苦戦
パトリア王国の首都アクセムにある王城は、夕焼けに染まっていた。
だが女王フローレンティーナの心は、夜明けを迎えたように明るくなっている。
ルークスから連絡が届いたのだ。
自軍後方に新型ゴーレムが現れたら、帝国軍はどう動くか?
帝国軍が宣言したとおり「作戦目標がルークスと新型ゴーレム」なら、本隊が反転するはず。
その回答が出た。
ルークスから使わされたシルフは明言する。
「本隊は動かず。兵一個師団とゴーレム一個連隊のみを向かわせた、だってよ」
王城の連絡所を通さず女王に直接報告したので、行き違いが生じる余地はない。
「朗報です。よく知らせてくれました」
「大したことないよー。おいらはルークスに頼まれただけだからさ」
フローレンティーナの感謝に、シルフは得意げに執務室の天井付近を飛び回る。
そんなシルフに、女王は彼が最も喜ぶことをした。
「ルークスに伝えてください。『あなたのお友達が知らせてくれたので、心のつかえが取れました。ルークスにはいくら感謝してもしきれません』と」
「任せておけ! ルークスの元へひと吹きだ!」
シルフは真っ直ぐ窓から飛びだした。
にこやかに見送る女王に宰相は怒りをぶつける。
「喜んでいる状況ではありませんぞ! 帝国軍は、ここ王都に来るのですぞ!」
外相に負けないくらい蒼白になった宰相に、横合いから声がする。
「おや? 帝国軍がリスティア侵攻を始めた時点で予想されていたことでは?」
涼しい顔で痩せた参謀長が言う。
「そんなことより『ルークス卿を引き渡せ』などという無茶な要求が、我が国の結束を乱すための策略と判明したことを喜びませんか?」
「しかし、新型ゴーレム無しで帝国軍を防ぐなど不可能ですぞ!」
その新型ゴーレムを「帝国に引き渡せ」と言ったことを忘れた宰相に、プルデンス参謀長は苦笑した。
「何の為にルークス卿が寡兵を率いて敵軍後方に上陸したか、まだご理解いただけないとは。参謀長として不明を恥じるばかりです」
意趣返しをしてから口調を改める。
「ご心配なく。帝国軍は国境まで辿り着けません。数日中に本隊も引き返します」
「なぜ分かる!?」
「その為の作戦をルークス卿が実行しているからです」
ネゴティース宰相は「上陸地点を勝手に変えた」だの「大王都攻略は補給部隊攻撃後だった」と、些末なことでケチをつけた。
これを参謀長はにべもなく切り捨てる。
「現場の判断で臨機応変に対応するのが戦争です。作戦の大目的である帝国軍の真意を知ることと、リスティア新政権を味方につけることは共に成功しました。実に大戦果ですな」
「しかし、まだ本隊は戻っていないではないか!」
「敵将が予想以上に愚かだっただけのこと。自分たちが危機的状況にいることも分からないのですから」
「敵を侮るのは愚者のすることだ! 一部隊のみ引き返すのは、当初の想定にあったではないか」
「それは北の軍港から補給路を脅かした段階での話です。だが今は、大王都を落とされリスティア王国が離反、帝国軍は敵地で孤立したも同然です。だのに戦力の逐次投入という最悪な手を打ちました。これを愚かと呼ばずしてなんとします?」
「しかし、連中は交易都市を押えているぞ」
「二千人都市で四万の将兵が養えると? 早晩食料を食い尽くし、住民と戦うことになりましょう」
「他の都市から運べば良い」
「それだけの輸送能力を帝国軍本隊は有していません。たとえ各領主が協力したとしても、我が国との戦いで荷車やゴーレムの相当数を失っています。帝国軍は本国からの食料を待つか、食料がある場所へ行くしかないのです。そして前者を止められようとしているのに後者――ケファレイオ行きをしなかった。宰相殿はこの判断を賢明と思われますか?」
これ以上ごねたら「自分が愚かだ」と告白するも同然なので、初老の宰相は口をつぐむしかなかった。
ただプルデンス参謀長は一つだけ間違えていた。
帝国軍の指揮官は愚かではない。
政治将校が愚行を強いたのだが、そこまではパトリア軍の知恵袋にも想像できなかった。
外部から見えるのは「帝国軍司令部が愚かな判断をした」だけなのだから。
א
月明かりの夜道を、ルークスはイノリに走らせていた。
「船を下りてからずっとイノリにさせていて、皆と会えないから寂しいよ」
水繭の中で親友たちに言う。
特に、左肩にノンノンがいない事に強い違和感を覚えるのだ。
「ルークスちゃん、少し大人になりましょうね」
リートレが大人の声を水繭に響かせた。
走り続けて深夜を回るころ、インスピラティオーネが警告する。
「主様、間もなく敵の野営地に到着します」
「帝国のシルフは?」
「友達がもてなしております」
「じゃあ気付かれていないね」
「ですがゴーレムは動いております」
「移動しているの?」
「野営地の周囲を回っています」
ルークスは野営地に近い丘の反対側に回りこんだ。
イノリから出て丘の上から野営地を見る。
月明かりだけで良く見えないが、大きな影が動いているのは分かった。
七倍級の大きさだが細身である。
内骨格を採用した軽量型ゴーレム、クリムゾン・レンジャーに違いない。
いくつもある焚き火が野営地で、その周りを歩き回っているようだ。
焚き火を遮る際にシルエットが見えた。
「物音を立てていたら警戒にならないのに。それとも威嚇かな?」
ゴーレムがいない部隊にとっては、軽量型でも十分脅威となる。
ルークスはイノリに戻って、カリディータに火炎槍を炙らせた。
シルフに風を起こさせ、人間の視界を閉ざさせる。
「それじゃあ、新型ゴーレム同士の対決といきますか」
ルークスはイノリを走らせた。炎の軌跡を残しながら。
夜襲に気付いた帝国軍はレンジャーの足を止めさせた。
そこにイノリが突撃する。
レンジャーは前掛け程度の胸当てしか着けておらず、腹部や側面は土が露出している。おまけに盾も無い。
正面のレンジャーが両手で戦槌を持ち上げた。
イノリは右側面に回りこみ、横から突きで脇腹を突いた。
穂先を炙っていたサラマンダーは、円錐金具の背後に退避している。
鋼板を巻いて作られた金具は大型化され、裏側にカリディータが隠れられるようになっていた。
実体を持たない精霊は物理的衝撃に害されはしない。
ただ土と金属、爆裂する水蒸気という「火も可燃物も無い世界」は火精的に苦しいものだ。
火精使いでもある開発者アルティの気遣いである。
右腹部の土が吹き飛び、バランスを崩したレンジャーは横に倒れた。
背骨が上半身と下半身を繋いでいるので、大破はしたが撃破には至らない。
イノリの右からレンジャーが接近してきた。
振り下ろされる戦槌を火炎槍の柄で逸らし、右脇の下を横から突き。
右肩から右脇までの土が吹き飛び、右腕がだらりと下がった。
露わになったのは肩の球状関節と鎖骨、背骨と――肋骨だった。
人間と違って内臓が無いので、背骨は胴体のほぼ中心を通っている。
その胸部に卵型の金属格子があった。
格子の卵は人間よりやや小さく、中にも土が詰まっている。
「あんな部品が! 核をあれで守っているのか」
人間の肋骨と同じように重要部品を守っているらしい。
「王宮工房の模型には無かったな。そうか、前掛けみたいな鎧は、あの部分を守っているんだ」
胸当てと土、さらに鋼鉄の格子によって守られた核なら、戦闘ゴーレムの戦槌にも耐えられるだろう。
軽量型ゴーレムは防御力は弱いが、最重要部品は従来型より厳重に守られていた。
「核も小さいんじゃないか?」
強度を持たせるために、七倍級ゴーレムの核は人間の子供ほどの大きさがある。
肋骨との間に土があると考えると、軽量型ゴーレムの核はその半分もない。
結晶が小さい、それは最も高価な部品がより安く、より簡単に作れることを意味する。
「やるじゃないか、帝国の技術者も」
ルークスの口元が緩む。
軽量化と防御力の両立という無茶な要求だったに違いない。
それを内骨格に生物を同じ「臓器を守る」機能を持たせて実現したのだ。
そんな技術者にルークスは敬意を覚えた。
「主様、敵が接近しています」
インスピラティオーネの警告でルークスは我に返った。
「おっと考えこんでいた」
レンジャー三基が迫っており、うかうかしていると包囲されてしまう。
さらに砂塵を突いて通常型のバーサーカーも接近しつつあった。
「こちらの位置は分かっているね。コマンダーから見えるのかな?」
ノーム同士で連携しているなら、この部隊はパトリア軍に匹敵する練度となる。
左から振られたレンジャーの戦槌を火炎槍の柄で逸らせ、地面を叩かせた。
その隙に後ろに素早く下がり、イノリは包囲を脱する。
そして外縁のレンジャーの背中を突いた。
ガチっと固い手応えで、穂先が背骨に当たったのを感じた。
突き刺した周囲の土が剥がれ落ちただけで、ほぼ不発だった。
突かれた反動でレンジャーは前のめりに倒れる。
「どういうこと?」
考える暇もなく、次のレンジャーが襲い来る。
後ろに避け、左に回りこみ脇腹を突く。
左脇の土が吹き飛び、肋骨が剥き出しになる。中の土はぎっしり詰まったままだ。
そして骨組みが支えるので撃破にいたらない。
横合いから戦槌が振られてきた。
下がったところにもレンジャーが来る。
「従来型より速いだけじゃない。視界を塞いでいるのに着実に接近してくる。たまたまコマンダーが近くにいるんじゃなくて連携している!」
「主様、敵兵は混乱して逃げ惑っております。しかしゴーレムの動きは統制がとれております」
「そんな真似、グラン・ノームがいない限り不可能だ」
言ってから答えに気付いた。
「そうか、グラン・シルフがいる大部隊なんだ。グラン・ノームがいても不思議じゃないよな」
ゴーレムを一個師団も投入した、大戦以後最大の戦役なのだ。
ゴーレムコマンダーが状況を把握できなくても、グラン・ノームが「自分の影響下にないゴーレムを攻撃しろ」と命じれば、ノームは敵味方を識別して行動できる。
ルークスの父親がリスティア軍相手にやったように。
「グラン・ノームはどこだ?」
いずれかのゴーレムの内か?
「戦闘に参加しないゴーレムがいたら教えて」
しかしすぐ自分で否定した。
「こんな小部隊にいるわけないか」
いるとしたら本隊だろう。
「となると、グラン・ノームはかなりの距離で制御できる? それとも分割前の指示がいまだに有効なのか」
後者の方が納得できる。
リスティア侵攻するにあたり、帝国はリスティア、マルヴァドに加えパトリア軍も想定しているはず。
寿命という概念が無い精霊の時間感覚は、基本的に人間より遥かにのんびりだ。
一度指示されたら帰国するまでだって続けられる。
それを利用してルークスは敵シルフの妨害を「排除」ではなく「遅延」にしたのだ。
その間もレンジャーとバーサーカーがイノリに迫ってくる。
「バーサーカーがケファレイオで動かなかったのは、町に被害を出さないためだったのかな」
近づくレンジャーに攻撃を空振りさせ、火炎槍で膝を突く。
固い手応えがして、土は破裂せずに膝周りから土が剥がれ落ちた。
転倒するレンジャーを見てルークスは理解した。
「そうか。穂先の熱が骨に奪われるのか」
土は熱を伝えにくいからこそ、穂先周辺で水蒸気が一気に発生するのだ。
だが金属は熱を伝えやすい。穂先の熱を伝導という形で奪ってしまう。
たとえ土が剥がれ落ちても、骨組みが全身を維持するので撃破に至らない。
弱点の核は金属格子で火炎槍の穂先からも守られている。
「これは、手強い……」
動きが速いうえに倒しにくい。
従来型ゴーレムの敵ではない軽量型ゴーレムだが、ことイノリ相手になると最大の脅威であった。
ルークスは包囲されないよう神経を使う。
ゴーレムコマンダーからの視界を閉ざしても「グラン・ノームの影響下にないゴーレム」というだけで、向こうはイノリを特定できるのだ。
幸いレンジャーの鎧は一部だけなので、隙間を狙う必要はない。
手当たり次第に突いて次々大破させる。
「いけるか?」
そうルークスが思った途端、急にイノリがつんのめった。
右足が引っかかったらしい。
「何があったの?」
ルークスはイノリの顔を右足に向ける。
レンジャーが倒れたまま、イノリの右足首を掴んでいた。
鎧の部分以外は掴み潰されている。
動けないイノリに、レンジャーとバーサーカーが群がってきた。
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