ルークスの決断

 夜明け前の鐘に、二日連続でフェルームの住民は叩き起こされた。

 前日より激しく乱打される鐘は、状況がより逼迫している事を伝えた。

 ルークスは起きるやすぐインスピラティオーネに状況を尋ねた。シルフは役人より早く、新たな侵略を教えてくれた。

 戦闘ゴーレムが二十基、兵二千人が西から来る。こちらはグラン・シルフの援護は無い。

 だが戦闘ゴーレムを全て北に送ったパトリア王国には、これを防ぐ戦力が無い。

 西の国境からフェルームの町まで、ゴーレムなら一日強。もう一日あれば王都に行ける。

 ルークスは覚悟を決めた。

 食卓に集まったフェクス家の皆に状況を説明したあと、彼は言った。

「僕が防いでくる」

 アルタスは低く唸り、パッセルは大声で泣きだした。

「ダメよ!! 絶対にダメっ!!」

 アルティが席を蹴ってルークスの両肩を押さえた。

「一人で行ってどうするの!? たった一基のゴーレムで!? 相手は二十もいるのよ!?」

「風の大精霊が戦場を支配するから、防げるよ」

「向こうは歩兵だっているのよ! 見つかったら殺されちゃうわ!!」

「そりゃあ、戦争だから死ぬ時は死ぬよ。この町にいてもね」

「ねえ父さん、止めて!」

 娘に頼まれたが父親は首を振った。

「鎧ができるまでは止められると思っていたが」

 時間稼ぎのつもりだったが、一日稼ぐ前に敵が別方向から来てしまった。

「ねえルークス、逃げよう。父さんの実家がある南へ行けば、敵も来ないわ」

「ドゥークス・レークタの息子をリスティアが見逃す訳ないよ」

「あ……」

「ましてや風の大精霊と契約しているんだ。草の根を分けても探すはずだ」

「でも、隠れれば……」

「そうしたら、真っ先にフェクス家が探される。だから、僕は居所をハッキリさせなきゃ」

 アルティは言葉を失って途方に暮れてしまう。

 長女が消沈するのを見てテネルが言った。

「さ、食事にしましょう」

「母さん、そんな事を言っているときじゃ!」

「皆で一緒にする最後の食事になるかも知れないのよ。あなたも座りなさい」

 口答えできず、アルティは腰を下ろした。テーブルに涙が滴り落ちる。

 テネルがパンとスープを配膳する。チーズも追加された。

 食前の祈りをアルタスが捧げる。

「天の神と地の精霊よ、祈りの言葉を聞き給え。大切な家族を、どうかお守りください」

 食事が始まると、アルタスはルークスにチーズを余計にやる。

「腹が減っては力が出ん。しっかり食べろ」

 両親があまりに落ち着いているのが、アルティには我慢できない。

「ねえ、皆はそれで良いの?」

「ルークスが言い出したら聞かないの、あなたも知っているでしょ?」

 テネルが言った事はアルティも知っているが、納得できなかった。したくなかった。

 何故ルークスは危険な事をしてしまうのか?

 何故ルークスがそうせざるを得ない状況になったのか?

 何故ルークスを助ける力が自分には無いのか?

 悲しみよりも理不尽さ、悔しさがアルティをさいなみ、涙が止まらなかった。


                   א


 白み始めた空の下、ルークスは精霊たちと粘土山でゴーレムを作り、工房へ歩かせた。鎧を体に通してから膨らませると、留め具を閉める必用が無い。

 昨日、体を縮めて鎧をすり抜けて外したので、留め具はそのままなのだ。

「鎧を着けて、武器を持っていくとして、僕はどうしよう?」

 ゴーレムコマンダーは随伴兵に守られゴーレム車で移動するのが基本だ。

 しかしゴーレム車どころか馬車も無い。もちろん随伴兵もいない。

 アルティが言うように、敵兵に見つかったら殺されてしまう。

 それ以前に、徒歩では移動が遅すぎて、会敵が町のすぐ近くになってしまう。

 できるだけ国境付近で、町々が攻撃される前に向かえ撃ちたい。しかしゴーレムの歩行速度で移動する手段が、ルークスには無かった。

「あ、そうか。ゴーレムに運んでもらえば良いんだ」

 ゴーレムの速度で移動する一番簡単な方法は、ゴーレムに乗る事ではないか。

「乗る?」

 乗っているときはゴーレムに触れているのだから、意思伝達は即座にできる。それに、ゴーレムの状況が一番良く分かる。

 とはいえ敵のゴーレムに叩かれるから、戦闘が始まる前に隠れねばならない。だが下手に隠れるとゴーレムの状態が分からなくなるし、敵兵に見つかる危険が常にある。

 鎧に手足と胴を通したゴーレムが膨れ、普通のゴーレムと同じ姿になった。中身が空っぽだからできる芸当だ。

「あ……!!」

 絶好の隠れ場所が、目の前にあった。

 ルークスの脳が限界まで活性化して、その思いつきを検討する。ただ隠れるだけじゃない。今まで行き詰まっていた難問の数々が、次々と解決してゆくではないか。

 敵兵に見つかる心配はない。

 意思伝達は即座にできる。

 今まで頭頂部に貼り付けていた呪符も完璧に守れる。

 状況把握ができるかはこれからの課題だが、考えるほどに名案だ。

 できるかどうか、試すしかない。

「皆、ちょっと良いかな?」

 ルークスは興奮しながら、ゴーレムに触れて自分の思いつきを提案した。

「これなら、一番良いと思うんだ。どうかな?」

「良き考えです。それなら我らも主様を守れます」

 インスピラティオーネは次いでリートレとノンノンの賛同も伝えた。

「良し、やろう」

 ルークスは決断をした。


「ゴーレムの、中に乗るんだ」


 ゴーレムの中に入るにしても、穴を空けたら空気が吹きだしてしまう。

 水の重さを圧縮された空気で支えているのだから。

「頭だけなら水で支えられるとの事です」

「なら頭に入ってみよう」

 ゴーレムは兜を外した。そして首に仕切りを作って胴体と分離し、頭をクルミの様に割って開いた。

 ゴーレムの手で頭まで運ばれたルークスは、高さに怯えつつ、頭の殻の中に入る。立ったままでは収まらないので、膝を抱えて座った。

 殻が閉じ、中に閉じ込められる。

「一応ゴーレムの中に入れたけど、この狭さじゃすぐ息が詰まっちゃうね」

 それに窮屈だ。頭の大きさを二倍にしないと楽にはなりそうもない。

 首とのしきりに穴が空き、胴体から空気が猛烈な勢いで吹き込んできた。

「なるほど、空気はこれで――」

 全身が押しつぶされる感覚に襲われ、肺の空気が絞り出された。耳と鼻に激痛が走ったのを最後に、ルークスの意識は暗闇に落ちた。

「主様? 主様!? リートレ、主様を外に出せ!!」

 リートレは首の仕切り穴を塞いで頭を開いた。破裂するように頭が開き、ルークスは外気に出たが意識が戻らない。

 ゴーレムはルークスを下ろして泥水に戻った。鎧が転がる。

 泥水から飛び出たリートレがルークスに駆け寄る。

 鼻と耳から出血している。息はしていない。鼓動が危険なほど早まっていた。

「主様はどうされたのだ!?」

 取り乱すグラン・シルフに、リートレもパニックのまま答える。

「分からない! こんな事初めて! 息が止まっているから、肺に空気を送って!」

「承知」

 インスピラティオーネはルークスの顎を上げ、口を開けて風を肺に送り込み、また引き戻すのを繰り返す。

「ルールー!? ルールゥー!!」

 小さなノンノンは一生懸命走ってやっと友達に辿りつき、すがった。

 呼吸は回復させ、鼓膜と副鼻腔が傷ついている以外は無事で、治療はすぐできた。

 しかし原因が分からず精霊たちは恐怖に震えた。


 どの精霊も「人間は急激な気圧変化に耐えられない」事を知らなかった。


 幸い、呼吸が止まったので減圧症は避けられたし、加圧時にしゃべっていて空気を吐く状態だったで肺も潰れずに済んだ、という事情も精霊たちは知らない。

 ルークスの意識が戻らないので気を揉むばかりだった。

 まさか自分たちが友達を死なせてしまうなどとは、思ってもみなかった。

 呼吸が乱れ、咳き込んだ弾みにルークスは目を開けた。

 意識が濁る中、精霊たちが覆い被さって彼の生還を喜んでいるのがぼんやりと見えた。

 次いで聴覚が戻ったが、どうも聞こえが悪い。

「何があったか、覚えておりますか?」

 二度聞き直してやっと分かった。

「全身が押し潰されそうになって、水に潜ったときみたいな、息が絞り出されて、猛烈に耳と鼻が痛くなったんだ」

 要領を得ない説明だったが、リートレには理解できた。

「水圧と同じだわ。空気でもあるのね」

 浅い場所にいる魚をいきなり深海に移したら、急激な水圧の上昇により浮き袋が潰れるなどして死んでしまうのだ。

「そうか。空気を圧縮すると、気圧が高まって、それで押し潰されたのか」

 ルークスはそれで納得したが、治まらないのはインスピラティオーネだ。

「その様な事が起きるとは……」

 風精は「気圧が高い」環境をまったく知らないのだ。

「命が危うくなるほど気圧が高い場所など、風が吹く範囲には存在しません」

 大精霊をしても気圧に関しては「空気が少ないと低くなり、生き物が呼吸に苦しむ」程度の知識しか持ち合わせていなかった。

 だから問題の原因が気圧の「高さ」ではなく「急激な上昇」とは思いもよらない。

「主様、この様な事態になりまして、我は何とお詫びをしたら良いか」

「別に君が悪いわけじゃない。初めての事をするんだから、初めての事は起きるさ」

 ルークスにとって未知は日常である。世の中は未知に満ち溢れているから、知るのが楽しいのだ。

 だがインスピラティオーネにとって空気は、全てを知っているはずの物であった。未知な面、しかも主の生命に関わってしまう面を知らなかったので、驚愕のあまり狼狽していた。こんな混乱状態は、シルフから上位精霊に上がって以来、初めてだ。

 そんなグラン・シルフを差し置いて、ルークスは脳が動きだすや問題解決に乗り出した。

「頭だとさすがに狭かった。入るのは胴体が良いな。でもどうやったら圧力から逃れられるだろう?」

「主様、まだやられるおつもりなのですか?」

「そりゃそうだよ。圧力さえ何とかすれば良いんだから」

「しかし、我は安全を保証できませぬ」

「僕らはこれから戦うんだよ? この程度で怖がっていちゃできないよ」

「――分かりました」

 風の大精霊は自制し、不安を脇に押しやった。

「圧力を通さない殻を水で作れば良いんだわ」

 リートレは前向きだ。

 万一があった場合、治療できる点が他属性との違いである。それに友達を危険にしたのは空気であり、それを防げるのは水なのだ。

 ゴーレムの主要機能を担っているのはリートレなので、彼女の主導で問題解決の実験は始まった。

 精霊たちはまず自分たちだけでゴーレムを作った。背中にコブを作って殻にし、内部を外気圧にしたまま体内に取り込む。

 これは成功して、内部は外気圧のままだった。

「じゃあ、入ってみよう」

 ゴーレムの背中から出た殻にルークスが入ってから、再び胴体に取り込む。

「大丈夫。苦しくない」

 精霊たちが安堵する間も無いうちにルークスは言った。

「これで問題は解決できたよ、ありがとう。次の問題点は、外の状況が分からない事だ。どうしたら見たり聞いたりできるようになるかな?」

 これから戦いに行くのにまだ戦える状態にないので、ルークスは焦っているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る