騎士として

 フローレンティーナ女王と別れたルークスとフォルティスは、騎士団の詰め所へと向かった。

 廊下でルークスは上を向き、虚空に向かって話しかける。

「インスピラティオーネ」

 すると頭上に女性が姿を現した。半透明で背中に透明な羽根を生やしている。

 風の大精霊グラン・シルフである。

「お呼びですか、主様」

「あの二人は嘘をついていた?」

「普段の人となりを見ていないので確証はありませんが、嘘はついていないようでした。敵意も悪意も感じられませんでしたし。ですが、隠し事はしているかと」

「それは分かった。で、それを確認しに行くんだ」

「精霊がいると、人は発言に注意深くなります」

「うん。だから君には姿を消してもらったんだ」

 シルフは空気に同化して姿を消すことができる。消えたままで見たり聞いたりできるし、話せもする。風を操ることも可能だ。

「ですが主様、我が消えてもオムがいては意味がないのでは?」

「あ……」

 ルークスは左肩のノンノンに手をやる。

 いつも左肩にいるので、ルークスにとっては肉体の一部みたいなものだった。

 言われてやっとノンノンも精霊であることを思い出すくらいに。

「そうか。ええと」

 キョトンとしているオムに言う。

「ノンノンが同化できるのは、土だけ?」

「そうです」

 同じ土精でもノームならどんな固体とも同化し姿を消すことができる。下位精霊のオムにはまだそれができないのだ。

「仕方ない。部屋の前で待っていてもらおう」

「分かったです」

 とオムの幼女は敬礼した。


 騎士団の詰め所前でフォルティスは深呼吸した。

 父との関係が破綻するやもしれないのだ。

 ヴェトス元帥も認めたように、父が陛下を裏切るとは考えられない。

 だがルークス卿とは同格の騎士同士。

 レークタ夫妻暗殺事件について公にできない理由がある場合、騎士団は調査に協力しないだろう。

 その場合、自分はどうするか。

「あれこれ考えるより行動しよう」

 ノンノンを床に下ろしたルークスは、フォルティスの堂々巡り思考を中断させて入室した。


 壮年のフィデリタス騎士団長はヴェトス元帥より長身だった。

 濃い金髪で灰色の目、三角巾で負傷した左腕を吊っている。

 リスティア迎撃戦でのパトリア騎士団の奮戦ぶりは、二百騎のうち八割が死傷したとの数字が全てを物語っていた。

 通常、部隊の三割が死傷すれば戦闘力を失い、記録上では全滅扱いされる。

 それが無傷が二割しかいない状態で作戦行動を継続し、敵の総大将を捕らえるまでしたのだ。

 ゴーレム関連で戦史を読みあさったルークスも、ここまで戦った部隊は知らない。

 士気、練度ともに大陸一の精鋭であろう。

 それだけに、敵に回したら恐ろしい。

「まずは叙任祝いを、ルークス卿」

 握手をする際、騎士団長は僅かにも視線を逸らさなかった。

 ルークスの全てを見通すかのように見つめてくる。

 それがルークスに分かるのは、無遠慮に相手に視線を据え続ける癖があるからだ。

 相手に失礼ではあるが、敵意とか威嚇とかではない。

 視線を逸らすと、そちらに注意まで逸れてしまうからだ。

 そしてルークスは注意が逸れると、それまでの記憶が頭から押し出されて消えてしまう。

 相手からしたら、会話中に突然脇見されて存在を忘れられてしまうのだ。

 これほどの失礼はなく、過去に何度話し相手を怒らせたことか。

 そのため「無遠慮に視線を向け続ける方が失礼が少ない」とルークスは学び、以後そうしている。

 一方で騎士団長がルークスから視線を外さなかったのは、ルークスの人となりを見極めるためと、息子に視線がいかないようにするためだ。

 騎士団長としての務めを果たすと決めている。

 だがそれは、父親であることを諦めることを意味していた。


 ルークスの来訪は前触れが来ており、資料がテーブルの上に並べられていた。

 騎士団長は資料を見ることなく概要を語るが、軍で聞いた内容と同じだった。

 テーブル上には書類の他、薄い箱。入っていたのは血まみれの羊皮紙である。

「これが遺書?」

 ルークスは文面に目を通した。


『パトリア王国フローレンティーナ・アマビーリア・ド・ジーヌス女王陛下へ


 日頃陛下のご厚情を賜りながらも、此度の不始末、慙愧に堪えなく候。

 全て自らの不徳が致す所にて、騎士号の返上をもってお詫びいたす所存。


         天歴九百二十九年九月十三日。 マーティア・エクス・モリ』


 読み終えたルークスは尋ねた。

「これを遺書と判断したのは誰ですか?」

 騎士団長は怪訝な顔をした。

「それが遺書に見えないのかね?」

「詫び状にしか見えません。不始末のお詫びに騎士号を返上するという。騎士が自殺する際、作法とかありますか?」

「そのようなものは無いな」

「城壁から身投げしたとのことですが、抱えていたので血まみれになっています。下手をしたら読めなくなっていたでしょう。城壁に残しておけば血まみれは避けられましたね」

「故人の考えを論じても始まるまい」

「墜死者の遺体を漁ったら詫び状があった。だから遺書にした。そう考えた方が筋が通ります」

「憶測で申すのは感心せぬな」

「自殺も憶測では? だって事件の最中に警備責任者が自殺なんて、おかしいじゃないですか。遺書を抱えて飛び降りるのも変だし、文面からは詫び状にしか見えない。『騎士団長も暗殺された』と考える方が自然だと思います。自殺と言われて、騎士団の誰も不自然に思わなかったんですか?」

 騎士団長はため息をついた。

「誰もいなかったわけではない。しかし騎士団長は自害した、そう結論は出たのだ」

「その結論は誰が下したのですか?」

 フィデリタス騎士団長は目を閉じた。

「言えない、となるとそんな人はプロディートル公爵くらいですね」

 騎士団長は目を開けなかった。緊張が全身を走ったが、ルークスの目では判別できない。

「第一発見者は公爵か、その手下でしょうね。筋書きは多分こう。当時の騎士団長は僕の両親を死なせた不始末に、詫び状を書いて陛下の元へ向かった。途中で公爵に呼び止められた。両親の控え室を変えるよう助言したのも彼でしょうね。で、彼に従い城壁を登ったところで待ち伏せていた人間に不意を打たれ、突き落とされた。死体を漁った彼らは詫び状を見つけたので、それを遺書にした」

 騎士団長は息をついて目を開けた。

「全て憶測ですな」

「でも自殺も憶測ですよね? 僕の憶測は否定して、公爵の憶測は鵜呑みにする。それは構いませんよ。問題は、公爵の介入を陛下に隠したことです。それでは騎士団の忠誠は陛下ではなく、公爵に向けられているとしか言えませんよね?」

「それも憶測だ」

「おかしいですよ。僕と同じく陛下の直属の騎士なんですよね? 陛下に忠誠を尽くしているなら隠し事をするなんておかしいじゃないですか。当時は幼かったにせよ、もう成人しているんですよ?」

「志は同じであれど、立場により見える風景が違うものだ」

「騎士団と軍とでそれほど立場が違うんですか?」

 初めて騎士団長の鉄壁の守りに亀裂が入った。表情は変えなかったが、ルークスの目にも緊張が見て取れた。

「ヴェトス元帥のお部屋にお邪魔した際、実は陛下も一緒でした。その足でこちらに向かおうとしたとき、元帥は陛下を止めました。『陛下に責められたら追い詰められてしまう』と。彼はあなたを友達だと思っているみたいですが、あなたはどうなんですか?」

 騎士団長は無言のままだ。

 ルークスは質問を変えた。

「あなたたちが仕えているのは、フローレンティーナ・アマビーリア・ド・ジーヌスという人物ですか? それともパトリア王という概念ですか?」

「それは、何を意図した質問かな?」

「僕なら迷わず前者です。僕は友達だから陛下の騎士になったのであって、パトリア王に仕えたかったのではありません。もし彼女が退位して別の誰かが王になったとしても、フローレンティーナという人物の騎士であり続けます。次のパトリア王になんて仕えません。でも騎士団はそうじゃないから、次の王に遠慮して今の王を軽んじて――」

 一瞬、騎士団長の目の色が変わった。だが彼は衝動を抑えきる。

 その変化に気付かずルークスは続けた。

「――国土と国民を半分も他国にくれてやる逆賊に従うことが忠義とは思えません。そんな真似をした人が君主になったらこの国は終わりますよ。騎士団は次の王のことは考えても、そのあと国が亡くなる心配はしないのですか? だって国の半分も取られる間抜けですよ? そんな人、それこそ事故でも起きて、王位継承権が次の人に移った方が良いと思います。次が誰であれ」

「ルークス卿、その発言はあまりに危険だぞ」

「今さらですね。僕は両親を殺されています。実行犯は口封じされ、共犯者はのうのうと生きています。手引きしたのは衛兵か、その上にいる人ですよね? それ以外に実行犯に両親の部屋を教えられるのは、騎士団だけです。警護の騎士二名に控え室変更を伝えなかった従者が殺されましたが、騎士団の見解は?」

「犯人が分からぬ以上、理由は不明だ」

「なるほど。少なくともこの城には僕と陛下、双方の敵がいます。二度に渡って敗戦の責任で陛下を退位させられなかった人は、今度は陛下の命を狙うかも知れません。そのとき衛兵は陛下を守るでしょうか? 陛下も元帥もそれを危惧しています。陛下をお守りするには、城に軍を入れるしか――」

「陛下の玉体は騎士団が必ずお守りいたすゆえ、その危惧は無用だ」

「相手が衛兵やその上の人でも?」

「当然だ。何人なんびとたりとも陛下に危害を加えることは許さない」

「刺客が公爵自身であっても?」

「例外はない」

 即答した。

「それを聞いて、ひとまずは安心しました」

 ルークスは傍らに控えたままでいるフォルティスに目を向けた。

「何かない?」

「いいえ。私情は挟みません」

「いいよ、挟んで。というか挟んでよ。親子なのに情を挟まないなんておかしいでしょ」

 ルークスの顔をまじまじと見たフォルティスは、諦めてため息をついた。

「分かりました」

 父親に向きなおる。

「幼少の頃より教えられた騎士の心得、すなわち忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕、それらを私は励んできたつもりです。その忠誠が向けられる先は、父上も騎士団の誰もが女王陛下のみで、他の者へ向けられることはないと信じて良いのですね?」

「無論だ」

「では何故、祖国を裏切った背信者を放置しているのですか?」

 騎士団長の顔が強ばる。

「その者一名討つだけで――」

「フォルティス、お前は国家運営についての勉学が不足しているようだな」

「――それが何の関係が?」

 フォルティスは戸惑った。

 その隣でルークスは理解はできないまでも納得はした。

「ああそうか。つまり裏切り者を始末できない理由があるんですね? 何か弱みを握られていて」

「え?」

 フォルティスは驚いて振り返るが、ルークスは騎士団長の反応を見続ける。

 無言のまま表情を変えずにいる。

 しかしそれで十分だった。

 答えられない、それが答えだから。

「調査にご協力ありがとうございました。陛下の身辺警護は今日にも始めてください。僕は僕で精霊に守らせますから」

「王城に無断で精霊を?」

「無断じゃありません。王城のあるじである陛下の許しを得ています」

「なるほど。では騎士団からは何も言うことはない。陛下の御身は騎士団の残り全員の命を捨ててでもお守りする」

「それほどの覚悟を、どうして陛下に隠すんですか?」

 ルークスの質問に騎士団長は首をかしげた。

「これは異なことを。隠すどころか、騎士団として常に表明しているが」

「人間には建前と本音がありますよね? 建前でいくら言ったところで、信じてはもらえませんよ」

「陛下をお守りする、それは騎士団の存在理由である」

「それは建前でしょ、組織の」

「何?」

「本音はあなたの気持ちです。組織がどうあれ、あなたがどうかは別の話です。騎士団そのものが問われている以上、騎士団長としての発言では信じてもらえません。陛下が信じるのは――ええと、君の父さんの名前なんだっけ?」

 新前騎士は新前従者に聞いてから向きなおる。

「フィデリタス・エクス・エクエスがフローレンティーナ・アマビーリア・ド・ジーヌスを守るかどうかです。ああ、最初に言っていた内容にやっと戻ってきた。僕は騎士であるかに関係なく、ルークス・レークタとしてフローレンティーナを守ります。だって九年間その為に頑張ってきたんですよ。友達だから」

 フィデリタス騎士団長は深く息を吐いた。

「なるほど。貴殿の言い分をやっと理解した。地位や肩書きに伴う務めゆえに守る、では信に足らぬのだな」

「だって地位や肩書きに伴う務めを果たさない人たち、に囲まれている女の子なんですよ?」

「しかし騎士団長として――」

「殺された騎士団長は、僕が陛下の部屋に侵入する手引きをしました。それって騎士団長としての務めに反していますよね? 彼は肩書きに伴う務めより、一人ぼっちの女の子に友達を作る方が大切だと考えたわけです。そんな人だから陛下の信頼を得たんじゃないですか?」

 頭を殴られたような衝撃に襲われ、フィデリタス騎士団長は目を見開いた。

 息を止めたまま、少年の言葉を胸中で反芻する。

 自分が、融通がきかない堅物だったことに今気が付いた。

 否、気が付かされた。

 自分は騎士団として、騎士として主君に不足無い忠誠を捧げてきた。

 だが幼い頃から多感な今へと続く少女を相手に、自分は何をしてきたろう?

 彼は吐息とともに深く頭を垂れた。

「どうやら私は、亡きマーティア卿の域には遠く及んでいなかったのだな」

 たとえ武で追いついたとしても、主君の守護者としてまるで足らなかった。

「ルークス卿、気付かせてくれたことに感謝しよう」

 そして彼は父親の顔になった。

「フォルティス、ルークス卿に教えるだけでなく、ルークス卿から教わりなさい」

「は、はい、父上」

 思い詰めていたフォルティスの顔が、やっと明るくなった。

「それじゃあ、陛下をお任せしましたよ」

 そう言ってルークスらは騎士団の詰め所を後にした。

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