権力を持つ者

 神学教師が黙ったのでルークスはサラマンダーに目を転じた。

「ねえシンティラム、どうしたらアルティと仲直りしてくれる?」

「裏切り者なんて知らないね」

「シンティラム、君も知ってのとおり、アルティは精霊の事をあまり良く知らない。だから学園で教える事が正しいと思い込んでいるんだ。でも君の説明で彼女も『間違っているのは学園の方だ』と理解したよ。ねえ、アルティ?」

 問われて彼女はうなずいた。

「なら、もう校則は押しつけないね?」

「で、でも……」

「校則を守る限りシンティラムは戻らないし、他のサラマンダーも契約に応じないよ。だって彼らに一番嫌な事を強いるんだ。それも意味も無く」

「意味はあります! 勝手に力を行使する精霊は危険です!」

 なおも抵抗する神学教師にルークスは言った。

「人間と契約していない精霊なんてどこにでもいますし、勝手に力を行使していますが、それは良いのですか?」

「良いはずがない! 現に、嵐や火事で人が亡くなっているではないか!」

「火事の原因はおおかた火の不始末だし、嵐による犠牲を神殿は『神のお召し』と言っていますよね?」

「だ、だから……人間が精霊を管理すれば、犠牲が減るではないか」

「それって人間が全ての精霊を管理するって事ですか? そんな真似ができると?」

「それが精霊使いだろうが」

 ルークスは再度、相手が無知蒙昧であると認識せざるを得なかった。

「精霊の総数は人間より遥かに多いし、人間がいられない場所にも大勢います。どうやって管理するんですか?」

「まずは、集めて、その場で人間が主人であると教えるのだ。その後精霊たちに、役割に従い指示をくだす。難しい話ではない」

 いかにも簡単そうに言うので、ルークスは心底呆れた。

「一人の精霊使いが一億人以上の精霊を管理できると?」

「え――?」

 案の定、アドヴェーナは目を丸くした。

「精霊の総数なんて多すぎて誰も知りません。木々の一本一本にも精霊がいるんですよ? 動けない精霊もたくさんいます。どの精霊がどの精霊使いに管理されるか決め、その一人一人に指示していたら、一生かけても一度も指示できない精霊が出るのは目に見えています。それで指示した時しか精霊が力を出さなかったら、世界の維持なんてできませんよ。それって『神様が世界を維持する為に精霊を働かせている』のを邪魔するって事ですよね?」

 その言葉は、アドヴェーナの最後の砦を打ち破った。

 神の意思に逆らう、そんな事を信仰心が厚い信者がやるはずがない。

 ましてや自分は敬虔な聖職者なのだ。

 だのにそんな誹謗中傷するのは、ルークスがただの不信心者ではなく、悪魔に染まった背教者だからだ。

 アドヴェーナの口から石臼が擦れるような声が出た。

「神が創りし世界の理を……成績最下位の落伍者が口にするなど……」

「世界の理は精霊が教えてくれました」

「貴様のような悪魔と取り引きした背教者など、本学にいて良いはずがない!!」

 周囲がどよめいた。その次の言葉は、もう決まっているから。


                   א


 校舎前の騒動を、窓からランコー学園長は目を細めて見物していた。

 計画どおり、ルークス・レークタが神学教師とぶつかっている。

 これで奴は放校処分だ。

 目障りがいなくなると思うと、学園長の気分は晴れ晴れとした。

 その気分をノックが邪魔した。

「失礼します。学園長、緊急のシルフが来ました」

 連絡担当の職員だ。まだ若い風精使いは緊急事態に慣れておらず緊張している。

 だが王宮精霊士室からの問い合わせも学園長の計画の内だ。だから余裕をもって職員に対応できた。机の上で指を組み、威厳をもって尋ねる。

「どこからかね?」

「大司教様からアドヴェーナ司教への至急便です」

「な!?」

 ランコー学園長は思わず椅子を蹴って立ち上がった。

 口が開いたまま閉じない。

 彼の計画が綻びはじめたのだ。

(早すぎる!)

 昨日は曖昧な報告をあげただけだ。だから今朝来るのは、王宮精霊士室からの詳細の問い合わせのはず。それに対して「神殿から派遣された司教が暴走している」と初めて事の重大性を明かす予定だった。

 王宮精霊士室が大聖堂と協議をするのに最低一日。その間にあの生徒は放校だ。

 一度決定してしまえば取り消せない。編入となれば試験が必要。成績最下位の奴では不合格確実である。

 その計画が破綻してしまう。学園長は必死に綻びを繕おうとした。

「まずは聞こう。その後でアドヴェーナ君に伝えるとも」

「緊急との事なので、学園長への報告と同時に、本人にはシルフを飛ばしました」

「なぜ勝手な真似を!?」

 いきり立つ学園長に、職員が細い声で言う。

「こ、これは神殿の内部事情ですので、学園の都合で遅らせる訳にはゆきません」

 振り向いた窓の外、生徒たちが囲むアドヴェーナに、シルフが舞い降りる様が見えた。


                   א


「マーニャ大司教よりアドヴェーナ司教へ、至急。告ぐ。直ちに新校則を破棄し、即刻大聖堂に出頭すべし」

 シルフの声はアドヴェーナだけでなく、その前にいるルークスにも周囲にいる生徒や教師たちにも聞こえた。

 返事が無いのでシルフが繰り返す。

「マーニャ大司教よりアドヴェーナ司教へ、至急。告ぐ。直ちに新校則を破棄し、即刻大聖堂に出頭すべし。だぞ。返事は?」

 蒼白になったアドヴェーナは口を戦慄かせた。

「た……ただちに……お言葉のままに……」

「た、ただちに、お言葉のままに。それでいいな?」

「あ……ああ」

 がくりとアドヴェーナはうな垂れた。小声でつぶやく。

「昨日、制定した校則を……破棄します……」

 一部の生徒が歓声をあげる。教師たちも胸を撫で下ろした。

 アドヴェーナは出てきた時の勢いを全て失い、とぼとぼと校舎へと戻って行く。

 それを見送る事なくルークスはアルティに向き直った。

「さあアルティ、これで心配は無くなったよ」

 ルークスの切り替えの早さにアルティは内心感動さえ覚えた。

 学園を追い出されたかも知れないのに、彼は勝利宣言とか仕返しとか全く考えていない。邪魔者が消えたので、本来の用件に戻ったのだ。どれだけ怒ったか分からないほどなのに、その感情を引きずらずに。

 ルークスは、やりたい事にまっしぐらな人間である。

 今彼がやりたい事は、自分と契約精霊との関係改善なのだから、アルティも神学教師への怒りは脇に置く事にした。

 せっかくルークスがアルティの為に何かしてくれるのだ。不愉快な感情を引きずったらもったいないではないか。


                   א


 ランコー学園長は窓から、とぼとぼとアドヴェーナが戻ってくる様を怒り心頭に発しながら見ていた。

(せっかくあの生徒を放校処分にできたものを!)

 歯ぎしりしたい衝動を必死にこらえる。後ろに職員がまだいるのだ。

「どうやら、事はこれで収まりそうだな」

 腹の中では怒り狂っているが、笑顔を作って振り返る。

 平静を装い椅子に座った。

(どうやって大司教をこんなに早く動かしたのだ?)

 学園から詳しい経緯を聞くこともせず、王宮精霊士室は大聖堂に談判し、問題司教を呼び戻させたのだ。

 王宮精霊士室長のインヴィディア卿なんか耄碌婆もうろくばばあと思っていたが、驚くほど迅速に対応したものだ。

「ところで、いつまでそこにいるのだ?」

「ええと、本報を待っている所です」

「なんだと?」

「重要案件を送るとの前触れが来たので、学園長の所在を確認して――」

 その時シルフが学園長室に飛び込んできた。

「王宮精霊士室長インヴィディア卿より、王立精霊士学園ランコー学園長へ。直ちに出頭せよ。以上。返事は?」

 シルフが伝えると、連絡担当職員は安心した様に言った。

「ああ、戻らないで正解でした。すぐに返答を送らないと大変ですから」

 ランコー学園長は驚愕のあまり、聞いていなかった。

 詳報のやり取りが省かれ、王宮精霊士室は一足飛びに、この度の不祥事の責任を追及してきたからだ。

 となれば答えは一つ。王宮精霊士室は詳しい情報を既に入手しているのだ。

(誰かが密告したんだ!)

 シルフを王宮に飛ばすのは簡単だ。だが、無名のシルフは王宮警護のシルフに阻まれるはず。

(教頭のアウクシーリムか!?)

 風精の専門家であり、新校則に先頭切って反対していた。

(奴に違いない!)

 部下の裏切りにランコー学園長は激怒し、歯ぎしりした。

 しかし自分が「部下や生徒を裏切った」事はまったく自覚していない。

 自分の言動が他人――特に振り回された人たちにどう映るか、などは考えた事もないのだ。

 伯爵家に生まれた彼にとり、他人とは身分が下の者を意味した。気持ちを慮る必要などなく、その概念すら持たなかった。

 親が教えなかったが為に。

 それでも社交界に出れば、上位者との交流で認識を改める機会もあったろう。しかし彼は精霊使いとして世捨て人のように研究に明け暮れ、後半生は学園長として君臨した。結果、他人に対する認識は幼少時のままで固定されている。

 ドゥリティアム・ド・ランコーは他人には他人の事情がある事を知らない。他人の行為が自分に得なら好意があると思い、損なら敵意があると思う程度の認識なのだ。

 それは動物の反応と同レベルである。


 返事が無いのでシルフが催促した。

「繰り返す。王宮精霊士室長インヴィディア卿より、王立精霊士学園ランコー学園長へ。直ちに出頭せよ。以上。返事は?」

「すぐ、行くとお伝えしろ」

 その上で自分に損をさせた、つまり敵意ある部下の「裏切りの証拠を掴んでやる」と決意した。

 それが単なる憶測に過ぎないと気付かぬまま。

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