学園長暴走す

 工房は床が濡れているので篝火が焚かれていた。その下でサラマンダーのカリディータが消沈している。

 ランコー学園長は矛先を彼女に向けた。

「サラマンダーのお前が、オムを消そうとしたのだな? 理由は?」

「あいつがいなくなれば、ルークスがゴーレムマスターになる夢を諦めると思ったからだ」

「契約者の指示なしに、同じ契約者と契約した精霊を滅ぼすなど、許されると思っているのかね?」

「許すとか許さないとか、決めるのはルークスだ」

「そ、そうではなく、他の契約精霊を消すなど――裏切り行為ではないのか?」

「それを決めるのはルークスだ。お前じゃない」

「だ、だが彼は、オムを消すのを許さなかった。そうだな?」

「ああ、そうだ」

「では、契約者の意思に反する事をしたのだな?」

「消すのがルークスの為だと思った。けどそうじゃなかった。あたしの考えが間違っていたんだ」

「これは、精霊の暴走事故ではないのか?」

「呼び名なんか知るか」

「お前は、彼の為なら指示なく人を害する事もあるのか?」

「それはない。人や物を害する事はルークスに禁じられている。けど、精霊についちゃ何も決められていなかった。今は禁じられたから守る」

 学園長は頭を振った。

「問題は、契約者の指示なしに精霊が力を行使した事だ。これは危険なのだ」

「あたしはオムを炉に放り込んだだけだ。火勢を強める事さえしちゃいねえぞ」

 明確に否定され学園長は行き詰まった。そこで今度はルークスと、彼の肩に乗っている小さな土精に目を転じる。

「炉というのは、どの程度の温度なのか?」

「さあ。技術的な事はおじさんに聞いてください」

「そんな所に入れられたら、下位の土精など消えてしまうはずだ」

「はずも何も、今ここにいます」

 肩のノンノンを指さす。

「入ったと思ったのは見間違えではないのか?」

「ノンノンは炉に入ったです」

「オムの様な非力な土精が、サラマンダーの巣窟に入ったら消えてしまうはずだ」

「でもノンノンはここにいるですよ」

「それは普通の精霊の話ですね」

 とウンディーネが助け船を出した。

「私もノンノンちゃんは魂を持っていますから、どんな目に遭っても消えたりしません」

 リートレの説明に学園長が目を剥いたのを、ルークスはぼんやりと眺めていた。先程アルティも驚いていたが、その理由がさっぱり分からない。

 学園長はカリディータにも確かめる。

「サラマンダー、お前も魂を持っているのか?」

「あたしは持っちゃいないよ」

 リートレが補足する。

「カリディータちゃんが魂を持っていたら、ノンノンちゃんを炉に入れるなんて意味が無いと分かったはずです」

「では……まさか」

 ランコー学園長は、ルークスの頭上で周囲を睥睨する風の大精霊を見上げた。

「あなたも魂を持っているのですか?」

「そうだ。主様との絆によって得た。そなたは先程から精霊が自発的に行動した事を問題視しておるが、親しい友人が命の危険に晒されたとき、そなたは助けぬのか?」

「無論、助けますとも」

「我らも同じ事。主様が危険ならば助ける。指示など不要。我が意思として動く」

「せ、精霊が契約に縛られない……と?」

 それはランコーの、六十年に及ぶ人生を否定される発言だった。

「何の問題があろう? 精霊が自らの意思で行動する事に」

「責任の所在が不明確になります。契約者が全ての責任を負わねばなりません」

「精霊が自らの意思で行動した結果の責任は精霊にある。そのくらい当然であろう。契約者が責任を負うのは、精霊が契約者の指示で動いたときのみだ。我ら精霊は、人間の家臣でも下僕でもない。契約をしたにせよ、対等で別個の存在であるからな」

「た、対等……と?」

「貴様も他人と契約を結ぶ事があろう。契約外で相手がしでかした責任を負うとでも言うのか?」

「そ、それでは……精霊の管理は人間がしなければ危険です。自由に動かれては困るのです」

「そなたの契約精霊は、指示が無いときは『何もせずじっとしておれ』とでも命じられておるのか? だとしたら契約した事を、さぞ悔いておろうな」

 大精霊に精霊使いとしてダメ出しされ、ランコー学園長のプライドが大きく傷ついた。

 半世紀も前に師匠に教わり、以来守り続けてきた価値観と、彼の努力が否定されたのだ。

 インスピラティオーネが否定したのは、師匠の教えの一つでしかない。にも拘わらずドゥリティアム・ド・ランコーは「自分自身が否定された」と受け取った。面と向かって間違いを正してくれる人が、彼の人生にいなかった為である。

 自らを肯定するにはグラン・シルフを、ルークス・レークタを否定するしかない。

 学園長の思考は偏ったまま暴走を始めた。


 その間に役人たちは被害規模を確認した。破損は炉とゲート。他者への被害は無し。全てアルタス・フェクスの管理責任に収まると認めた。

 事故の経緯についてはグラン・シルフの証言が一番整理されていた。

 ルークスは就寝中に起き、グラン・シルフを伴い工房へ行った。サラマンダーがオムを炉に入れるのを目撃。救出しようと炉に手を突っ込んだ。彼を助ける為にウンディーネが井戸から高圧で水を噴出。その結果ゲートと炉が破損した。

 重要な点は、関係した精霊全てが人間や財産を損ねようとは考えていなかった事だ。

 事故と結論づけた役人たちは、現場検証を終えようとした。

 しかしランコー学園長がルークスに絡むのをやめない。

「真面目に講義を受けず、知識に欠けるから精霊の管理もできないのです」

 話が長引きそうなので、顔を見合わせた役人の一人が学園長の肩を叩いた。

「我々は上に報告しなければなりませんので、これで戻ります」

 ランコー学園長は慌てた。

「君たちは、彼をこのまま放置するつもりなのかね?」

「事件性はありませんし、少年は戸主の養い子なので、本件は家庭内の事故です」

「精霊の暴走事件なのだぞ」

「暴走したと言えるのはサラマンダーのみで、オムを炉にくべただけです。両者とも少年の契約精霊なので、被害者はいませんし、その時点では何も壊れていません」

「この有様を見て、それを言うのか?」

「少年の行為は不用意でしたが、犯罪ではありません。誰かを傷つけようとも壊そうともしていません。精霊を助けようとしただけですので」

「その結果は?」

「人間を助けようとしたウンディーネは暴走したとは言えません。死んでいても不思議ではない状況なので過剰とも言えず、人命救助の範囲内です」

「しかし、これはただ事ではないぞ」

「ですから事故です。そして損害は全て戸主の財産ですので、家庭内の事故です」

「彼をこのまま放置すると?」

「犯罪ではありませんので。教育指導は専門のそちらにお任せします」

「無責任な!」

「我々は、与えられた権限の中で仕事をしているだけです。精霊が起こした事件や事故の調査以外、何かする許可は与えられていません」

「私が許可する」

「申し訳ありませんが、代官であるプレイター卿に話を通していただきませんと」

「ぐ……」

 町の代官は騎士階級である。その下の家人階級でしかない学園長は何か命じられる立場にない。

「精霊を暴走させる精霊使いは危険なのだ。そんな精霊使いは隔離しないと」

「ほう、それは主様を拘束するとの意味か? 言葉に注意せよ、下等精霊使い」

 グラン・シルフが重々しい声を発した。空気が振動し、人間たちを威圧する。

「か、下等だと!?」

 ランコー学園長は自分への侮辱のみに反応した。怒りのあまり目が眩んでいる。

「土精学を究めたこの吾輩を、下等だと言ったか!?」

 プライドを抉られ怒声をあげた。しかしインスピラティオーネは一息に切り捨てる。

「ならば土の上位精霊を呼んでみせよ」

「――!?」

 学園長のプライドは粉砕された。

「上位精霊を呼べもせず、下位精霊にすら魂を与えられぬ精霊使いなど、下等としか評しようがないわ。主様を隔離すると言ったが、このインスピラティオーネから引き離せるなどとは思っておるまいな?」

「そ、それこそ暴走だ」

「精霊の理を解さぬ愚者が子供に教えるなど、精霊に極めて有害である。以後貴様とその仲間全て、風精は応えぬと思え!」

 シルフが学園に叛旗を翻すと言われ、学園長は蒼然となった。

 その横でルークスが言った。

「インスピラティオーネ、言い過ぎだ」

 風の大精霊は地上に降りて頭を下げた。

「これは主様。差し出がましい事を申しました」

 それを見た役人がため息をついた。

「どこが暴走ですか? 大精霊が人間に頭を下げるなんて、過去の事例よりも制御されているように見えますが?」

「し、しかし」学園長は食い下がった。「契約者の指示なしで動く精霊は危険だ!」

「その辺を飛んでいるシルフは契約なんてしていませんから、人間の指示なしで動いているわけですよね? 危険なのですか?」

「あ……」

 プライドを保つ事しか頭になかった学園長は、自分の発言が現実離れしていた事に気付かされた。

 しかも精霊使いでもない、ただの平民に指摘されて。

「……なら、契約精霊は契約者の指示に従うようにしてやりましょう」

 だが誰も指摘しなかったので、自分が暴走している事までは自覚できなかった。

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