惨劇の現場

 次の調査先へ向かう途中に、その部屋はあった。

 王城の廊下に同じデザインのドアが並ぶなか、一つだけルークスには暗く見えた。

「ルールー、恐い顔です」

 左肩でオムが言う。

 だが今のルークスには聞こえなかった。

 羊皮紙に書かれた報告書に目を落とし、扉を開ける。

 応接室の一つで絨毯が敷かれ、テーブルやソファーが綺麗に並べられていた。

 窓際まで進み、しゃがんで床に手を置く。

「ここで……父さんと母さんが……」


 両親の殺害現場である。


 九年前の惨劇などなかったかのように、今は掃除され家具も磨かれていた。

 報告書によれば「夜会から帰った部屋で刺客に襲われ、夫妻は落命した」とある。

 窓際で父が下になり、母が上に覆い被さっていたそうだ。

 ルークスは絨毯の上をなで回す。

 両親共に「背中の刺し傷が致命傷」との記述がルークスの心に暗い影を投げかけていた。

 父が部屋の奥にいたのは、部屋を点検したからだろう。

 通常ならともかく、警護で問題が発生していたのだ。

 ルークスが父の立場なら、入り口に母を残して一人で部屋を点検するはず。

 部屋はさほど広くなく、人が隠れる場所などそうない。

 カーテンの向こうか、家具の後ろか。

 調べればすぐ発見できる。

 当然父と戦闘になったはずだ。

 刺客がよほどの手練れでもなければ、職業軍人である父の背中に致命傷を与えるのは難しい。

 なにしろ単独犯なのだから。

 そしてそれほどの手練れなら、父の体の前側にも傷が無ければおかしい。

 現に衛兵は二人とも体の前側に傷を負っていた。

 背中だけ、それは不意打ち以外にあり得ない。

 そして警戒している現役軍人に背後から不意打ちできるほどの凄腕が、二人とはいえ実戦経験がない衛兵に負けるのも不自然だ。

 ましてやなぜ母まで殺さねばならないのか?

 父を殺した時点で刺客は目的を果たしている。

 目撃者を殺すにしても、直後に入ってくる衛兵より優先することか?

 実際その衛兵に殺されたので、目撃者を殺したことはまったく無駄になった。

 しかも入り口付近にいたはずの母がなぜ窓際にいた?

 父が刺されたので駆け寄る――否、父は母に逃げるよう言うはず。

 我が子を残して二人とも死ぬ選択を両親がするとは思えない。

 何から何まで不自然過ぎる。

 ルークスは公式見解を全て無視することににした。

 父の立場で部屋を点検するとして――両親が背中を刺される状況を推理する。

「!?」

 とんでもない事に思い至った。

 ルークスの胃袋がキリキリと締め付けられる。

「衛兵……死んだ衛兵二人の名前は?」

 と別の報告書を持っているフォルティスに尋ねる。

「ソルデス・エクス・プロムプツと、シカリウス・ド・イネルティアです」

「そのどちらかが、母さんの仇だ」

「まさか!?」

 ルークスは深呼吸をしてから、推理を口にした。

「警護に問題が起きたと知って、父さんは部屋を調べた。

 母さんを、入り口にいる衛兵に守らせ、部屋の奥に入った。

 そのときだ。

 父さんの後ろで、衛兵が母さんを刺したんだ。

 父さんは振り返る。

 その背中を、隠れていた刺客が刺した。

 毒が使われたから即死だったんだろうな。

 母さんは、最後の力で父さんの元へ歩いていって……ここで」

 絨毯を撫でていたルークスが突然嘔吐した。

「ルールー!?」

「ルークス卿!?」

「主様!?」

 オムに従者、さらに姿を消していたグラン・シルフがルークスに覆い被さる。

 フォルティスが背中をさするも、ルークスは何度も吐き戻す。

 胃袋の中身を全部出し、胃液しか出なくなってやっと嘔吐は止まった。

「今日はこれくらいにしましょう」

 肩を貸すフォルティスにルークスは首を横に振った。

「嫌なことを片付けないと、午後が台無しだ。それに、こんな顔をアルティに見せられないよ」

 家族に心配をかけるのは、ルークスにとって最大の禁忌だった。


                  א


 衛兵の詰め所は食堂も兼ねた広間で、テーブルが縦横三列ずつ並び、半分が埋まっている。

 ルークスとフォルティスは空いているテーブルの一つに案内された。

 中年の衛兵長からは、軍や騎士団でも聞いた公式見解しか聞けなかった。

 衛兵は五年程度で勤めを終えるとのことで、九年前の人間は一人もいなかった。そして退任後の消息も不明である。

「どうしてそんなに勤続年数が短いんですか?」

「希望者が多くて、順番待ちしている状態です。それに、長く勤めると癒着など腐敗の危険がありますから」

「それは他の文官でも同じですよね。他の文官も五年程度なのですか?」

「いえ。他の文官には、制限はありません」

「昔からの決まりなんですか?」

「今の制度になってからです」

「その制度はいつからですか?」

「たしか、八年ほど前です」

「ああ、事件が起きて慌てて決めたんですね」

「いやまさか」

 衛兵長は汗をハンカチで拭う。

 テーブルに置かれた証拠品は、埃を被った小剣と短剣のみ。実行犯の遺留品はおろか、被害者の所持品もなかった。

「これが無能ゆえだったら、まだ救いがあったのに」

 無意識にルークスは思考を口にしてしまい、青筋を立てるほど衛兵長を怒らせた。

「ルークス卿、それはどういう意味ですか?」

 甲高い声で問われ、やっとルークスは声に出したことに気付いた。

「ああ、言っちゃったか。まあいいや。証拠を捨てたり、台無しにしたのは、事件の真相を隠蔽するためでしょ?」

「言いがかりです!」

「これが意図的でないとしたら、衛兵は『重大事件の証拠を捨ててしまうほどの無能揃い』となります。でもそんな無能ばかりを、わざわざ選んで宮内が採用するとは思えません。無能でないなら、意図的以外にありませんよ。

 しかも当時を知る人が城にいないどころか、今どこにいるかも分からない。これはもう、九年前の事件を証言させないためとしか」

「それも言いがかりです!」

「王城で陛下の賓客が、しかも戦勝の英雄が殺された証拠がここまで残っていない、誰も証言できない。これだけ忠義に反する行為が揃えば、それは誰かの意思で行われた以外に考えられません。違うというなら、その理由を説明してください」

「それは、不幸な偶然なのです」

「それって救いがある方ってことですか? 宮内相以下の全員が無能という。となると、そんな人間を宮内相にした宰相もまた――」

「大臣の任免は女王陛下がされます。あなたの発言は陛下への侮辱ですぞ!」

 女王陛下の権威を利用した恫喝は、女王陛下の友達には通じなかった。

「陛下は不本意な人間を押しつけられて困っています。選択肢が与えられない状況がそもそも不敬です。で、あなたが言うように宰相以下全員が無能なら、そんな無能を陛下に押しつけた人が一番無能ってことになりますね」

への愚弄は許さん!!」

 ぶちギレた衛兵長が立ちあがりざま剣を抜いた。

 フォルティスが立ち上がったと同時に、衛兵長は突風に吹き飛ばされた。

 隣のテーブルを倒して転がる。

 居合わせた衛兵たちが席を蹴った。

 だが、ルークスたちを取り囲んだところで足を止めざるを得なかった。

 ルークスの頭上に風の大精霊が現れているのだ。周りの衛兵たちを睥睨する。

「主様に危害を加える者は、その短い命が尽きると知れ!」

 インスピラティオーネは大気を震わせて広間にいる人間を威圧した。

 シルフは見慣れた衛兵たちも、グラン・シルフの迫力には二の足を踏んだ。

 単にシルフより力が強いだけではない。

 契約者を守るとの明確な意思表示がされたのだ。

 しかも精霊が人間の生き死にに直接言及するなど、彼らは見た事もなかった。

 鋭い視線で睨みつけるが、グラン・シルフは怒りなどの感情を露わにしていない。

 逆にそれが「人命など簡単に奪える」と言っているようで、衛兵たちは萎縮した。

 ルークスはマイペースにグラン・シルフに問いかける。

「インスピラティオーネ、この人は嘘をついた?」

「はい。偶然というのは真っ赤な嘘です」

 衛兵たちがざわめいた。

 精霊は嘘をつかない。嘘を嫌う。精霊の前で嘘をつけば見抜かれる。

 それがこの世界の常識なのだ。

 ルークスは倒れたままの衛兵長に目を転じた。

「事件は隠蔽された、そうですか?」

「私は何も聞いていないし、何も知らない」

「聞いていないのは本当のようです、主様。しかし『知らない』は嘘です」

 周囲がどよめく。

「だよね。下っ端に陰謀を教えるほど、この人の主人は間抜けじゃない。その主人は事件の全てを知っていて、その程度も分からない人を衛兵長に据える間抜けでもない。つまり衛兵長は『主人の祖国への裏切り』を知っていたのに陛下に隠していたわけだ」

 反論しようとした衛兵長だが、グラン・シルフの前なので口をつぐみ、立ち上がるだけにした。次の言葉をルークスが発するまでは。

「これで衛兵が陛下の敵だとはっきりした」

「そ、それは言いがかりだ! 我々は宮内相の部下で陛下の臣下なのですぞ!」

「祖国への裏切りを知っているのに陛下に黙っている。なら裏切りの共犯者でしょ。事後共犯ってやつ?」

「それは――証拠がないので……」

「事件を隠蔽をした誰かを悪く言ったら、陛下の命令で事件の調査をしている陛下の騎士に剣を抜いた――それってあなたの忠誠が陛下ではなく、その誰かに向けられているからでしょ?」

「わ、私は女王陛下に忠誠を誓った!」

「誓ったときはそうだったとしても、今は陛下以外の人に忠誠を向けているんでしょ?」

「ち、違う。私は今でも陛下に忠誠を向けている」

「主様、今のは嘘です」

 即座に嘘を見抜いたグラン・シルフに、衛兵長は反論する。

「――せ、精霊とて間違えることもある。私は、陛下だけに忠誠を尽くしている」

「今度は嘘ではないようです」

「だろ? 私は忠臣なのだ」

 ルークスは違和感を覚えた。

「あなたの言う陛下は、フローレンティーナ女王陛下?」

「ほ、他にいるわけがなかろう」

「嘘をつきました」

 インスピラティオーネは一言で切り捨てた。

 絶句する衛兵長にルークスは頭を振る。

「あなたが忠誠を向ける誰かさんは、仲間内で自分を陛下と呼ばせているの? どこまで俗物なんだ」

「き、貴様!」

「そのの名前、言ってみようかな? 否定してくれれば答え合わせができる」

 蒼白になった衛兵長は立ち尽くす。

 ルークスは取り巻く衛兵たちを見回した。

「フローレンティーナ女王陛下にのみ忠誠を向けていることを、グラン・シルフに誓って言える人、います?」

 期待せずに尋ねたが、誰も名乗り出ないのでルークスの背筋が寒くなった。

「本当に陛下は敵に囲まれていたんだ。先に騎士団の詰め所に行っておいて良かったよ。もう衛兵に身辺警護をさせるわけにはいかない」

 衛兵たちが悲鳴をあげた。

「伝統ある我らを差し置いて騎士団に!?」

 これにはルークスも驚いた。

「たった今、陛下への忠誠を否定した人たちが何を言っているの?」

「忠誠を、精霊に誓うなど前例がありません!」

 叫ぶ衛兵の一人にルークスは言い返す。

「衛兵が国王以外の誰かに忠誠を向ける前例ならあるの?」

「――」

 その衛兵だけでなく、他の者も口をつぐんだ。

 グラン・シルフが言ったように、精霊の前なので発言に慎重になったのだ。


                  א


 予定では三箇所だった調査対象が、一箇所増えた。

 衛兵を治療できなかった王宮精霊士室長のインヴィディア卿から話を聞かねばならない。

 だが急な訪問のためか、室長は不在だった。出かけたのではなく、登城していないとのことだ。

「あの高齢で山岳地での迎撃指揮、無理が祟って体調を崩され、昨日の式典もやっとだったそうだ」

 年かさの男性精霊士が説明する。

 部屋の入り口でルークスたちは立ち話していた。室内は書類でごった返しており、座るどころか入る場所にも困るほどだ。数名いる室員たちは書類の間に見え隠れしていた。

 そのため扉を開けた戸口で立ち話である。

 接待されたいわけではないので、ルークスは気にしないが。

「ここで一番の古株は誰ですか?」

「私だ。もう七年になる」

「たった? 僕が学園にいる期間より短いですね」

「ここは精霊が関わる事柄の記録が中心だから。研究など何かしたいことがあるなら、王宮工房なり研究機関なりに行かねばならない。その伝手を得れば、長居することもないのだよ」

「ああ、なるほど。それはつまらない」

 事務仕事が延々と続くなんて、ルークスには耐えられない。

「だからインヴィディア卿が長年勤められるのは尊敬に値するのだ」

「それって単に、何かしたいことがないってだけじゃないんですか? あるいは王城に勤めるのが目的とか」

「ルークス卿、お控えください」

 フォルティスが止める。

 ルークスの歯に衣着せぬ発言に、他の室員までもが手を止めこちらを見ていた。

「ああ、また言っちゃったか。でもグラン・ウンディーネと関係悪化させたままでいるのは、無理に仲直りしないでもいいからでしょ? やりたいことがあるなら、さっさと謝るはずですよ。だって破綻までは行ってないでしょ? 敵ゴーレムを阻むためなら力を借りられるんだから」

「さあ。聞いた限りでは召喚に応じないとのことだが」

「それじゃあグラン・ウンディーネの力を借りられないかもしれないのに、陛下に『敵を防いでくる』なんて言って出たんですか? それって、敵の侵略を手助けしたことになりかねませんよ」

 室内の空気が凍り付いた。

 年かさの室員はルークスたちを部屋に入れ、扉を閉めた。

「め、滅多な事は言わないでください」

「何言っているんですか? グラン・ウンディーネの力を借りられないのに『ゴーレムを阻止する』なんて言って少数しか迎撃に向かわず、敵が迂回しなかったら突破されたんですよ? 自分の能力を水増ししたせいで敵の侵攻を許したら、利敵行為も同然じゃないですか。逆に、侵略を手助けするために使えないグラン・ウンディーネを『使える』と言ったなら、筋は通りますが」

「そ、そんなことはありません」

「ですから、グラン・ウンディーネの助けは得られないといけないんです」

「そこまでは我々には……インヴィディア卿からは『戦傷者の治療でグランウンディーネを酷使したため、以後召喚に応じてもらえなくなった』と聞かされただけで」

「それも変な話ですね。精霊は力を行使したいものですよね? 逆に僕は力を使わせなさすぎて大変な事になりました」

 ノンノンを失ったと思ったあの時を思い出すと、今でも背筋が凍る。

「精霊の手に余るなら、単純にできないだけ。怪我人の治療なんてまさにそれですよ。力が及ばないなら助けられないだけ。人間の生き死になんて精霊からしたら『ただでさえ短命なのがさらに縮んだ』程度ですよね。グラン・ウンディーネが何人治療したか知りませんが、怒った理由は力を使わせたことではないはずです」

「で、ですが――」

「あ!」 

 いきなりルークスが大声をあげたので、室内の全員が息を飲んだ。

「僕の両親を殺した犯人と戦った衛兵二人が、グラン・ウンディーネに治療されている。その時点じゃ戦争も終わって戦傷者の治療も済んでいたはずだ。時系列がおかしい。本当にグラン・ウンディーネは、戦傷者の治療のさせすぎで怒ったんですか?」

「そ……それは本人に聞きませんと」

 部屋にいる誰も答えられない。

 収穫が無いどころか、新たな疑問点が出てきた。

「インヴィディア卿がいつ出てくるか分かりませんので、これは質問事項として後日回答をいただきます。グラン・ウンディーネから」

「え!?」

「真実を知るには、治療に当たった精霊に聞くのが一番です」

「お、王宮精霊士室長を信じないのですか?」

「精霊は正直ですが、人間は嘘をつきますので。それに、この城には忠誠を女王陛下以外に向けている人が多数いると判明しました」

 考えてみれば、ここの人間たちも文官に該当する。

 青ざめている精霊使いに、精霊の前で忠誠先を聞いてやりたくなるルークスだった。


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