勝利の苦汁

 サントル帝国では、ゴーレムコマンダーに階級とは別の区分がある。

 一人で四基以上扱えるのが上級コマンダー、二基なら中級、一基しか使えないのが下級である。

 その少女は下級コマンダーだった。

 ノームとは二体と契約しているが、片方が七倍級を扱えず、今は部隊後方でトンネルを掘っている。

 唯一戦闘ゴーレムを使えるノームへと、彼女は指示を出さねばならない。

 だが、それができなかった。


 初めての殺人指示、その対象が味方兵士なのだ。


 敵と戦う覚悟はしてきた。

 戦死は名誉と考えている。

 だが、味方を殺すなど夢にも思わなかった。

「セリュー三等曹! 貴様のゴーレムが動いておらぬぞ!」

 年かさの小隊長に怒鳴られた。

 もう引退するほどの年齢なのに、一基しか扱えない下級コマンダーである。

 敵ゴーレムと戦えない軽量型ゴーレムは、二線級のコマンダーが担当するのだ。

 いくら砂塵に霞んでいようと、二基小隊の自基が動いてもう一基が動かないでは、さすがにバレてしまう。

 セリューは跳びあがって直立不動の姿勢をとった。

「申し訳ございません! うまく念を送れずにおります!」

「貴様ー! 命令に反抗するかぁ!?」

「否定であります! 命令は迅速に遂行する事が、革新戦士の義務であります!」

「ならばさっさとゴーレムに、逃げる臆病者どもを踏み潰させろ!」

「了解であります!」

 少女は観念し、改めて地面に手を着いた。

 ノームに、指示を――

 強い力で蹴飛ばされた。

 上官による制裁だ、と反射的に身体を縮めて転がり、腹部を守る。

 その背中を踏み越えられ、頭を蹴られた。

 誰かに引き起こされたものの、突き飛ばされ、人の波にもまれて、沈んだ。

 小隊長による暴力ではなく、混乱した集団に巻き込まれたのだ、とセリューは薄れ行く意識の中で理解した。


 右翼が崩壊するや、第七師団全体が浮き足立った。

 右翼に隣接する中軍右端から、将校である市民階級の脱走が始まった。

 上官を失った兵たちは、ゴーレムの破壊音と振動に追われて逃げだす。

 部下の統制を失った師団長は、副官に「後は任せる」と尻拭いを押しつけ馬にまたがった。

「我々はどうしろと?」

 第七師団には所属しないゴーレム連隊長が、逃げようとする師団長にすがった。

「新型ゴーレムを食い止めろ!」

 前を塞ぐ兵たちを馬で押しのけ師団長は逃げだす。

 幕僚らの馬群が続いた。

 帝国軍伝統の「指揮官の率先逃亡」が始まったのだ。


 部下を蹴散らし逃げる師団長らの、前が急に開けた。

 師団長は拍車を当てて馬を加速させる。

 そんな人馬に巨大な影が降ってきた。

 次の瞬間、馬ごと師団長は影に押し潰される。

 軽量型のクリムゾン・レンジャーが、足下に来た自軍兵・・・を踏み潰していた。

 ゴーレム連隊に戦闘を継続させたがために、逃亡阻止命令も継続されていたのだ。

 幕僚らはレンジャーが次に足を上げる前に、これ幸いと走り抜ける。

 自分の生存が最優先なのは、大衆階級に限らない。

 失う物が多い市民階級の方がむしろ必死になる。

 失敗の責任は「反論しない」死者が負わされるのが常だから。


                  א


 イノリの中で、ルークスは戸惑った。

 インスピラティオーネが一時離脱を提案してきたのだ。

「シルフが何か見つけたの?」

「良くない知らせです。主様には冷静に聞いていただきませんと」

「分かった」

 戦場からの離脱は精霊たちに任せ、ルークスは息をついた。

 不安が高まる。

 急がなくても敵ゴーレムを逃がす心配はない。イノリの方が圧倒的に速いのだから。

 ルークスを不安にさせたのは「良くない知らせ」である。

 どこから来たかによっては、すぐに帰国することになるかも知れない。


 畑から西に入った木立の中で、バーサーカーがノロノロと向かってくるのをイノリは待っていた。

 幸い、シルフは戦場の情報をもたらしただけだった。

 祖国で、ましてやフェルームの町で何かあったわけではないので、ルークスにとっては凶報とはならなかった。

 それでも少年は息を詰まらせている。

 全身の毛穴から汗を噴きださせて。

「……嘘だろ? 督戦隊の目は潰したのに……敵兵は逃げられるはずなのに」

 シルフがもたらした情報は、敵陣の様子だった。


 ――後方に配置された軽量型ゴーレムが、逃げる自軍兵士を踏み潰している。


 それも一基や二基ではない。

 十数基が歩き回り、兵士を踏み潰している。

 中には自軍陣地に踏み込んでいる基もあるそうだ。

「助けないと!」

 ルークスは即決した。

 しかしグラン・シルフが異を唱える。

「バーサーカーはイノリを追尾しています。後方に回りますと、最短距離を進むでしょう」

 帝国軍は自軍将兵の安全を考えていないどころか、督戦隊として使っているのだ。

 間にいる自軍将兵を迂回するとは思えない。

 かと言って長い横隊の端まで誘導しては時間がかかりすぎる。

「急いで全基壊すしかないのか!」

 ルークスはイノリを全速で走らせた。

 少しでも早く敵ゴーレムを全滅させなければならない。

 他ならぬ敵兵を助けるために。


                  א


 夕刻、麦畑跡にはゴーレムの残骸と放棄されたゴーレム、千を越す帝国軍の死傷者が残されていた。

 一個師団とゴーレム連隊が、敵に一兵の損害を与えることもなく潰走したのだ。

 たった一基のゴーレムによって。


 ルークスはイノリの中で震えていた。

 自らの手を下さなかろうと、数百もの命を奪ったのは自分なのだ。

 涙があふれて止まらない。

「主様、気に病むことはありません。敵が想定以上に愚かだっただけです」

 インスピラティオーネが慰める。気休めにさえならないと分かっていても。

 戦争で人死には避けられない。

 戦争に勝利する、味方の損害を減らすと言うことは「敵の損害を増やす」ことを意味するのだから。

「バーサーカーを倒したあと視界は戻したのだから、帝国軍はレンジャーを止めることはできたはずよ。ルークスちゃんのせいじゃないわ」

「ルールー、泣かないでください。ノンノンも悲しいです」

「現在生存者を確認しております。レンジャーに近づかなかった者の多くは生きているようです」

「でも、リスティア軍が来たら殺されてしまうよ」

「ではヴラヴィ女王に頼んでは? 主様の頼みならば断りますまい」

「そ、そうだね」

 王都を狙った一個師団とゴーレム連隊を撃退したのだ。

 投降兵の助命くらい聞き入れてくれるだろう。

「主様、負傷者の中に子供がいるようです」

「子供!? 帝国軍は未成年を戦場に出すのか!?」

 後方勤務ならまだしも、前線で戦わせるとは酷すぎる。

「一人? ならすぐ運ぼう!」

 イノリは敵兵――生きていても死んでいても――を踏まないよう慎重に足を置き、シルフが教えた子供の前でしゃがみこむ。

 ルークスと同じくらいの年頃の、少女だった。

 意識は無い。

「僕は……こんな子まで死なせるところだったのか……」

 ルークスの震えが強まった。

「主様に責任はありません。斯様かような童子を動員した大人の責任です」

 グラン・シルフの気遣いも、ルークスの頭には入らない。

 帝国軍と戦うこと、その意味を今さらながらに思い知らされ、呆然となっていた。

 壊れ物のように少女を両手でそっと持ち上げると、イノリは来た道を引き返した。


                  א


 一個師団とゴーレム連隊が、たった一基のゴーレムに敗走させられた。

 その報告にサントル帝国の皇帝ディテターは激怒した。

「征北軍は作戦目的を忘れたか!?」

 パトリアの新型ゴーレムが向こうから来てくれたのに、全軍を向けなかったので各個撃破を許してしまった。

 最高権力者は怒り心頭である。

 しかもゴーレムを前面に押し立てて敵を蹂躙じゅうりんするという必勝の戦術が、正面から叩き潰されたのだ。

 即位後初の大規模遠征にケチを付けられた壮年皇帝は、大音声を発する。

「軍法会議など生ぬるい! 余が直々に罪を問うてやるわ!!」

 怒っているのに笑みさえ浮かべる絶対者に、近習たちは震えあがった。

 皇帝ディテター・プロタゴニスト・アスチュース五世は、歴代皇帝の中でも特に厳罰を好むことで恐れられていたのだ。

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