の人間』の分類は完了だ。


 『僕の夏で特に嫌いなもの一覧表』は完成だ。


 うん。

 まあつまり僕は夏を充実して過ごしている人間が嫌いなのだ。うざいのだ。

 もっと正確にいうのであれば、夏を充実している『風に見せている』奴が嫌いなのだ。

 もう、ほんと。卒倒するほど嫌いなのだ。 

 憎んですらいるのだ。

 なんなのだ彼らは。

 なんなのだ彼女らは。


 何が楽しくてあんな大声で居酒屋で騒ぐのか。

 何が楽しくて性獣が集う汚水に身を投じなければいけないのか。

 何が楽しくて河原でまずい肉を同じタレの味で延々と食べなければならないのか。

 何が楽しくて潮と人混みとゴミと紫外線に溢れかえった塩水などに浸からなければいけないのか。

 

 はっきり言おう。

 賭けてもいいが、あんなもの全く楽しくない。

 一ミクロンだって楽しくない。

 

 大学生という身分である僕が、それなりに大学生をやってみて出した結論がこれである。

 

 あんなものは全部フェイクで、全部偽物で、全部が幻想だ。


 確かにはたから見ればそれは楽しそうではあるのだろうし、楽しげではあるし、実際楽しい瞬間だってわずかながらに存在しているのわけなのだが、しかしそれはあくまで『楽しそう』なだけである。

 実際は全然違う。


 居酒屋において大声で騒ぐ奴はほんの一部だけだし、

 大体周囲に迷惑をかけているから周りから降り注ぐ刺さるような視線と注意を促す店員さんへの謝意で胸がいっぱいになるし、

 「テンアゲ!」した末路に吐きながら道端で苦しみつつ寝転がっている姿は間違ってもテンションが上がることはないし、

 ナイトプールとやらに一度でも入れば年収と顔と体と一時のコミュ力でしか人を判断できない単細胞以下の生物たちが「酔った〜」という詭弁と免罪符を並べて腰を振る相手の物色に終始していることを目にするだけだし、

 BBQに誘われてでもしてノコノコと顔を出せば、なぜか牛角食べ放題プレミアムコースよりも高い金額を請求され運転免許を持っていることをいいように使われた挙句、周りがいい雰囲気になっている中で、延々と肉をひっくり返す雑用に終始するだけに終わり、最後にはただ無表情で修行僧のように鉄板を洗うという拷問のような時間が待っているし、

 花火だってあんなの突き詰めていけばただの大きな火の塊だし、

 人はほとんど歩けないほどに溢れかえっているし、

 なんだか火薬の匂いで焦げ臭いし、

 電車は混むし、

 カップルはうざい。


 海という暑いだけであとはただの温いだけの水は、最初の一歩はその涼しさに「ウィーイ!」と騒いでいる奴らだって次第に海の中で具体的にすることがないことに気づき出して、ただ泳ぐことに終始し、いったい遠出までして何をしてきたのか、そもそも僕たちは今何をしているのか、なぜ今を生きているのか、などというあまりに哲学的な問いに直面する羽目になるし、

 帰りの車では太陽光に当てられた疲れのせいでほとんどが爆睡だし、

 翌日の日焼けは涙が出るほど痛すぎるし。


 こんなの、いったい何をどう楽しめというのか。

 どういう意図で、どういう神経で夏を楽しく過ごせるというのか。 

 どういう理屈で、どういう文脈で、夏を楽しめるのか。

 残念ながら、浅学飛散な僕には全くもって分からない。


 以上のように、騒ぐ大学生たちに関する不満を一つ一つを箇条書きにするなら、きっとA4ルーズリーフの裏面までをびっしりと埋め尽くしてしまいかねないぐらいの大きな嫌いを抱えつつ、憎しみを抱きつつ、不平不満を漏らしつつ。


 しかし、でも。

 それでもやはり、僕は人間であって。

 そして人間とは慣れる生き物なわけでして。

 慣れることができる生き物な訳でして。


 だから、その習慣性と言う素晴らしき特性を持ってすればもしかすればこの嫌いという感情が少しは軽減の兆しを見せるのではないか。

 『好き』とは言わないまでも、『まあ嫌いではない』ぐらいにまでは感情の振り子を持っていけるのではないか。

 だったら、少しは自分からその場に飛び込んでみて、そして楽しんで見れば、もしかしたら——

 そんな期待した僕が馬鹿だった。


 今年の夏において七月のほとんどの時間を使い身を以てそれを確かめてみたわけだけれど、しかし全然全くわずかながらもそのような兆しはない。

 なんなら余計に二億倍ほど、夏が嫌いになったぐらいである。

 

 ここまでの文章で十分な共感の嵐を呼ぶことはまずないのだろうし、なんなら僕の人格的欠点を見つけ出すに十分な以上の記述として批判の嵐こそが訪れても全くおかしくはないとは思うのだけれど、しかし、その中で弁明を一つだけ述べることが許されるのであれば、別に僕は花火だったり、海だったり、なんだったらプールだったりBBQだったりという夏を構成している諸々が嫌いな訳ではない。


 いや、まあ確かに好きではないのだが、しかし何度も繰り返していっている通り、僕はあくまでそういった物事全てを楽しんでいる『風の』人々が嫌いなだけなのだ。

 日常を切り取るとか、思い出を手元にだとか、そんなおためぼかしをのべつまくなしに並べてて、実際は自分が夏をエンジョイしていることを周囲にアピールしたいがための自己顕示欲に溺れた薄汚いゴミ豚どもが嫌いなだけで。


 見て見ぬ振りをして、汚いものに蓋をして、現実を直視しないで。

 そんなことを行なっている人間が嫌いなだけで。

 ただそれだけなのだ。

 そして、そういう奴らが、一番活気付く季節が『夏』という季節で、それが僕は嫌いなのだ。


 だから、僕は夏が嫌いなんだ。


「…………」

 

 無言で親の仇のように見つめる僕の視線の先には大きな浜辺。

 

 そこではBBQ用のトング片手に楽しげに腰を振りながらダンスを続ける男女数十名の若者どもが大騒ぎを続けている。

 腰に手をかけたり、肩を組んでみたり、腕を組んでみたり肩車をしてみたり…………なんとも楽しそうである。

 別に全く全然これぽっちも羨ましくなんてないわけなのだけれど、確かに楽しそうである。

 うん。

 楽しそうである。


 でも僕は知っている。

 それが幻想であると。

 嘘であると。

 偽物であると。

 あれは見た目がみずみずしく美味しそうなだけで実際ほとんど味のしない果実であり、むしろその実態は毒りんごに似て非なる代物であるということを。

 僕は知っているのだ。 


 だから……別にいいし。

 

 そんな血の涙のような羨望の眼差しを喉の奥に飲み込んで、以上のように結論付けて、言葉を占めて、船に乗り込む。

 

 ……まあ、こんな感じだから僕にはきっと彼女ができないのだという現実は、絶対に直視するべきじゃない。間違いなく見て見ぬ振りをするべきことだろう。


 ——うん。

 臭いものには蓋をするべきなのだ。

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