口封じ

 大柄の傭兵が案内したのは、裏道に面した酒場だった。

 窓は無くランプの灯りだけの薄暗がりの中、十数人の男たちが酒を飲み賭け事に興じ、女給に下卑た声を上げている。

 店内からすえた臭いがあふれてきたので、入りざまルークスは息を止めた。

 客たちは先頭のサルヴァージに息を飲み、続くルークスを嘲笑し、腰の剣に目を見張った。

「凄い。敵意が集まってくる」

 何の気なしにルークスは言う。

「ほう。殺気が分かるのかい?」

 巨漢の傭兵がだみ声で答える。

「精霊が騒いでいるんです。フューリーは怒りの感情に集まるから」

「ああ、あんたはそっちの人間だったな」

 精霊使いではないサルヴァージにとっては「そういうものか」というだけである。

 しかし同じ精霊使いであるフォルティスにとっては衝撃的な発言であった。

 フォルティスはフューリーを本の中でしか知らない。

 怒りに限らず感情を司る精霊を感じたことは一度もなかった。

 精霊学で学んではいるが、クラスの同輩の誰も見た事もない。教師や騎士団の精霊士などでも同じだ。

 これらの精霊は実用になるか、と思って尋ねて回ったことがある。

 結果、フォルティスの周囲にいる精霊使いは感じることさえできないと分かった。

 一人ルークスは存在だけでなく「集まっている」と数も分かるらしい。

(風に愛された――相性だけではない。精霊使いとしての感度が抜群なのだ)

 今さらながら、ルークスが精霊使いとして破格である事を再認識するフォルティスだった。


 サルヴァージはカウンターへ行くと、むっつりした髭面のバーテンに言う。

「奥の部屋を使わせてくれ」

 と染みだらけのカウンターに大銀貨を置いた。

 バーテンは無言のまま顎で奥を示した。

 カウンターの脇にある奥の扉へ向かうと、カウンター席の男が足を出して邪魔をする。

 サルヴァージは気が付かないかの自然な歩行のまま、邪魔な足を蹴り飛ばした。

「てめ!」

 男が立ち上がりサルヴァージと睨み合うので、ルークスは面倒になった。

 腰に下げたランプに呼びかける。

「カリディータ」

 ランプから炎が吹きだし、サラマンダーの娘が現れた。

 舞い散る火の粉が周囲を照らし、どよめかせる。

「はっ。燃やし甲斐がある奴らがいるね。酒精は火を強めるからな」

 カリディータは火の粉をまき散らした。

「あちち!」

 酔客たちは火の粉に追いたてられた。露出が高い精霊を眺める余裕さえない。

 サルヴァージに絡んでいた男も壁際まで下がって道を空ける。

 巨漢の傭兵は顔をしかめて振り返った。

「せっかく俺様の見せ場だと思ったのによ」

「絡むのを思いとどまるほどは怖がられていないんですね」

「ああ、くそ」

 サルヴァージは頭をかいてカウンター脇の扉を開けた。

「余計な人が入らないよう、見張っていてね」

「おうよ」

 外で扉をサラマンダーに守らせ、ルークスらは部屋に入った。


 狭い部屋には長方形の大テーブルと椅子があるだけだ。

 サルヴァージが場所を取るので、ルークスとフォルティスは向かいに座った。

「召喚の儀式なしで精霊を呼べるたあ、驚いたぜ」

「儀式が必要だって知っているんですね」

 ルークスの返しにサルヴァージは苦笑する。

「見かけ以上に抜け目ねえな、あんた。そりゃまあ戦場じゃ、精霊には色々世話になるからよ」

 フォルティスはそのやり取りを隣で見守っていた。

 ルークスは他人に興味を持たず、相手の機微に鈍い人間だったはず。

 サルヴァージのことを鋭い眼力で見抜くあたりは別人のようである。

 自分は思った以上にルークスの事を知らないのだ、と彼は肝に銘じた。

 部屋の奥にある扉が開き、小太りの老人が入ってきた。

「やあサルヴァージさん、お久しぶりです」

 大柄な傭兵が立ち上がって握手した。

「ここいらの事情通だ。爺さん、こちらは――」

「ルークス・レークタです」

 長い眉毛に半ば隠れた老人の目が見開かれた。

「まさか」

「そのまさかなんだよ。扉の外でサラマンダーに番をさせるわ、姿を消したグラン・シルフに警護させるわの、噂以上の精霊使いだぜ」

 老人が手を差し伸べたので、ルークスは手の平を確認してから握る。

「お噂はかねがね」

 と老人は言ってテーブルの奥に座る。

「さて、どのような情報をお求めで?」

「九年前、騎士団の従者が裏町で殺されました。犯人の情報を求めます」

 老人は眉を持ち上げた。

「ルークス卿が来られた。となると――なるほど」

 ため息をついて天井を見上げる。

「失礼ながら、真犯人はここいらの人間ではなく――」

「命じた人間の目星はついています。ただそこへ辿りつくには、実行犯からさかのぼる必要があるんです」

「なるほど。実に納得です。ルークス卿はお若いのにしっかりされている」

「ダータ爺さん、お世辞抜かしてないで、早く教えてさしやがれってんだ」

 サルヴァージが急かすも、老人はゆっくり語る。

「あれは――特別でしたな。戦争が始まってほどなく、ごろつき共のねぐらが新参者に奪われました。幸い戦争はすぐ終わりました。講和会議が城で始まったすぐ後で、身なりの良い人間が近くの小広場で殺されました。全身ズタズタで、集団に襲われたか、数をごまかすために刻んだかは分かりません。城から衛兵や騎士たちが来たので、被害者の素性は知れました。時を同じくして、新参者が姿を消しました。結局、何者か分からないままに」

「とんだ空振りだったな」

 とサルヴァージが鼻を鳴らした。

「新参者たちの特徴は?」

 とルークスは尋ねる。

「男が五人。元の住人も同じくらいの数の男たちでしたが、一方的に叩きのめされました。つまり腕利きです。言葉はパトリアでしたが、南部なまりがあるとの噂でした。私の記憶が確かなら――腐った海水の臭いがしました」

「船乗り?」

「さて、そこまでは。何分ここは内陸ですので。私も海から離れてかなりになりますし」

「南部なまりが噂なら、ここの人間と交流が無かったってことですか?」

「はい。不用意に近寄ると攻撃されるくらいで、遠巻きにしていました」

「敵国の間諜の可能性は?」

「そりゃもう、真っ先に疑いました。被害者含め役人に伝手つてがある者たちが通報しましたよ。ですが手入れは行われませんでした。ですので地域の顔役も手を出しかねました。彼らが間諜だとしたら、それは我が国の者だからです。敵国の間諜が潜り込まないか見張っていた、それが当初の見方でした」

「当初の? 今は?」

「殺されたのが騎士団の従者と分かったので『城内の内通者を殺すのが目的だった』と思っておりました。つい先ほどまでは」

「先ほどって――ああ、僕が来たからですか」

「はい。ルークス卿が来られた。となれば『あの従者は親御さんの事件に関与していた』と考えるしかありませんな。そして王城に巣くう真犯人と、あなたは対決しようとしている」

「その話は肯定できませんよ」

「これはこれは、随分と正直でらっしゃる」

 老人は腹を揺すって笑った。

「よろしいのですか?」

 あまりにルークスが不用意なのでフォルティスが心配になる。

「だって僕が現場に来た、それだけで用件は推測できるさ。僕は、それを肯定して事実にしなければいいんだ」

「ルークス卿は分かってらっしゃる」

 と笑う老人に、サルヴァージは顔をしかめた。

「その情報を与えたにしちゃ、収穫はほとんどなかったぜ。正直、紹介した俺が申し訳なくなった」

「そうでもありません。話を聞かせてもらって助かりました」

「なんで?」

「ほ?」

 傭兵だけでなく情報屋の老人も戸惑った。

「だって、事情通さえ推測しかできないくらい、敵は証拠を残さなかったんだ。それを知らなかったら、ありもしない証拠を探して時間を無駄にするところでした。ここは調べても無駄だ、と分かったのは収穫です」

「これは驚きました。今まで空振りを喜んだ客など一人もいません」

 上機嫌な老人にルークスは言う。

「これは別口の依頼になりますが、よろしいですか?」

「空振りを喜んでいただけましたから、勉強しましょう」

「僕が調べに来たことを探りに来た人は、確実に尻尾をつかんでください」

「あ……」

 老人は両目を見開き、傭兵はあんぐりと口を開けた。

「だって、どうせ目立つんだから、せいぜい利用しないと」

 と、ルークスは平然と「自らをおとりにした」と白状したのだった。


                  א


「何かあったらよろしく頼むぜ!」

 傭兵サルヴァージに見送られ、ルークスとフォルティスはゴーレム車で出発した。

「驚きましたよ。ルークス卿があれほどの観察眼をお持ちとは」

 フォルティスの言葉にルークスは首をかしげる。

「調べるときは目や耳を働かせるでしょ?」

「私が知る限り、あなたは他人に目は向けても注意を払いませんでした」

「学園で? なら理由は単純だよ。見ていなかった」

「――それはまた、どうしてですか?」

「だって、どうせ僕をバカにするか嫌がらせをするかじゃない。そんな人を見る必要なんてないから」

「そうでしたか」

 初等部の頃ルークスは「風精に好かれる変な男子」でしかなかった。

 ところが風の大精霊と契約したので、猛烈に嫉妬されるようになったのだ。

 そのグラン・シルフを脇にやってもゴーレムマスターになりたがったこと、その為に必須のノームと契約できなかったことで嫉妬の反動分、嘲笑の限りを浴びせられた。

 彼にとり、一部の例外を除けば他の生徒は敵も同然である。

 フォルティスは話題を逸らせることにした。

「あれほどの観察眼はどこで身につけたのですか?」

「それほどだった? 意識して見るのは、工房だね。アルタスおじさんがゴーレムに指示するやり方とゴーレムの動きは目に焼き付けたよ。ゴーレム大隊の駐屯地ではゴーレムの動きを覚えるくらい見たね。あとは、ゴーレム戦実技で相手を観察することは徹底した」

「なるほど」

 フォルティスにも心当たりはある。

 模擬戦でルークスほど、フォルティスの動きに注意を払える生徒はそういない。

 ただルークスは運動神経が悪く、目に手が追いつけず見るだけで終わっていたが。

 しかしそうやって観察眼を鍛えたからこそ、ゴーレムの挙動で次の動きが読めるようになった。

 新型ゴーレムは精霊たちの能力に、ルークスの知識と観察眼とが合わさって無敵となれたのだ。


 ゴーレム車は坂を登って貴族街に入った。

 王都の西、小高い地域に貴族の屋敷が集まっている。

 雨水が低い方へ流れるので道が綺麗になるし、平民地域から汚水が流れてこない。

 一番高い場所にあるのがプロディートル公爵の屋敷で、他を圧倒する広さがある。

 伯爵、子爵と爵位に従い斜面の下になり敷地も狭まった。

 騎士階級は外周部に庭のない館を建てて住んでいる。

 さらに下の家人階級は貴族の屋敷に住み込みで働くし、経済的に王都で屋敷は持てない。

 騎士であるインヴィディア卿の館は、一般的な騎士のそれより大きな三階建てである。

 玄関前にゴーレム車が止まっていた。車体に王宮精霊士室の扉にもあった紋章が描かれてある。

「今から登城かな?」

 厚い雲に太陽は隠されているが、そろそろ南中する頃だ。

 後ろにゴーレム車を止め、二人は下りた。

 玄関にやたら顔色が青い年配の守衛が立っている。フォルティスが用向きを告げると、守衛は悲しげに首を振った。

「申し訳ございませんが、主人は健康を損ねておりますので、お客様のお取り次ぎは致しかねます」

「今から登城じゃないんですか?」

 とルークスはゴーレム車を指した。

「城から部下の方がいらしたのです」

「部下には会えるのに?」

「それは――」

 玄関が開いて初老の男性が現れた。執事とのことだ。彼は二人を屋敷に入れた。

「なんだ、やっぱり会えるんですね」

 と言うルークスに執事は答えず、無言のまま先に立って歩く。


 階段を登った二階の部屋、天蓋のついたベッドを数名が囲んでいた。

 横たわっている老女の脈を取っているのは、ウンディーネである。

 王宮精霊士室で見た若い女性がこちらに向きなおる。

「先ほどインヴィディア卿は倒れられました。現在意識不明の重体です」

「まさか!?」

 フォルティスが声を発する隣で、ルークスは考えの浅さに歯がみした。

 敵に先を越されてしまったのだ。

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