哀れな大衆

「シノシュ上級曹長殿、それでは出撃してまいります!」

 その下士官は直立不動で敬礼した。

 まだあどけない少女である。

 小柄な体は痩せていて、そばかす顔にかかる短い髪に艶は無い。

 確か十四才とシノシュは記憶していた。

 他国と異なり、サントル帝国は未成年でも戦場に動員する。

 兵役を以て成人とみなす、と誤魔化して。

「セリュー三等曹は、これが初めての戦闘ですね?」

「は! 必ずや敵新型ゴーレムを撃破し、社会革新に貢献してまいります!」

 師団長付精霊士であるシノシュに部下はいない。

 同郷のセリューが一方的に慕っているだけだ。

 否、目標としていると言うべきか。

 功績を上げれば階級を上げられるという意味で、彼は彼女の手本なのだ。

「奮闘を期待する」

「ありがとうございます!」

 再度最敬礼してぎこちなく歩み去る少女に、シノシュは哀れみを覚えた。


 上昇志向は破滅の元なのに。


 二年前までの自分を見るようで、不快にさせられた。

 功を上げれば大衆も市民になれる、という嘘を昔はシノシュも真に受けていた。

 確かに優秀な大衆は市民になれる。

 ただし「市民階級を脅かさない無力な大衆なら」という条件があった。

 最初から市民である者を除き、軍の精霊士は下士官以下、つまり大衆だけなのだ。

 グラン・ノームという並みの精霊士を凌駕する力を持ったシノシュが、既得権者から警戒されたのは疑う余地もない。

 何しろシノシュの上級大衆昇格直後に、特級大衆なる階級が作られたのだから。

 帝国の真相に気付いて以来、シノシュは口をつぐんだ。

 昇格など夢にも考えず、ただただ平穏に務めを果たすことに徹した。

 大衆のまま引退して年金をもらう、それがシノシュの最適解だ。

 それ以上を求めれば、必ず命を奪われる。

 そして家族が連座させられるだろう。


 周囲全てが敵である帝国にあっては、家族だけが味方である。

 その家族に密告される者は後をたたない。

 だがシノシュが家族を疑ったなどは一度としてなかった。

 家族まで疑うくらいなら、死んだ方がマシである。

 ゆえに「家族を生かすために自分を殺す」程度、シノシュには簡単だった。


 セリューの事はすぐ頭から追い払った。

 うっかり同情して真相を教えたりしたら、密告されるに決まっている。

(他人は全て敵だと忘れるな)

 たとえセリューが戦死したところで「まとわりつかれなくなって助かるだけ」とシノシュは考えていた。


                  א


 ヴラヴィより「リスティア再興」の勅が出されたのは、その日の正午だった。

 アラゾニキ四世が建てたリスティア大王国は十三年で終わった。

 混乱を避けるため、当面は大王国の中央集権体制を引き継ぎ、徐々に元の封建国家に戻すと方針が決まった。

 絶対王政は君主の夢だが、新女王は権力を振るうより「アラゾニキが変えた社会を元に戻す」方に魅力を感じている。また領主たちの協力も得やすかった。


 パトリア王国のフローレンティーナ女王からシルフにて祝辞が届いた。

 ルークス卿とプレイクラウス卿の主君なので、ヴラヴィは親しみを覚えた。

 自分より年下なのに、アラゾニキの侵攻を二度も撥ね付けた点は尊敬に値する。

 その二度に渡る祖国防衛の最大の功労者が、レークタ親子だった。

 九年前に父が一度目を防ぎ、亡き父の後を継いだ息子が二度目を防ぎ、アラゾニキを捕らえもした。

 運命の巡り合わせにヴラヴィはときめいてしまう。

 まだあどけなさの残る少年は、リスティア王国が再建されてゆく広間の外、夕焼けに染まるバルコニーでシルフたちと言葉を交している。

 彼が「風に愛された少年」だとは臣下の精霊士も知っていた。

 パトリア侵攻の際に「最大の障害」と目されていたからだ。

 だが戦端を開いてみれば、想定を遥かに超える働きをされてしまった。

 グラン・シルフだけでも脅威だったのに、新型ゴーレムがリスティア軍二方面の攻撃を頓挫とんざさせ、大王を虜囚にしたのだ。

 リスティア大王国はルークス一人の働きで負けた、とヴラヴィは思っている。

 国を運営する者を決め、その者が持ってくる書類を決裁しつつ、女王は窓の外をチラチラ見やった。


 夕方まで寝ていたルークスは一頻ひとしきり偵察シルフから報告を受けると、フォルティスを伴い広間に入った。

 女王を中心とする人だかりから離れたテーブルに、リスティア王国の地図が広げられている。

 そこでフォルティスが声を上げた。

「最新の戦況です」

 リスティア軍の最高指令官に任じられたパナッシュ元帥・・やパトリア軍のスーマム将軍ら、両国の武官が集まってきた。

 ヴラヴィ女王も来てから、フォルティスが説明を始める。

「帝国軍に動きがありました。北の軍港にいた戦闘集団が南下を始めました。我々の上陸予定地点で待ち伏せていた部隊です。兵は一個大隊規模、ゴーレムは五十基です」

 北の軍港に置いてあった赤い三角形の積み木を南に向けて少し動かす。

「南の交易都市を占拠している帝国軍本隊より、一個師団が北上を始めました。ゴーレムは一個連隊相当の百基です」

 どよめきが起きた。

 フォルティスは本陣を示す赤い長方形の積み木の北に、赤い三角形の積み木を置いた。

「さらに帝国本土より一部隊がリスティア国境を越えました。荷車が多いので補給部隊と思われます。護衛と人夫の判別が付かないので兵数は不明。人数だけなら二個中隊。ゴーレム二十は細身とのことで、軽量型と見て間違いないかと」

 国境に赤い三角の積み木を置いた。

 パナッシュ元帥がうなずく。

「さて、これらの目標が問題だ。三隊ともこの大王都――いや王都を目指すなら、到着はいつになる?」

 水を向けられたキニロギキが淀みなく答える。

「北の戦闘集団が最も早く到着します。明後日にはケファレイオに到達するでしょう。本隊からの師団はさらに一日。それとほぼ同時期に、補給部隊も来られるはずです」

「こちらの戦力は?」

「元リスティア解放軍二千、王都王城警備の残余千を現在再編中です。各領主にシルフを飛ばしていますが、帝国軍占領部隊がいるので合流には時間がかかるかと」

「近衛軍と大王騎士団が逃げ散ったのは痛かったな。お陰で我々は三倍以上の敵兵と百七十基のゴーレムを相手にせねばならん」

「そうはなりませんよ」

 パナッシュ元帥の横合いから口を挟んだのはルークスだ。地図を見ながら言う。

「理想的な各個撃破になりますね」

 荒唐無稽に聞こえたが、彼は新型ゴーレムによって荒唐無稽を実現してきた。

 全員が小柄な少年の言葉に耳を傾ける。

「まず、北の港から来る五十を叩きます。次いで補給部隊の二十を片付けます。で、補給を失い挟撃部隊の喪失に動揺した百を叩けば、残り二百。多分今の町に集結させるでしょうから、まとめて処理すれば手間が省けます。残るは占領のために分散している三十と鹵獲されたグリフォン。地道に潰せば約束どおり、国内の帝国軍ゴーレムの全てを片付けられます」

 圧倒されつつも眼鏡の参謀総長は問いかける。

「ルークス卿、ゴーレム以外は?」

「ああ、そうか。片付けるって言っても、全部壊す必要はありません。敵の戦意が無くなれば十分。放棄されたものをいただきましょう。リスティア解放軍にはゴーレムコマンダーが結構いましたよね? 彼らが使えばすぐにリスティア軍ゴーレム部隊が編成できます。ああ、話はゴーレム以外のことでしたっけ? でもゴーレムを失った将兵が、ゴーレム部隊を相手に何かできるでしょうか?」

「確かに。目の前でゴーレムが次々撃破されるだけでも戦意を失いますな。ましてやそれらが自分達に向かってきたら、逃げ散るしかないでしょう」

 参謀総長の言葉に、パナッシュ元帥はソロス川の悪夢を思い起こしていた。

「問題は逃げ散ったあとですよ」

 ルークスは無遠慮に言う。

「四散した帝国兵は武装流民になるわけです。彼らが村々を襲うのをいかに防ぐか。パトリア軍では対処できないので、リスティア軍の真価が問われます」

「新鮮な意見ですな」キニロギキ参謀総長が目を剥いた。「アラゾニキ政権では町の外の民は考えませんでした」

「民が君主を支持するのは、自分らを守ってくれるからじゃないですか。民を守らない君主なんて、サントル帝国の皇帝だけでも多すぎます」

「なるほど。新しい君主が民に認められる絶好の機会というわけですか」

 キニロギキ参謀総長はパナッシュ元帥に目で合図し、同意を取り付ける。

 そして若き女王に顔を向けた。

「今のルークス卿の話、いかがいたしましょう、ヴラヴィ女王陛下?」

「分かりました。新生リスティア軍は帝国軍および逃亡兵から国民を守ることを最初の任務とします」

「謹んで拝命いたします」

 パナッシュ元帥がかしこまった。

「それじゃ、そろそろ出発しますか」

 ルークスはあくびをした。

「まさか今夜のうちに!?」

 驚くリスティア人たちに、ルークスは追い打ちをかける。

「連戦はできませんから。今夜のうちに五十。朝までに帰ってきて、また一寝入りして、明日の夜に補給部隊の二十。スーマム将軍には明日中に会敵予定地までの移動をお願いします。で、明後日の晩に南からの百基――ああ、戦うのが精霊だとしても、僕も現地で指揮しないといけませんので」

 フォルティスに突かれ、ルークスは補足した。

 危うく自分が戦うことを露呈するところだったが、リスティア人たちは誰も気付かない様子だ。

「まさに神出鬼没ですな」

 と、一番油断できないキニロギキ参謀総長さえ嘆息していたのだから。

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