ルークスの反撃

「精霊を知らない人が憶測で言っても始まりません。当事者である精霊に聞きましょう」

 ルークスが言うやアドヴェーナが言いがかりをつける。

「どうせ貴様が嘘をつかせるのであろう!」

「精霊が嘘をつく、なんて事が聖典に書かれているんですか?」

「――!?」

 神学教師が息を飲むのを見て、ルークスは手応えを感じた。

 インスピラティオーネが法王と口にした途端、それまでの威勢が消えたのを見て分かった。

 アドヴェーナは神殿の威光を傘に着ているだけで、本人には何も無い、空っぽな人間なのだと。

 なら、その威光をこちらも使ってやれば良い。ルークスは追い打ちをかける。

「『精霊は嘘をつく』と、聖典に書かれているのですか?」

 アドヴェーナは記憶を探った。聖典は隅々まで読み込み、解説書も修道院にあるものは読んでいる。

 だが、記憶に無い。精霊に関する記述は少ないので、その中にあるなら覚えているはず。

 もし聖典に書かれていない事を「ある」と言ったら最後、司教の資格など取り上げられ、一修道士に格下げである。かと言って書かれてあるものを「ない」と言っても聖典に対して虚偽の発言をした事に変わりはない。

「……記憶にない」

 としか答えられなかった。

「へえ、聖典に書かれていない――少なくとも書いてあったと覚えていない事を布教するなんて、神殿の許可は得ているのですか?」

「布教ではなく教育だ」

「教育ならそんな事が書いてある教科書を出してください」

「せ、精霊学は専門ではない」

「あるわけないですよ。『精霊は嘘をつかない』は初等部で最初に教える、精霊学の基本中の基本ですから。精霊学で否定して、聖典にもない特殊な教え・・・・・を、アドヴェーナ司教は神殿の許可も無く広めているんですよ。そういう行為は神殿で許されているんですか?」

「貴様には関係ないことだ!」

「ではその特殊な教えの根拠を教えてください」

「それは、現に嘘をついたではないか」

「精霊は嘘をついていません。アドヴェーナ司教が『精霊が嘘をついた』と思い込んでいるだけです」

「た、確かに私は司教だが、この場では教師なのだぞ」

「話を逸らさないでください。精霊が嘘をつくという、アドヴェーナ司教が主張する特殊な教えの、根拠は『自分がそう思った』だけですか?」

 肯定するのが「いけない事」のように思え、アドヴェーナは言い逃れに走った。

「だが、聖典には『精霊は嘘をつかない』とは書いていない!」

「でも聖典には『精霊は嘘をつく』とも書いていない。聖典に書いていない事を、しかも精霊学で否定されている事を、アドヴェーナ司教は教えているのです。それだけの事をするのですから、それなりの根拠がなければ無責任です」

「私が見た。それが根拠だ!」

 売り言葉に買い言葉。アドヴェーナは「聖典に書いていない」と断言した上に「根拠が無い」と認めたのだ。

 この開き直りにはルークスも呆れた。

「じゃあ、それを神殿に報告できますよね? 精霊が嘘をついたという、史上初の大事件ですから。もし本当なら発見者であるアドヴェーナ司教の名前は歴史に刻まれますよ。人類で初めて、精霊が嘘をつくのを目撃した人間なのですから。この大発見には法王様・・・も注目されるでしょうね。もし本当なら」

「な、何を言う。この長い歴史の間で、誰も知らないはずがないだろう。ありふれた話を報告したら、私が物笑いにされる」

 アドヴェーナは腰が退けていた。

「何を言うんです? 誰も知りませんよ。何しろ社会は『精霊は嘘をつかない』事を前提に動いていますから。そんな中で精霊が嘘をつくなんて判明したら、人間と精霊との関係が一変します。何しろ聖典に書かれていない・・・・・・・・・・事なんですから! そんな大発見をしたのに『物笑いにされる』事を恐れて神殿に報告しない? アドヴェーナ司教ってもっと敬虔な人かと思っていましたが、信仰よりメンツを優先する人だったんですね」

 言い訳を逆手に取られアドヴェーナは言葉を失った。

 彼の心中は嵐の大海である。

 平民の不信心者ごときに、敬虔な聖職者が言い負かされるだなんて。

 そんな間違った事など起きるはずがない。

 起きるはずがないにもかかわらず、起きてしまった!

 これまでの人生が崩れるほどの衝撃だった。


 ルークスは邪魔者を沈黙させたので次に移ろうとした。

「大発見の報告はアドヴェーナ司教にお願いする事として、新校則について、当事者である精霊に聞いてみましょう」

「シルフはダメだ!」

 悲鳴に近い声でアドヴェーナが反対する。

 ルークスはげんなりして玄関前で焚かれている篝火に歩み寄った。

「シンティラム、いる? ちょっと来てくれないかな」

 炎はそのまま燃えている。召喚の儀式をしていないので当然だと生徒たちは思った。

「カリディータ、いたら来てくれないか?」

 炎がはぜ、火の塊が宙に舞うやサラマンダーの娘が現れた。

 儀式無しで精霊が来たので、どよめきが起きる。常に側にいる風精ならまだしも、サラマンダーは扱いが難しいのだ。

「何の用だ?」

「アルティの友達のシンティラムは近くにいる?」

「ち、パシリか。しゃあねえ、ちょっと待ってろ」

 サラマンダーは一度炎に戻ったが、すぐ出てきた。

「いないね」

「最後に会ったのはいつ?」

「昨日。家の竈だな」

「探して来てくれない?」

「竈にいなかったら、いつ見つかるか知らないぞ」

「分かった、頼む」

 カリディータが炎に戻ると、ルークスは風の大精霊に向き直った。

「シンティラムを見たシルフがいないか、聞いてくれない?」

「直ちに」

 グラン・シルフは希薄になって溶けるように姿を消した。淀んでいた空気が吹き払われ、敷地内に新鮮な風が吹き込んできた。

 程なくインスピラティオーネは一人のシルフを伴って来た。ルークスが問いかける。

「レーニスか。サラマンダーのシンティラムを見た?」

「多分。コルディア親方の工房にそれらしいのがいた」

「カリディータが家に戻っていると思うから、伝えてくれない?」

「分かった」

 当たり前の様にシルフは吹き去った。グラン・シルフを介していないのに、ルークスの指示に従ったのだ。ならば彼もまたルークスの契約精霊なのだろうと、生徒たちは思った。

 アルティの知る限り、ルークスが名前を知っている精霊は、シンティラムなど知人の契約精霊を除けば全て彼の契約精霊のはずである。

 ただ彼女はそのとき、後ろで友人のヒーラリが地面にくずおれ両手を着いているのに気付かなかった。

 篝火が燃え上がって、炎をまとったサラマンダーの男女が現れた。カリディータとシンティラムである。

「ありがとう、カリディータ。シンティラム、わざわざ来てもらって感謝する。聞きたい事があるんだ。どうして君はアルティと喧嘩したの?」

「いきなり契約を変えたからだ」

 サラマンダーは火の粉を散らした。かなり立腹している。

「どんな変更?」

「指示したとき以外力を使うなだと。力を使ってこその精霊だろうが」

「酷い話だね。で、そういう事を精霊に強いる校則が決まったそうなんだ」

「そんな事を言っていたな」

「学園が決めた事に生徒は逆らえないんだ」

「なら学園をやめるんだな。そんな校則がある学園なんてごめんだね」

「分かった。話を聞かせてくれてありがとう」

 ルークスはアドヴェーナに向き直る。

「だそうです。サラマンダーは新校則を認めません」

 不信心者に言い負かされたうえに、自分が作り上げた校則まで否定されるなどアドヴェーナには我慢ならなかった。シンティラムに文句をつける。

「君は契約精霊なのでしょう? 契約者の命令に従いなさい。でないと契約違反です」

「は? 契約違反は人間の方だろうが! 頼まれたから手を貸してやっていただけなのに、調子に乗るな!」

「ああ、これは契約が不完全なのです。契約が完全なら従うはずです。生徒の契約ですから仕方ありません」

「あんな校則に従うサラマンダーがいる訳ないだろ!! 『火を消せ』と言われたも同然だ! 従うサラマンダーがいるなら、ここに呼べ!!」

 怒鳴られたアドヴェーナは、別方向に向いて声を張りあげた。

「生徒の不完全な契約ですから仕方ありません。きちんと契約していれば、この様な事態は起きなかったでしょう」

 精霊が嘘をついた、と言えなくなったら今度は精霊の言葉を無視してきた。これにはルークスも怒った。

「なら前の契約のどこが不完全だったか、具体的に内容を言ってください」

 アドヴェーナは息を詰まらせる。

「どうしたんです? 契約の文言のどこが不完全なのか、言ってください。そこを直せば完全になるのでしょう?」

「生徒が何と言って契約したか、私が知るはずないでしょう」

 ルークスは笑いだした。

「この学園では、契約の文言を生徒に教えているんですよ。だから生徒たちは皆同じ文言で契約しています。その程度の事も知らないで『契約が不完全だ』なんて、良く言えますねえ。事実と違う思い込みを根拠にするの、やめてくれませんか?」

 不信心者に、しかも平民に嘲笑されアドヴェーナの自尊心は修復不可能な程傷ついた。感情が噴きだし、息が詰まる。心が憎悪に塗り込められた。

(不信心者のくせに、不信心者のくせに、不信心者のくせに!)

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