若き女王
パトリア王国の王城は首都アクセムの東側、川を挟んだ一段高い台地にある。
小さな国なので城も小さく、謁見の間も他国に比べると手狭だった。
天井近くにはフレスコ画が描かれ、壁にはタペストリーが掛けられている程度で、飾り気も少ない。
緋色の絨毯が入り口から敷かれる奥、玉座に座っているのは少女だった。
フローレンティーナ女王は十五才になったばかりだ。水色のドレスが映える金色の髪を結い上げ、白銀に輝く王冠を戴いている。瞳は濃紺、控えめな唇には薄桃色の紅を引いていた。
今、女王には北の隣国から親書がもたらされていた。
近習を介して使者から丸められた羊皮紙を受け取った女王は、広げるや顔色を変えた。黙読した後、後ろの従者に渡した。
「皆に読んで聞かせてください」
しかし文面を見た従者が二の足を踏む。
「こ、これは――」
「構いません」
咳払いして壮年の従者は声を張りあげた。
「パトリア王国女王フローレンティーナに告ぐ。
「我がリスティア大王国は過去の不幸な行き違いに対し、怒りを鎮め矛を収め平和を希求してきた。されど帰国パトリア王国は、我が国と交した条約に反して軍備縮小を怠るどころか、あまつさえ軍備拡張を画策している事は明々白々である。
「この様な背信行為を受けてなお、大王にして大将軍たるアラゾニキ四世陛下は寛大にも信頼回復を期待しておられる。貴国に於いては即刻我が国への領土的野心を放棄し、即刻条約に基づく軍備縮小並びに平和行動を求めるものである。
「されどもし貴国が、なおも邪なる考えを捨てず、行動にて潔白を証明しなければ、大王にして大将軍たるアラゾニキ四世陛下の断固たる一撃により、その企てを粉砕するものと知れ。
「天歴九百三十八年四月一日。リスティア大王国大王にして大将軍アラゾニキ四世」
ヴェトス元帥が腰の剣に手をかけ、フィデリタス騎士団長は両手で床に付いていた剣の鞘をこじるなど、近習たちがそれぞれ怒りを露わにする。
玉座の前でそれを見ていた使者が震え上がった。
宣戦布告の際に使者を殺して送り返す事を、帝国などはするのだ。
お陰でフローレンティーナは冷静さを失わずに済んだ。
一方的に侵略を仕掛け領土と国民を奪った国が、非礼極まりない書面を送ってくるほど、パトリア王国は侮られているのだ。
その事実が女王の胸に悲しみと共に怒りの炎を燃上がらせる。
しかし親しみある表情は崩さない。
「使者殿は親書と申されましたが、宣戦布告の間違いではありませんか?」
「お言葉にご注意されよ」
使者は傲然な態度こそ示したが、恐怖のあまり声が裏返った。
「貴国が予備役と称して、ゴーレムコマンダーを条約以上抱えている事、並びに首都の西フェルームにてゴーレムコマンダーを育成している事は、我が主君も承知しておられる!」
「まあ、リスティア大王国ではゴーレムコマンダーは軍の職種ではなく、能力に対する尊称なのですか? 我が国はもとより他国でも見られない風習ですね」
「こ、国民の多くが、我が領土を奪わんと声を上げていると、聞き及んでおりますぞ」
「生まれた地を追われた民が、故郷を懐かしむ程度を領土的野心とおっしゃるのなら、我が国の鉄鉱山と港を欲する声を上げる貴国の王は、我が国に対して領土的野心があると言えましょう。貴国の平和を希求する態度、他国とはかなり異なりますね」
「だ、大王陛下を王などと侮辱するとは、その身をもって償いさせますぞ!」
「貴国は他国とあまりに風習が異なるので、誤解が生じるのも無理からぬこと。我が国が条約を破ったか否か、同盟各国に問い合わせていただきたいものです」
「詭弁を弄するのも大概にされよ! して、返答は如何に?」
「文書にて問われましたので、文書にてお答えします」
「では、それまでここで待たせていただきましょう」
「ご安心を。我が国は開戦もしていない国の使者を地下牢に放り込むような蛮国ではありません」
フローレンティーナ女王は内心で「貴国のような」と付け加えた。
九年前、戦争回避を求めたパトリアの使者を、リスティアは地下牢に入れたのだ。
衛兵に引きずられるようにしてリスティアの使者は連れ去られた。
敵国の人間がいなくなったので、ようやく女王はため息をつけた。
居合わせた文官武官ら近習が玉座に集まり、親書と称する宣戦布告書を見た。
「どうやらリスティアはもう一戦、挑んでくる腹づもりですな」
ヴェトス元帥が言うとフィデリタス騎士団長も頷く。
「こちらを挑発して先に手を出させようとの目論見でしょう。よくぞ辛坊されました」
「向こうの言い分に理はありますか?」
念の為に女王は皆に問うた。
「皆無です」
「条約に無い事ばかり論っております」
「国王名の文書なのに、臣下のお追従が混じるようなデタラメな親書など、初めて目にしました」
「理などありません。取り巻きさえ納得させれば良いのでしょう」
文官武官らの辛辣な物言いに、初老のネゴティース宰相は渋面になった。
「帝国包囲同盟の加盟国同士が争えば、喜ぶのは帝国ですぞ。ここは御自重を」
するとすぐ元帥が返す。
「我が国が自重すればリスティアが侵略を思いとどまるならば、いくらでも自重しますが」
騎士団長も続く。
「然り。リスティアが侵略した際は、さぞ帝国を喜ばせたでしょうな。そして二度も帝国を喜ばすなど、正気の沙汰ではありますまい」
宰相は打開策を提示した。
「リスティアの無理難題については、マルヴァド王国に仲介を求めるべきかと」
「九年前と同じ轍を踏めと?」ヴェトス元帥が呆れた風に言う。「仲介が始まったのは戦闘が終わってからでしたな。おまけに交渉で領土を半分も取られては、仲介など無かった方がマシと言うもの」
「それは、マルヴァド王国も予想が付かないほど状況が変わったので」
「宰相殿はマルヴァド王にお仕えか?」
険悪な空気の中、白髪の老女が進み出た。
「リスティア大王国につきましては、懸念される事がございます」
王宮精霊士室長のインヴィディア女卿である。先王から仕える近習最年長者が出てきたので、他の者は場を譲った。
「未確認ではありますが、リスティアに風の大精霊が付いた由にございます」
「何故分かります?」
女王の問いかけに老精霊士室長は答える。
「こちらが放つシルフが妨害される理由は、他に考えられませぬ」
「リスティアにグラン・シルフ使いが現れた、との情報は寡聞にして知りませぬ」
フィデリタス騎士団長が言うとヴェトス元帥も頷く。
「もしリスティアに新たな大精霊契約者が誕生したら、あの暴君が大々的な宣伝をせぬとは思えませぬ。しかしそれが無い。となれば、考えられるのは他国からの支援でしょうな。しかも極秘となれば、事は重大ですぞ」
「周辺国で風の大精霊との契約者がいるのはどこです?」
女王の問いかけにインヴィディア女卿が答える。
「サントル帝国の他は、西のマルヴァド王国。リスティアと国境を接する国では、この二カ国になります」
ネゴティース宰相が不快げに言う。
「マルヴァド王国は先日、陛下に第二王子との婚姻を持ちかけるほどの友好国ですぞ。今さらリスティアに肩入れするなどあり得ますまい」
「マルヴァドの第二王子は四十近くの放蕩者ではありませんか。十五才の陛下のお相手にしてはあまりに不釣り合い。友好国のする事とは思えませぬ」
騎士団長がきっぱりと言った。元帥はさらに煽る。
「非礼な婚姻話の直後にリスティアから無理難題。ここでマルヴァドに仲介を求めては、陛下に望まぬ婚をさせかねませぬ。むしろ、それが狙いの絵図ではないかと憶測してしまいますぞ」
「軍事畑の方々は外交に疎いご様子。それでは和平など望めますまい」
「国土のもう半分を差しだしての和平など望んではおりませぬ。そもそもマルヴァドにリスティアを抑える力など無いのでは? 九年前の侵略に際してマルヴァドは一兵も出さぬ有様でしたな。東方の雄と吹聴しておられるが、リスティア程度も止められぬでは案山子も同然」
「言葉に気を付けられよ!」
怒る宰相に元帥は冷ややかな視線を投げつけた。
「これは失礼。
睨み合う両者にフローレンティーナは居たたまれなくなり、口を挟む。
「今は身内で揉めている時ではありません」
「これは失礼致しました」
深々と頭を下げるヴェトス元帥と対照的に、ネゴティース宰相は無言のまま立ち去った。その振る舞いに近習たちが不満を募らせていると女王は察した。
「リスティアのグラン・シルフに対して、陛下がご案じになる事はございませぬ」
重い空気を吹き飛ばすかのように、騎士団長が明るい声を出した。
「我が国にも風の大精霊と契約した精霊使いがおります。まだ未成年ではありますが、逆にその年齢こそ才能の現れかと」
「ドゥークス・レークタ殿のご子息ですね。話には聞いています」
「既に手を打ってございます」
ちらりと壮年の騎士団長は王宮精霊士室長に視線を送った。
老女は肩をすくめて「何も知らない」と表わしたのだった。
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